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仲陽のみぎり

 任務を終えて屋敷に戻れば、旦那が雪に埋もれていた。
「おお、佐助! 帰ったか」
 首から下を、すっぽりと雪に包まれているってのに、旦那が普段どおりだったから
「ああ、うん。ただいま」
 思わずフッツーに返事をしちゃったけど
「って、何やってんのさー!」
 流されずに、すぐさま我に返った俺様、ほんとエライ。
「ん? 見ての通りだ」
「見ての通りだ。じゃ、ないでしょーがっ! なんで、そんなにきれいに雪に刺さってんのさ!」
 おおかた、修練に夢中で飛びはねまくって、ズボンと雪に刺さっちゃったんだろうと予測をしたんだけれど、旦那はきりりと眉をそびやかして答えた。
「刺さっているのではない。埋もれたのだ」
「ああ、そ」
 そんなこと、自慢げな顔して言うこっちゃないでしょ。あーあ、もう。一気に疲れが出ちゃったよ。とりあえず、旦那をひっこぬかないと。
「どっちでもいいけど、そんなところに埋まってたら、いくら旦那でも風邪を引いちゃうから。引っこ抜くよ」
「ぬ。それには及ばぬ」
「いや、及ばぬって……そのまま雪解けまで過ごすつもりなわけ?」
「そんなことをすれば、鍛錬が出来ぬではないか」
 何を馬鹿な事を、みたいな顔をしているけどさ、旦那。旦那の今の状況、すんごい馬鹿だから。てか、普通の人なら生死にかかわるから。
「じゃあ、引っこ抜くしかないでしょ」
「問題ない」
 軽く言った旦那が、ふん、と気合を入れる。
「うぉおおぉおおおおぉおおお」
 雪の中で、旦那の筋肉が力みなぎらせ、盛り上がっているのが見なくてもわかる。
「まぁけぇぬぅあぁあああああああ」
 おそらく、雪の重みに負けないって言ってるんだろうな。雪って、けっこう重いし人肌で少し溶けた部分が冷えて凍ると、硬くなっちゃうんだけど。
「ふぬあぁあああああっ!」
 常識の範疇を超えてる旦那は、そんなこと関係ないとばかりに、自分の周辺にあった雪を吹き飛ばした。
「どうだ、佐助!」
 いや、そんな顔を輝かせて言われても。
「はいはい、すごいすごい。とにかく、濡れちゃってるから、体を拭いて着替えようね」
「うむ」
 こっくりと素直に頷いた旦那の髪も、ぐっしょり濡れて張り付いてる。こりゃあ、湯を沸かしたほうがいいかもしんないな。

 湯を湧かして体をぬぐい、さっぱりとした旦那を火鉢に背を向けさせて座らせた。髪が、乾いてないんだよね。
「まったくもう。なんで一人で抜け出せるのに、埋まったままでいたのさ」
 呆れて腕を組みながら、小言のつもりで言ったのに、旦那はそんな俺様の機微に気付くことなく、ただの質問と受け止めた。
「うむ。それはだな、佐助」
 そう言いながら、焼いた団子に手を伸ばす。
「昔を思い出したのだ」
「は?」
「懐かしくてな。佐助がそろそろ帰ってくるだろうから、そのままでいたのだ」
 ふふふと微笑む旦那の顔に、その「懐かしい」ことは俺様も関係していると書いてある。
 雪に埋もれる旦那が、懐かしい? いったい、どういうことだろ。
 旦那は滾りすぎると周囲が見えなくなることが、ままある。だから雪の壁につっこんで、そのままつき抜けて目的を果たしちまうことがある。でも、埋もれるって……。
「佐助でも、覚えておらぬことがあるのだな」
 自分だけが覚えていることを、ちょっと誇らしげに旦那が示す。
「俺様の任務ってば、誰かさんみたいに叫んで駆け回るものじゃなくって、頭を使うものが多いからね。そのぶん、覚える事も多くって、大変なのよ」
 ちょっと意地の悪い事を言ってみても
「なるほど、そうだな。佐助は色々な事を知り、考え、気配りを怠らぬから、子どものころのことなど、忘れてしまっていても致し方ないな」
 素直に受け取っちゃうから、時々心配になる。――ん。ちょっと待てよ? 子どもの頃に、雪に埋もれるって……。
「あっ!」
 ぴん、と引っかかるものがあった。それを逃さないように、ゆっくりと手繰り寄せる。
「思い出したか」
「うん。弁丸様だった頃に、旦那、埋まっちゃったことがあったね」
「うむ」
 ものすごく幸せそうに、大切な思い出だったと旦那が示すから、俺様はなんだか照れくさくなった。

