もっと傍にいさせて、なんて望むことは、間違っているんだろうか。 ふ、と猿飛佐助は冬の頃より少しだけ近付いた空を見上げた。 寒さが緩み、また戻り。繰り返し人の心を焦らす春は、ある日突然、爆発する。野山を一気に春色に染め、冬の名残を吹き払っていく。 そうなれば、戦がまた、始まる。 街道の雪が溶け、進軍が出来るようになる。 あーあ、と佐助は息を吐いた。自分は優秀な忍であるけれども、戦場で敵を屠ることに何のためらいもないけれども、それでも、好きか嫌いかと問われれば、好きではない、と、思う。 佐助の主、真田幸村に問えば、きっと小首を傾げてきょとんとされるだろうな、と、佐助はそんな主の顔を思い浮かべて微笑んだ。好き嫌いという問題ではないぞ、佐助。お館様のご上洛のため、必要なことなのだ。という声まで耳に浮かび、佐助は恐ろしいほど自分の身に、真田幸村という人間が隅々まで浸みこんでいることを確認する。 不思議な人だ、と佐助は思う。 真っ直ぐで、単純で。単純だからこそ、くだらない事で思い悩み、けれど自分の軸というものを失わない。 不思議な人だな、と佐助は目を閉じ幸村のさまざまな表情を思い浮かべる。子どものように、自分の心情を隠さず面に現す彼は、策略などというものからは、程遠い。子どもでももう少し、自分を隠したりごまかしたりして、嘘をつくこともあるだろう。そう呆れるほど、幸村は真っ直ぐで素直だ。 ほんと、放って置けないくらい、危ういんだよね。 そして、とてもわかりやすく、その分だけ強い。 手を加えすぎないもののほうが、出来の良い品が仕上がるという。素材を生かすように、最低限の手を加えるだけに留めたほうが、よい物が出来るのだと。 彼はきっと、そういうものなのだろうな、と佐助は思う。 では、自分はどうなのだろう。 目を開けた佐助の前に、終わりの頃を迎えた梅があった。戦が終われば、忍としての自分は終わる。むろん、すぐに終わるわけでは無いだろう。戦が終わっても、戦禍に疲弊したさまざまなことを処理しなければならない。戦うことしか知らぬ者が、戦で略奪を甘い汁だと思った者たちが、あちらこちらで問題を起こすだろう。それらを平定するために、自分は必要となるはずだ。 では、それが終わったら――? 戦の中でしか生きられない者は、どうなるのだろう。 佐助は、自分が戦の無い世の中で生きていけるのだろうかと、ぼんやり思う。薬の知識はある。渡世術も申し分ないと思う。けれど、この手は、この体は、魂は、それに順応できるだろうか。うわべだけならば、いくらでもいくつでもごまかせる自信はある。だが、本質はどうなのだろう。 そもそも、本質とは何なのか。 闇に沈み闇に潜み、闇の中から居出て任務を遂行する。そんな自分に、太平の世は居場所をくれるのだろうか。居場所を見つけられるのだろうか。「ずいぶんと、忙しい奴だな」 低く耳障りのいい声に、佐助は顔を上げた。この寒いのに薄着の彼は背を丸める事も無く、凛とした佇まいで大根を抱えている。「片倉の旦那」 佐助は自分の声が、ぼんやりとしていることに気付いた。思うよりも深く思考に沈んでいたらしい。「ほらよ」 大根と共に、白菜やにんじんが佐助の座る濡縁に置かれた。「ありがと。助かるよ」「こんぐれぇ、お安い御用だ」 奥州の軍師であり武将でもある片倉小十郎の作る野菜は、他の地域のものよりもずっと甘味が強い。「この時期、必ず風邪をひいちまう奴が出るからさぁ」 ぼやきながら、佐助は大きな風呂敷に野菜を包んだ。「真田が、風邪でもひいたか」「旦那が、風邪をひくように見える?」 野菜を背にくくりつけ、佐助は懐から巾着を取り出し小十郎の手に乗せた。「俺様特性の、風邪薬と傷薬。