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ひんやり

 きょろきょろと、あたりを見回しているというよりは、首を振っている、と表現をするほうが良いような様子で、弁丸は屋敷の中をウロウロとしていた。
「弁丸様。そんなに頭を振って、どうなさいました」
 声をかけられ、首を振るのを止めた弁丸の、後ろだけ長い髪が、背に落ち着く。
「佐助がおらぬのだ」
 弁丸は、彼付きの忍であり世話役でもある、猿飛佐助を探していたらしい。なるほどと頷いた者は、ニッコリとして弁丸の顔を見るため、膝を折って太ももに両手をついた。
「佐助殿なら、庭奥の木陰ではありませんかな。あそこは、涼しい風が通る場所ですから」
「そうか!」
 教えてくれた者に礼を言い、弁丸は軽い足音を立てて走り、整えられた草木の葉が、青々と茂る庭奥へ向かった。
「佐助っ」
 声を弾ませ草陰を覗いてみたが、佐助の姿は見当たらない。おかしいなと首を傾げた弁丸は、がさがさと低木をかきわけて、佐助を探した。
「何か用事?」
 弁丸の頭上から声が落ちてきて、弁丸が見上げると、枝に佐助がさかさまにぶら下がっていた。
「おお、佐助」
 嬉しげに頬を持ち上げた弁丸が、ちいさな両手を佐助に伸ばす。ぽん、と中空に体を投げた佐助は、弁丸の傍に降りながら、その両手に自分の両手を軽く打ち当てた。
「佐助」
 にまぁ、と弁丸が笑みでとろけた顔になる。
「おっと」
 そのまま抱きつこうとした弁丸の胴を掴み、佐助が留めた。きょとんと弁丸が丸く大きな目を、零れ落ちそうなほど開いた。
「俺様が、暑いの苦手って知ってるよね」
 そんな弁丸に、佐助は噛んで含めるように言う。
「弁丸様はただでさえ体温が高いのに、走ってきたから、もっと熱くなってる」
 だから、と佐助は弁丸の胴を掴んでいた手を離し、ぽんっと軽く幼君の頭に手を乗せた。
「くっつくのは、ナシ」
 唇を尖らせ、うらめしげな目をしつつも、弁丸は頷いた。佐助は褒めるように笑みを深め、ぐりぐりと髪を掻き混ぜるように彼をなでる。
「だいぶ汗、かいっちゃってるなぁ。池に瓜を冷やしてあるから、食べておいで」
 ほら、と佐助が弁丸の体を回し、池の方角に向けて背中を押した。ちらりと弁丸が肩越しに振り向けば、佐助はひらひらと手を振った。
「俺様、ここで待っとくから」
 木の根に腰を下ろした佐助に、わかったと言って弁丸は池に向かって駆けだした。
 池と佐助の言ったそれは、山から清水を庭に引き入れているもので、屋敷の外に出るわけではない。なので佐助は、弁丸を一人で向かわせたのだった。
 池にたどり着いた弁丸は、瓜を入れた笊が浮いているのを、池の端の岩と繋いでいる縄を手繰り、引き寄せた。弁丸の手では、瓜は両手で持たなければならない。自分の分と、佐助の分。その両方を持つには、腹に抱えるようにしなければならなかった。
「ふふっ。よく冷えておるな」
 着物が濡れるのもかまわずに、弁丸は両腕で瓜をかかえ、よく冷えた触感に目を細める。そして、はたと気付いた。
 これでは、せっかく冷えた瓜が、佐助の所へ持って行くまでに、ぬるくなってしまう。
 弁丸は瓜を笊に戻し、どうしたものかと考えた。
 笊ごと持って行けばいい、というのは大人の理屈。子どもは違う理屈で生きている。縄はしっかりと結ばれているので、それを外すという発想を、弁丸は浮かべなかった
 どうすれば瓜を冷たいまま、佐助に届けられるのか。
 ううむ、と大人のように、大人から見れば不器用に腕を組んだ弁丸は、首を傾けて笊を見つめる。瓜の重みで少し沈んだ笊が、ゆらゆらと揺れている。
 弁丸は考えた。考える弁丸の脳裏に、弁丸は熱いと言った佐助の言葉が浮かぶ。
