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晴れたらいいね

 忍道具の手入れをしている猿飛佐助の耳に、軽い足音が小走りに近付いてくるのが聞こえた。他の忍たちが、作業の手を休めることなく、気配だけを戸口に向ける。全員が、その足音の主を知っており、用件を知っており、だから佐助に目を向けた。
 佐助はそれに気付かぬふりで、足音の主がからりと戸を開けるのを待つ。
「さすけっ」
 幼く丸い声に、佐助は顔を上げた。
「なぁに。弁丸様」
 佐助が笑いかけると、ほっとしたように佐助の幼君、弁丸は戸をきっちりと閉めてから、佐助の傍に座った。
「明日は、任務は無いままだろうな」
 真剣な顔で見あげてくる主に、佐助がしっかり頷けば、そうかと弁丸が満足そうに頷く。そして今度は少し不安そうな顔をして、佐助に問うた。
「明日は、晴れるだろうか」

 甲斐は山に囲まれた、雪深い国である。山の春は、ひたひたと誰にも気取られぬように、足音を忍ばせて近寄ってくる。そうして突然、爆発したように木々や草花に命じて、春の訪れを彩り豊かに誇るのだ。
 そんな人々を驚かせる事の好きな春の、誰にも悟られぬように忍び寄る足音を捕まえるのが、猿飛佐助の毎年の恒例行事となっている。
 一人で行うわけではない。
 幼名を弁丸といい、今は真田幸村と名乗る武人に成長した主と共に、行うのだ。
 まだ雪がタップリと残っている山に入り、蕗の薹や土筆、草木の新芽など、春の先がけの味わいを見つけてくる。それが、佐助と幸村の恒例行事となっている。
 いつから、どんな理由ではじめたのか、佐助はもう覚えてはいなかった。幸村も、覚えていない。誘うのは、いつも幸村からで、佐助は主のその言葉を受け止め、山の状況を思いつつ頃合を返答する。返答しながら、もうそんな時期なのかと、佐助は春を実感する。
 そして今年も、その時期が来た。
「佐助」
「ん?」
 夕餉を終えて、茶を啜っていた幸村が壁の外へ視線を投げて言った。
「そろそろ、春の足音を摘みに行くか」
「ああ、うん。そうだね。そろそろ、いいかも。朝の具合を見て、大丈夫そうなら山に入ろうか」
「うむ」
 佐助の返答に、幸村は期待をこめた顔をした。戦場では紅蓮の鬼だの、甲斐の若虎だのと言われる幸村ではあるが、こうしていると頬から顎のあたりに幼さを残す、青年になりかけの少年、としか見えない。彼の勇名のみを知る者が、普段の幸村を見れば目を疑うことだろう。
 これほど若い、あるいは幼い者だったのか、と。
 長年共にいる武田配下の者でさえも、時折、飢えた獣のように獰猛な嬉々を発して槍を振るう姿と、普段の幸村の姿に距離を感じることもあるほど、幸村は佐助の前では特に無防備に、幼い部分をさらけ出す。なのでついつい、佐助は幼年の頃と同じような口調で、主に注意をしてしまう。
「もし大丈夫ってなっても、春の山は危険なんだから、油断したりしないでよね? 旦那」
「わかっておる」
 きりっと眉をそびやかす幸村に、ほんとにわかってんの? と佐助が疑いの目を向ければ、幸村はむっつりと唇を尖らせた。
「春山の危険がわからぬほど、俺は愚かではないぞ。佐助」
「愚かだって思ってるんじゃないの。旦那は、一つの事に夢中になると、周りが見えなくなっちゃうから、そこを心配してるんだって」
「それなら、問題ないではないか」
 なんだ、と言いたげに尖らせた唇を普段の形に戻した幸村に、佐助が小首をかしげた。
「なんで、問題が無いのさ」
「佐助がおれば、何も問題は無いだろう?」
 当たり前のことのように、さらりと言ってのけた幸村の言葉に、佐助の背中の産毛が逆立った。
 それは、喜びとも苛立ちとも寂しさとも言えるもので、それに突き動かされるままに、佐助はきっちりと姿勢を正して幸村を見た。急にかしこまった佐助を不思議に思いつつ、幸村も居住まいを正す。
「旦那」
「なんだ、佐助」
「あのね、旦那。俺様は、いつまでも旦那の傍にいるとは限らないんだよ」
 ん? と幸村が丸い目を不思議そうに瞬かせる。
「任務があるのなら、山に入るのはその後でもかまわぬぞ」
「そうじゃなくって。明日とか明後日とか、そういう話じゃなくって」