 あれは、うんとうんと昔の、旦那がまだ「弁丸」と呼ばれていた頃の出来事。
 雪に閉ざされると、移動が困難になる。なるべくなら、動かないほうがいい。ひっそりと、獣と同じように息を潜めて冬を過ごす。身丈なんてゆうに超えてしまうほど、雪は降る。全部の街道の雪をのけるなんて、不可能だ。だから身の回りの雪をどけるくらいしか、しない。雪の重みで建物が潰れないように、雪を落とすぐらいしか、しない。
 けれど用事ができてしまう事もあって、そういうときは忍が使いに出る。忍ならば、木々の上をいけるから、雪に埋もれた地上を行くよりも、ずっと早い。
 あのとき、俺様ってば何の任務を受けたんだっけ。――忘れたけれど、俺様は任務を言い渡されて、朝早くに出立した。まだ雪が朝焼けに紫に光っている頃で、弁丸様は眠っていたから、挨拶をして行かなかった。弁丸様は、俺様は寒さが苦手だから、きっと部屋で小さくなって、震えているんだろうって。だから挨拶に来ないんだろうって、思ったらしい。
 寒いから主に挨拶に行かないって、どんな守役だよって話なんだけどさ。弁丸様は子どもって事もあって、そんなふうに考えちゃったみたい。だから俺様が挨拶に行かなくても、何も言わずに侍女に着替えを手伝って貰って、一人で食事をしていたんだって。自分が呼べば、俺様が寒いの我慢して出てこなくちゃいけなくなるからって。
 それを聞いた時は、どんな顔していいのか、さっぱりわかんなかったぜ。まったく。
 とにかく、弁丸様は俺様が挨拶に行かなくても呼びたてることをせず、昼餉を済ませるまでイイコにしてくれていた。……そう、昼餉を終えるまで。いや、悪いことをしたわけじゃないんだけどね。おとなしくしていてくれたって事。
 昼下が終わって、しばらくしたら天気のいい日だったから、寒さがゆるんだ。ちょっと春の気配を感じられるような、柔らかな日差しだった。弁丸様は、これだけ温かくなれば、俺様を呼んでもいいだろうって思ったらしい。でも俺様は寒がりだから大丈夫かな、と不安になった。そこで自分が草屋敷に出向こうと思い立って、思い立ったらすぐ行動ってのは、子どもだからってわけじゃなく、今も昔も変わらない、良いような悪いような気質なんだけど。とにかく、弁丸様はすぐに俺様に会いに行こうと、読みかけの書物もそのままに部屋を出ちゃった。
 で、俺様が任務を終えて帰ってみると、屋敷中が上を下への大騒ぎ。いったい何事なのかと聞いたら、弁丸様の姿が忽然と消えたと言う。部屋にいないことに気付いた侍女は大泣きで、自分のせいだと年下の俺様にすがりついた。温かいお茶と、火鉢の炭を足そうとして部屋を離れたすきに、読んでいた書物もそのままに弁丸様の姿が消えていた。きっとかどわかされたのだと、侍女が俺様に訴える。泣きつかれると身動きが出来ないから、俺様は傍にいた別の侍女に彼女を預けて、弁丸様を探すべく屋敷中を見て回った。
 小さな子どものことだから、妙なところにすっぽり隠れていることがある。好奇心旺盛な弁丸様は、ふと目に入ったものに気を取られ、そのまま追いかけて迷子になることだってあった。
 この寒い時期に、獣の姿が出るとも思えないけれど。いや、寒い時期だからこそ、屋敷の中にネズミやイタチなんかが出てきて、それにつられて姿を消したという可能性もある。
 全部の部屋の隅々から、屋根裏から、薪小屋の薪の隙間まで調べ回ったけれど、弁丸様の姿どころか気配もさっぱり見つからない。さすがに、俺様の背筋も冷たくなった。どこかで必ず見つかるだろうと、高をくくっていたのに。
「くそっ」
 軒下をのぞいても見つからず、思わず俺様が悪態をつくと、オロオロした侍女が呟いた。
「佐助さんの任務が終わるころだと、迎えに出て行かれたのかもしれません」
 俺様の苛立ちを宥めようとしての発言だったんだろうけど
「弁丸様に、任務のことなんて言ってないぜ」
「ええ? でも、弁丸様は佐助さんを呼ぶような事は、なされませんでしたよ」
 俺様が朝の挨拶をしていないのに、呼ばなかった? そんなこと、今まであったっけ。
「ね。誰か、俺様が任務に行った事を、弁丸様に話した?」
 答えは、誰も言っていない、だった。挨拶に行かなかったのに、俺様を呼ばなかった弁丸様。どうしてだろうと考えて、数日前の会話が脳裏に浮かんだ。
「ああ、寒い寒い。弁丸様は元気だねぇ」
 雪の上で走り回る弁丸様に、俺様がそう声をかけると
「佐助も来い」
「うえぇ、勘弁してよ。寒いの、すっげぇ苦手なの。部屋の中の火鉢の前で、着膨れしてたいぐらい、苦手」
「そうか……すまぬ」
 しゅんとした弁丸様は、すぐに俺様の傍に来た。
「ならば、部屋で過ごすとしよう! 佐助が辛いのは、よくないからな」
