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育むために、屠る者

 駆ける足が里へ届く前に、火が放たれた。逃走をする時間を稼ぐためだろう。馬腹に活を入れて、真田幸村は煙の上がる方角へ急ぐ。
 賊が里を襲っているという報を受けてから、まだ幾許も経っていない。相手は手慣れているという事か。
 幸村の足は稀なる駿馬。本人は勇猛を誇る武将。本隊を引き離し先に賊を打ち取ろうと駆けても、誰も異論を持たなかった。本人はそんなことを意識していたわけではなく、若さ特有の正義感と守るべき使命を胸に、馬脚を急がせている。
「無事か!」
 無事であろうはずはないのに、村に入った瞬間に幸村が発したのは、それであった。そこここで家の燃える姿を目にし、無事であってほしいという願いが口をついたのだろう。
 背に負った朱の二槍を手に馬から飛び下りた幸村は、猛然と略奪品や人を担いで山に入ろうとする賊を追った。うなりをあげて槍が伸び、賊の命を薙ぎ払う。救いを見つけた村人らは、声を限りに助けを求めた。それに応じるように、幸村は槍を振るい賊を次々に槍の穂先に掻けていく。
「あぁあああああっ!」
 叫びが幸村の耳に触れた。首をめぐらした幸村の、ひと房だけ長い後ろ髪と鉢巻の尾が舞う。それが背に沿わぬうちに、幸村は地を蹴り声のした家の中へ突っ込んだ。
 戸を蹴り破った幸村の目に、幼い子どもを捉えようとする賊の背が映った。賊の手に鈍く光る得物を見て、幸村は槍を繰り出し賊の首を飛ばした。血が迸り、ゆっくりと賊の体が落ちていく。
 幸村の背に本隊の到着した声が響いた。賊らを威嚇する怒声を聞きながら、幸村は倒れた賊の体を無造作に動かし、その下敷きになってしまった子どもに問うた。
「大事ないか」
 賊の首からあふれた血を浴び、血まみれとなった子どもが目を見開いて幸村を凝視する。
「怪我は無いか。大丈夫か」
 幸村の声が聞こえていないのか、子どもは身じろぎ一つしない。眉根を寄せて膝をつき、幸村は子どもの肩に手を乗せた。
「どうした」
 ビクリと胴震いをした子どもは意識を止めていたらしい。わなわなと唇を震わせ、幸村を見ながら口を開いた。だが、ヒュウヒュウと息を漏らすだけで、何の音も出さない。
「幸村様。賊は全て仕留め終えました。怪我人の手当てと村民の確認を行っております」
 子どもから手を離し、幸村は立ち上がり振り向いて頷いた。
「うむ。この子どもの手当ても頼む」
「は」
 幸村は子どもを連れ出すために入った兵と入れ違いに外に出て、焼けた村を見回した。雨露をしのげそうな建物は、一棟たりとも残っていない。
「被害の状況は、いかほどだ」
 手近な兵に声をかければ、だいたいの村人は賊が来たと知ってすぐに、山に入ったらしいと答えられた。戦国の世に賊の存在は珍しくもない。はむかい命を落とすよりは、逃げて奪わせたほうがいいと知っている。女や子どもは特に、賊に追われて捕まれば目も当てられぬ扱いとなる。田畑さえ無事ならば、なんとかしのげる。戦で田畑を踏みにじられるよりは、賊の襲来のほうがまだマシだと思っている者さえあった。被害に遭った者がいないではなかったが、賊の数からすれば少ないと言えるだろう。
 そう報告を受け、村人らの姿を眺めて幸村は思案する。山に囲まれたこの集落ならば、材木が足りぬという事は無い。簡易の小屋でも作り、しばらく凌ぐことが出来るだろう。田畑は無事なのだから兵らにも手伝わせれば、急場凌ぎのものは用意できる。そこから田畑の手入れをしつつ復興させていけばいい。
 だが――。
 怪我をした人間や、老人、子どもの姿に目を止めた幸村は顔をゆがめた。怪我人を抱えながら野良仕事をしつつ、村の復興を行う。それは大変な作業となるだろう。今の時代に珍しいことではないが、幸村は目の前の状態を捨て置けぬ気持ちになっていた。
「被害者は、少ないのだな」
「あ、はい。この程度で済んだのは、幸村様がすばやく駆けつけてくださったからだと、村の者らは申しております」