あと、胃薬と二日酔いの薬も入ってるから」「すまねぇな」「お互い様ってね」 軽く片目を閉じた佐助を、小十郎がじっと見る。探るような強い眼光には、いぶかるような案じるような気配が見えて、佐助はわずかにたじろいだ。「何?」「なんか、あったのか」「へ?」「百面相をしていたんでな。悩み事かと思ったんだ」「――ああ」 そんなに顔に出ていたんだ、と佐助は唇を持ち上げた。「別に。俺様の悩みは、いつも困った主たちのしでかす、想像の斜め上を行く行動だから。そっちの主も手がかかりそうだけど、道場を壊しちゃったりなんてことは、しないだろ?」 小十郎の眉根が寄せられ、佐助はくすくすと鼻を鳴らした。「ま、それぞれにそれぞれの事情があるってことさ」「あんま、無理すんじゃねぇぞ」 きょとん、と佐助は小十郎を見た。「無理、しているように見える?」 いや、と小十郎は少しだけ顔をそらした。「オメェみてぇな奴は、色々とひとりで抱え込んで、無駄なことを考えていそうなんでな」 ふふんと鼻を鳴らした佐助は、とん、と手の甲で小十郎の胸を叩いた。「俺様の心配よりも、自分の主の心配をしたらどうなのさ。うちの旦那よりも、そういう方面は大変なんじゃないの?」「政宗様は、心配いらねぇ」「あ、そ。俺様の事も、心配いらないってね。つーか、敵方の忍の心配をするなんて、奇特なお人だねぇ。ま、人のこと言えないけどさ」 肩をすくめた佐助が片手を上げると、大きな烏が舞い降りた。「そんじゃ。また何かあったら頼むよ」「ああ」 まだ何か言いたそうな小十郎に別れを告げ、佐助は大烏と共に空へ――甲斐へと飛んだ。「っはー、やれやれ。ただいまぁ」「佐助。帰ったか」「うん、帰ったよぉ。片倉の旦那の野菜は、ぎっちりと実が詰まってるっつうか、締まってるっつうか。とにかく、普通の野菜より重いんだよねぇ。そのぶん、美味しいんだけどさ」 つやつやと輝く大根を手に取り、佐助は鍛錬の最中に自分の影を見つけて、出迎えに来た幸村に見せた。「おお。これは、なんと旨そうな」「これでしっかり栄養を取って、力を付けて、この時期を乗り越えないとね。寒暖の差に疲れちまって、体調を崩しやすくなっちゃうからさ」「うむ!」 幸村が佐助に手を伸ばし、彼の持つ野菜を当たり前のように半分持った。 その当たり前が当たり前では無いことを、佐助は知っている。忍に気安く手を貸す武士など、聞いた事が無い。「ねえ、旦那」「なんだ、佐助」 呼びかけてから、佐助は自分が何を問おうとしたのか、わからないことに気付いた。俺様は、何を旦那に聞こうとしたんだろう。「旦那は、お館様が天下を取ったら、どうするつもり?」「ぬ。それは、決まっておろう。お館様の天下泰平のため、尽力するのだ」「お館様じゃない誰かが、天下を取ったら?」 むっ、と幸村が眉間にしわを寄せた。「そういう可能性があることぐらい、旦那だってわかってんだろ」 そこまで単純バカではないと、思いたい。むむぅと唸った幸村が、顔を伏せる。「そうだな。その時は」 顔を上げ、佐助を見た幸村に迷いは見えなかった。真っ直ぐに、佐助に向く。「お館様の志した天下であるか、見定める。もしも民をないがしろにするような、非道な天下であるならば、それを正すために謀反を起こそう。その時は頼むぞ、佐助」 ぱちくり、と佐助は幸村の心根を受け止め、吹き出した。「ぶっ、ははははは」「な、何を笑う」「あはは。ううん、そうか、そうだね。旦那が何をしでかすかわかんないから、ちゃんと見張っておかなきゃだよね」「見張るとは何だ、見張るとは」 むっつりとした幸村の肩を軽く叩き、佐助は笑う。「死んでも御供しますよ、大将」「当然だ。お前は、俺の副将なのだからな」 一足早い雪解けが、訪れる。 2014/03/07