 その時のことを、もし弁丸様が意識の中に抱えていたら。今朝は、ひどく寒かった。そして日中は、冬の割れ目のように温かかった。突然に姿を消した弁丸様。その時刻は、日が十分に地上にふりそそいだ頃で。
「まさか!」
 草屋敷に、俺様を迎えに行ったのではないか。そう思うと同時に、俺様は矢のように草屋敷に向かった。弁丸様の姿が無いということは、草屋敷にたどり着いていないということだ。この雪に足を取られたか何かして、たどり着けなかったと考えれば。
「弁丸様っ」
 大声で呼びながら、針の一本も見落とさないよう目を皿のようにして探した。けれど弁丸様の欠片も見つけられなくて、自分の不甲斐なさに情けなくなった。
「弁丸様……」
 いったい、どこにいっちまったんだ。そう思った俺様の目に、不自然に盛り上がった雪が映った。そこは屋敷の端の屋根の下で、屋根の上にあるはずの雪がずれて落ちた形跡がある。まさか、と俺様はその雪の山に飛びついて、必死で掘った。
「弁丸様、弁丸様!」
 いなくなってから、半刻ほど経っている。雪はとても重く、雪崩にあうと抜け出せなくて窒息をする。小さな弁丸様が、屋根から落ちた雪の下敷きになってしまっていたのなら。
「っ!」
 掘り進めると、小さな足が見えた。
「弁丸様!」
 叫ぶと、それを聞きつけた者らが集まり、大勢で弁丸様を掘り起こす。まもなく弁丸様は掘り出されたけれど、肌は青白く精気が失せていた。
「弁丸様っ、弁丸様!」
「とにかく、お湯を!」
「ありったけの火鉢を部屋に運び、温めよ」
 そんな声を聞きながら、俺様は冷たい弁丸様を抱きしめて、信じたくない現状に目を見開き、思考を停止させた。
 後から聞いた話では、俺様ってば弁丸様をいっさい離そうとせずに、まばたきもしないで無言で涙を流していた……らしい。まったく、恥ずかしいったらないぜ。
「思い出したか」
 旦那の声に、意識が現在に引き戻される。
「思い出したよ。思い出したけどさぁ、旦那。あれってば、旦那にとって怖い思い出でしょ。なんでそれを、そんな笑顔でなつかしむのさ。てか、なんで雪に埋まってたのさ」
 それはだな、と旦那がはにかむ。
「噛みしめておったのだ」
「は?」
 何を、噛みしめてたわけ。
「鍛錬をしておったら、屋根から雪が落ちてきてな。埋まってしまった」
「うん」
「顔を出し、そのまま抜け出られそうだったのだが、ふと佐助が帰ってくる頃だなと思ってな。埋まって、待っておった」
「だから、なんで」
 わからぬか、と旦那の顔に書いてある。わかるわけ、ないでしょーが。
「いつも、すまんな。佐助」
「へっ?」
 穏やかな笑みを、旦那が滲ませる。なんで、そこでその言葉なわけ?
「佐助がおらねば、俺はここにこうしては、おらなんだ。あの時だけではない。幾度も、お前に救ってもらっている。だからな、佐助」
 ありがとう、と真っ直ぐに伝えられて、俺様、不覚にも涙が出そうになった。目の奥が熱くなって、鼻がツンとして。けど、そんなかっこ悪いことできるわけが無い。
「ほんっと。旦那ってば、世話が焼けるんだから。もう少し成長してくんないと、俺様、気苦労が堪えなくって困るぜ」
「ぬう、すまぬ」
 情けなく眉を下げて、しゅんとしてしまった旦那の頭に、ぽんぽんと軽く手のひらを乗せる。髪もだいぶ乾いたね、なんてごまかしながら、数年ぶりに旦那を撫でた。
 ねぇ、旦那。お礼を言うのは、俺様のほうなんだよ。旦那は気付かないうちに、俺様にいろいろなことを、当たり前がどれほど貴重で大切なものかってことを、教えてくれたんだぜ。今も、こうやって教えてくれているんだって、知ってた? 旦那。

「さ、すけ」
 青白かった弁丸の頬に赤みが差し、うっすらと瞼が開く。けれど瞳は焦点が定まっていない。抱き締めている佐助の姿が、見えているとは思えなかった。それなのに、弁丸はぎこちなく腕を伸ばし、呼んだ。
「さすけ」
 か細く、頼りない声。それは佐助の途切れていた意識を引き戻すに、十分過ぎるほど強く大きいものだった。
「ここにいるよ、弁丸様」
 伸ばされた手を握れば、ゆっくりと弁丸の目が正気を取り戻す。瞳に映った泣き出しそうな佐助の頬に手を伸ばし、弁丸が笑った。
「さすけ」
「っ……」
 途切れていた意識が押し留めていた感情が、佐助の喉から迸る。後にも先にも、佐助があれほど素直に感情を表したのは初めてだと、あの時より屋敷に仕えている者たちは口を揃えて、佐助の耳に入らぬよう気を付けながら、時折そっと懐かしんでいた。

2014/02/06



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