 兵は少し誇らしげに告げた。幸村はそれを喜ぶ事も誇る事もせずに、まだ少年の面影を残す目を曇らせた。
「村の復興のため、怪我人を世話するは難儀であろう。少ないのであれば、屋敷に連れ帰り面倒を見る事にする」
「え」
「むろん、全員は無理だ。自力で動けぬ者や、病弱の者など、幾人かを選び帰還をする時に馬に乗せる」
「しかし、幸村様」
 困惑する兵に、幸村は自分の考えを確かめるように頷き、晴れやかに命じた。
「お館様も申しておられる。人は石垣、人は城、と。領民がいてこその国なのだ。これはお館様の教えにも順ずること。急ぎ村人に伝え、そのように手配せよ。屋敷にも馬を走らせ、そのことを告げ準備をしておくようにと告げよ」
 こうと決めればそうせずにはいられない若者だと、兵らは幸村の気質を承知している。自分の考えが正しいと、妙案を思いついたと確信をしている幸村に、兵らは内心はどうであれ幸村の命に従う事にした。

 居室であぐらをかく幸村の前を、真田忍隊の隊長である猿飛佐助は、腕組みをしながら行ったり来たりしていた。時折ふっと吐息を漏らしては、ちらりと横目で幸村を見る。それは幸村が弁丸と名乗っていた幼少の頃より、世話役も努めている忍が叱ろうとする前の状態である事を、幸村は重々承知していた。だが、なんら叱られる要素など持ち合わせてはいないと、幸村は背を伸ばして顔を上げ、まっすぐにウロウロ歩き回っている佐助を見ている。その態度に、佐助は幸村を叱りあぐねていた。
「ね、大将」
 やっと口を開いた佐助に、幸村はまっすぐな目を向けた。子どものままの無垢な瞳に、佐助はたじろぐ。けれど頑固者の主との付き合いは長いのだ。すぐに気を取り直し、腰に手を当て首を傾げた。
「屋敷の部屋が全部、埋まっちゃってるのはどうしてかなぁ」
「知れた事。怪我人や子どもを預かったからだ」
「大将はさ、賊の討伐に行ったんだよね」
「うむ」
「人を浚いに行った訳じゃないよね」
 きょとんと幸村が首を傾げた。額に手を当て軽く頭を振りつつ、佐助は本日何度目になるかわからない溜息をつく。
「あのねぇ、大将」
「なんだ」
「大将がしようとした事は、いいことだとは思うよ」
 ぱ、と幸村の顔が輝く。そうだろうと言いたげな鼻先に人差し指をつきつけて、佐助はこれ以上無いほどの渋面を作った。
「でもね、大将。ウチは、人手が余っているわけじゃないの。みんな、それぞれ忙しいの。軍事的な色々とかもあって、秘密の事とかもあったりするの」
「だから、なんだ」
「もし、どこかの斥候がまぎれていたら、どうするのさ」
「その時は、その時だ」
「用心するって事を知らないわけ?」
「捨て置けぬだろう」
「犬や猫を拾ってくるのとは、わけが違うんだって」
「そのように考えてはおらぬ」
「薬とか食料とか、あと他にも色々と大変なんだぜ」
「だから、準備をするよう連絡を走らせただろう」
「そういう問題じゃないんだって」
「ならば、どういう問題だ」
 太い溜息をついた佐助が、しゃがみうなだれる。幸村は佐助が何を言いたいのか、何を叱ろうとしているのかがわからずに、目の前の橙色の髪を眺めた。
「もういい」
「もういいとは何だ、佐助。俺はさっぱりわからぬぞ」
「うん。言ってもわかんないと思うから、もういい」
 けげんに眉をひそめる幸村に、うなだれたまま佐助は軽く手を上げ横に振った。やれやれと言いたげに息を吐き、立ち上がる。
「いきなり食料とか薬とか増やせるわけじゃないから、大将にも手伝ってもらうぜ。自分で拾ってきたんだから、責任取ってよね」
「拾ってきたとは何だ」
「じゃあ、連れ帰ってきたって言い直しておくよ。あのね、大将。食べ物も薬も、ほっといたら沸き出てくるものじゃないって、わかってるよね」
「むろん。俺を何だと思っておるのだ」
 少々むっとした幸村に、ふふんと佐助がからかうように鼻を鳴らした。
「いまんとこ戦に出る予定も無いし、お館様にも言っておいたから、大将のこと、こき使うぜ」