「じゃあ、どういう話だ」
 幸村がけげんに眉根を寄せて、佐助は苛立ちを押さえるように眉間にしわを寄せた。
「来年は、俺様がいないかもしれない」
 ますますわからない、と言いたげに、幸村は顔をしかめた。
「俺様は、忍なんだ」
「わかっておる」
「じゃあ、俺様が言っていることも、わかるよね」
「わからぬ」
「ちょっとは考えてから、答えてよ」
 む、と唸った幸村は腕を組み、しばし考えてみる。それを、佐助はじっと見つめた。
「さっぱり、わからぬ」
 自信満々に幸村が言って、佐助は肩を落とした。
「あのね旦那。俺様は、忍なの。戦に出てるの。わかるよね」
「俺とて、戦に出るぞ」
「うん、出てるね。でも、旦那と俺様は確実に違うの」
「何が違う」
「旦那は武士で、俺様は忍」
「それがどうした」
 幸村の態度が理解を拒絶しているように感じられ、佐助は苛立った。
「あのねぇ、旦那。俺様がいつもいつもいつもいつもいつも、忍がどういうものかって、旦那に言っているの覚えてないわけ?」
「覚えておる」
「だったら、わかるだろっ!」
 手のひらで力強く床を叩きながら、佐助は幸村をにらみつけた。
「俺様は、次の春までに命を落とすかもしれないだろ」
「俺とて、そうではないのか」
「旦那は死なないよ」
「何故だ」
「俺様が、優秀な忍だからだよ」
「佐助が優秀な忍であることは、十分に知っている」
「だから、旦那は死なないの。でも、俺様は死ぬかもしれないの」
「何故だ」
「旦那が死なないために、戦働きをするからに決まってるだろ」
 床を叩きながら言う佐助の苛立ちが、幸村にはさっぱりわからない。どうして急に佐助の機嫌が悪くなったのだろうかと、不思議そうに自分の忍の顔を覗きこむ。
「佐助は優秀な忍なのだから、戦働きの折りに死ぬはずはない」
「あのね――」
「佐助がそのような事態になるのならば、俺も危うい時だろう。佐助を屠るほどの力量を持つ相手ならば、俺が向かっていくことは目に見えておろう」
 にっこりとした幸村に、佐助はあっけにとられて言葉を失った。
「だから、佐助は死なぬ。俺が死なぬように働く、というのであれば、それは佐助も死なぬように働く、ということだ」
 佐助からすれば、まったくもってよくわからない理屈ではあるが、幸村の中ではきっちりと筋の通った理屈らしく、自信満々に鼻息を吹いた。
「来年も、その次の年も、俺は佐助と春の山に入るぞ」
「――えっと」
 何をどういえばいいのかわからなくなった佐助は、人差し指でこめかみを掻きつつ、何故か得意げな幸村を見る。
「足が動かなくなるほどの年になるまで、俺は佐助と共に春の息吹を摘みに行く気でおる」
「は?」
 にやりと歯を見せた幸村が、ずいと鍛えた胸をそらした。
「お館様のご上洛を、武田の天下を望むという事は、今の暮らしが続くという事だ。そのために、俺は槍を振るう。だから俺は、来年も、その次の年も、その次の次の年も、佐助と共に春の山に入るぞ」
 さも当然と言わんばかりの幸村に、佐助はあきれを通りこし、感心すらしてしまった。次の瞬間、みぞおちのあたりがくすぐったくなって、佐助は堪え切れずに笑みを漏らした。
「っ、くく、旦那ってば……ほんと」
「ぬ?」
 佐助の笑い出した理由がわからない幸村が、きょとんと首を傾げる。
「いや、なんでもない。そうだよな。うん、そう。来年も、再来年も、ずっと、ずうっと俺様は、毎年恒例の春先の山菜取りに旦那と出かけるんだよな」
 自分に確認するような佐助の口調に、幸村は満足そうに唇を持ち上げた。
「あ」
「ん?」
 ふと何かに気付いた幸村が、窓に目を向ける。その瞳が少し不安そうに自分の上に戻る事を、佐助は知っている。幸村が問う言葉を、佐助は毎年のように聞いていた。けれどわからぬふうに、少し首を傾げて問いを待つ。
「明日は、晴れるだろうか」
 何年も繰り返された恒例の問いに、佐助は恒例の答えを紡いだ。
「晴れたらいいね」
 このやりとりが、ずっとずっとこの先も、変わらぬままに続けられる事を願いながら。

2014/03/23



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