「お館様に? お館様に何を申したのだ、佐助」
 お館様――甲斐を統べる武田信玄に、今回の幸村の行動を報告するのは当然のこと。自分が言いに行く前に知らせを走らせた佐助が、どのように報告したのかと幸村は腰を浮かせた。
「拾ってきたものの世話は、自分でさせたいんだけどいいですかって断ってきたのさ」
 自分を見つめる幸村が、今回の事に信玄がどう反応したのかを知りたがっていると気付きつつ、佐助は本筋だけを口にした。
「だから、拾ってきたとは何だ、拾ってきたとは」
 幸村の抗議を軽く肩をすくめただけで終わらせて、佐助は幸村の手に麻袋を握らせた。ぱちくりと瞬く幸村に、佐助が有無を言わさぬ凄みを帯びた笑みを向ける。
「とりあえず、今から山に入って必要な物を取りに行くよ、大将」
 きょとんとする幸村の腕を、佐助が掴み立ち上がらせる。佐助に促されるまま、幸村は彼と共に山に入るため袴の裾を絞った。
「まずは薬草と山菜。日が暮れるまでに、ちゃっちゃとやっちゃうよ。明日はそれに狩りも含めるからね。他にも色々と、大将に屋敷の仕事を振るから、しっかり働いてよ」
「世話をしろと言うのは、そういうことか」
「そ。あ、でも大将にできそうにない事は頼まないからね。手伝いが逆に邪魔になるどころか、よけいに手がかかる事になると面倒だから。それと、お館様には俺様から簡単な報告はしといたけど、明日の朝に大将もちゃんと村人を引き取った理由を言いに行きなよ」
「うむ」
「それと、行ってするのは報告だけだからね」
 駕籠を背負った佐助が、肩越しに後ろをついてくる幸村に言った。
「拳の語らいは、なかなか終わらないし。屋敷を壊すしで、面倒だから。ぜっったい、しないで報告だけして帰ってくる事。いいね」
 足を止め振り向き、人差し指をつきつけて来る忍に
「うむ」
 と幸村は眉をそびやかして答えたが、佐助は「ほんとかなぁ」と疑う目で唇を突き出した。

 腕を組み胡座をしているお館様こと武田信玄の前で、幸村は平伏し報告を行っていた。
「では、怪我をした者や親を失うた童を引き取ったは、復興のために必要と判断したからと申すのじゃな、幸村」
「は! 人は石垣、人は城とのお館様のお志に叶う事と存じ、引き取りましてござる」
「何故、そのように思うたのじゃ」
「復興ならねば民の暮らしは落ち着かず、せっかくの田畑は満足な手入れをされずに荒れてしまうと考え、ひいては民の暮らしのみならず、某ら武家の者らも飢えることにあいなりまする」
「ふうむ」
 信玄の考える間があって、幸村はちろりと目を上げて様子を伺う。その目にあるのは不安ではなく、どこか挑むような光であった。それに気付かぬ信玄ではないが、わざと無視をして考えに耽る格好をする。
 しばらくすれば、そわりと幸村の膝が動いた。それにあるかなしかの笑みを口の端に浮かべ、信玄は腕をいた。
「民が米を作らねば、我らは食えぬ。人あるところに里が出来、国が出来る」
「は!」
「して、その引き取った者らは何とする」
「え」
 幸村が顔を上げ、きょとりと信玄を見た。
「引き取り、なんとするつもりじゃ」
 想定外の質問だったらしい。褒められる気でいた幸村は答えを探すために、信玄から視線を横にずらした。
「それはむろん、怪我を治癒し、村に返しまする」
「身内が残っておる者は、それで良かろう。じゃが、身内がおらぬようになった者は、いかがする」
「それは」
「身寄りを失うた者がいないと申すか」
「いえ、ござりまする」
「では、その者らをどうする」
 む、と幸村は言葉に詰まり、唇を噛んだ。懸命に考えているらしい幸村を眺め、信玄はそっと吐息を漏らして立ち上がる。幸村には、その息が呆れに感じられて胸が重くなった。
「考えるがよい」
「は!」
 平伏し、信玄の立ち去る足音を聞きながら、幸村は己の思慮の浅さを悔いて、奥歯を噛んだ。

 うなだれ門をくぐる幸村の姿を見つけた佐助は、小首を傾げて主を出迎えた。
「おかえり、大将。ちゃんとお館様に報告してきた?」
「うむ」
 うかない様子の幸村が何事か言い出しはしないかと、佐助は待ってみた。が、幸村は落ち込んだ様子で佐助の横を通り抜け、屋敷へ上がろうとする。やれやれと肩をすくめ、佐助は幸村の背中を小突いた。
「昨日、言っただろ。お館様んとこから帰ってきたら、山菜と薬草を取りに行くよって。それと、獣肉も取ってこよう。まずは食べるのが基本だからね」
「うむ」
「しっかりしてくれよ、大将。何があったかしんないけどさ。考えてもわかんないものは、いったんその事から離れてみなよ。離れてみたら、見える事もあるぜ」
 佐助が思いきり幸村の背を平手で叩けば、幸村はつんのめり降り向き、そうだなとわずかに口元をほころばせた。
「体を動かして、まずは血の巡りを良くしなよ」
「うむ。まずは、目の前の問題を片付けつつ、お館様よりの問いの答えを探すとしよう」
 両の拳を握り頷いた幸村を、佐助はニコニコと促した。
「そんじゃ、必要なものを持って、山に入るとしますかね。獣肉をまずは仕留めて、昼餉用に持って帰って下処理を頼んでおこうか。その後は、昼餉までの間に山菜と薬草摘み。昼餉を終えたら、夕餉のための獣狩りをするよ」
「わかった」
 ほらほら準備と佐助に言われ、幸村は細袴に手槍を握り、腰に縄をくくりつけた。戦に行くわけではないので、愛用の朱の二槍は置いていく。ふ、と幸村は視線を感じて顔を向けた。壁の影からこちらを覗いている者がいる。
 あれはたしか、と幸村は見えている顔をたよりに、自分の記憶の中にある顔を探す。表情は違うが、それは襲われた村で幸村が助けた子どものものと重なった。
「おお」
 ぱ、と顔を輝かせた幸村が大股に歩み寄ると、子どもは腰を引くが逃げはしない。じっと幸村を見たまま全身をこわばらせている。
「おぬしも、ここへ参ったのか。どこか、怪我を?」
 さっと幸村は子どもの全身に視線を走らせてみたが、怪我をしている様子は無い。着物に隠れている場所に傷があるのだろうか。
「災難であったな。なに、心配はいらぬ。村の復興は進んでおるゆえ、戻れる日がくる。それまで、しっかりと養生するのだぞ」
 年上らしく振る舞う幸村を、子どもは何の反応も示さず見続けている。少し様子がおかしいと感じつつも、幸村は子どもの頭に手を伸ばした。その手が届く前に、子どもはこぼれそうなほど大きく目を見開き、口を開いて鋭く息を吐きながら後ろに倒れこんだ。
「なっ」
 音にならない叫びを上げる子どもが、幸村を見たまま後ろ向きに這っていく。その異様な光景に呆然とする幸村の横に佐助が現れ、軽く指笛を鳴らすと侍女が――忍の技を持つ女が音も無く現れ、呼気で叫ぶ子どもを抱き上げ一礼をし去っていった。
「大丈夫、大将」
「あ、ああ……うむ」
 幸村は去っていく侍女の背を見つめる。侍女の肩越しに、落ち着いたらしい子どもが幸村を見ていた。その目の底の深さに、幸村がブルッと胴を震わせる。
「大将?」
「いや、なんでもない。――佐助」
「ん?」
「あの、子どもは……」
「ああ」
 ちらりと横目を向けてから、佐助は言う。
「村から大将が連れてきた子どもだよ」
「それは、わかっておる。見たところ、怪我があるようには見えなんだが」
「ああ、うん。外傷は無いよ」
 佐助の言葉がひっかかり、幸村は無言でそれを示した。幸村の表情に促され、佐助はほうっと息を吐く。
「外傷は、無い」
「ならば何故、声を発さぬ。もともと、声の出ぬ者なのか」
 佐助はゆるくかぶりを振り、幸村を励ますように目元を和らげ肩を叩いた。
「行くよ、大将。全員の食い扶持を捕まえてこなくちゃいけないんだからさ」
 行商の者に余った肉を塩漬けにして売れば、引き取った者らの着物を購ったり出来るからと言われ、幸村は後ろ髪を引かれつつ、これ以上佐助に質問をしても答えてはもらえぬだろうと、もやもやとしたものを抱えたまま山に入った。
続き→
2014/07/22



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