 自分が熱いので、冷たい瓜をあたためてしまう。瓜を運ぶのには、両手で抱えなければならない。瓜を片手で掴んで持って行く事が、自分にはできない。
 佐助に、よく冷えた瓜を渡せない。
 むうっと弁丸は鼻の頭にしわを寄せ、難しい顔をして涼やかな水に浮かぶ瓜を睨んだ。キラキラと陽光を煌かせる水に包まれた瓜を睨み続け、そうだと弁丸は中心に集めていた顔を開いた。
 妙案が浮かんだと、嬉々として着物を脱ぎ、下帯姿となって池に飛び込む。池の水はひやりとして、冷たかった。
 池の水は、瓜を冷やす。自分は熱い。ならば自分も、瓜と同じように、池の水で冷やせばいい。十分に冷えてから、瓜を抱えて佐助のところへいけば、瓜をあたためることなく、冷たいままで佐助に届けられる。
 弁丸はそれが一番の方法だと信じて疑うことなく、しっかりと肩まで池に浸かった。弁丸の長い後ろ髪が、ゆらゆらと水面をただよう。
 しばらくして、弁丸は瓜に手を伸ばした。まだ瓜が冷たく感じるので、自分は十分に冷えていないと手を離し、じっと水中でおとなしくする。
 佐助は、弁丸が走ったから、よけいに熱くなっていると言った。ということは、動けば熱くなる。鍛錬の時など、体が熱くなり汗が吹き出すから、そういうことなのだろう。早く冷えるためには、じっとしていなければならない。
 弁丸は水の中で、なるべく動かないように気をつけた。そして時々、瓜に手を伸ばして自分が瓜と同じ位に冷えたかを確かめ、まだだと知って手を引っ込める。
 それを繰り返しているうちに、弁丸の指先の感覚がだんだんと薄れていった。体の奥が寒くなってきた。
 これほど寒気を感じるという事は、自分が十分に冷えてきた証拠だろうと、弁丸は唇を引き結び寒気に耐えた。もう少し、もう少しだけ冷えたら、瓜を持って佐助の所へ行こう。ひんやりと冷たい瓜を運べば、佐助は喜んでくれるだろう。暑いのが苦手な佐助なのだから、きっと嬉しがるはずだ。自分もよく冷えたのだから、佐助に抱きついても平気だろう。ひんやりした自分で佐助が涼み、庭奥の木陰で冷たい瓜を食べ昼寝をすればいい。それはきっと、素晴らしい時間になるに違いない。
 ニコリとした弁丸の耳を、悲鳴と怒声を交えた鋭い声が貫いた。
「何やってんのさ!」
 驚く間に、弁丸は水から引き上げられた。ずぶぬれの弁丸を、佐助が抱えている。
「ああもう。唇、紫色になっちゃって……水浴びをするにも、限度ってもんがあるでしょうが」
 弁丸を抱き上げた佐助があたたかくて、弁丸は目じりをとろかせ、佐助の頬に両手をおしつけた。
「心地よいか? 佐助」
「え」
「弁は、よく冷えておるだろう」
 弁丸が何を言わんとしているのか、わからずに佐助は彼を見る。弁丸は嬉しげに佐助の首にしがみついた。
「こうしても、熱くはあるまい。瓜を運ぶのに、弁が熱くては、佐助の所に行くまでに、ぬくもってしまうからな」
 あっけにとられた佐助に、弁丸は幸せそうに甘えた。
「こうしておっても、熱くはないだろう?」
 弁丸が何故、唇が紫色に染まるまで池に浸かっていたのか。それを知った佐助は、怒気を収めた。
「……まったく、もう。おバカさん」
 ぎゅ、と弁丸を抱きしめる。
「熱くはないか? 佐助」
「熱くないよ。弁丸様は、寒くない?」
「佐助がぬくいゆえ、大丈夫だ」
「そっか」
「うむ」
「弁丸様」
「ん?」
「弁丸様が風邪を引いたら困るから、もう、自分を冷やしてくるのは、これっきりにしてくれよ」
 弁丸が眉間にしわを寄せた。
「風邪を引いたら、熱が出て大変だからさ」
「……わかった」
 しぶしぶと了承した弁丸を抱きしめたまま、佐助は片手で笊を手繰り寄せ、弁丸に持たせた。弁丸がじっと、縄をほどく佐助の指を見る。硬く結ばれていたものを、たやすく解いた佐助の指が、弁丸には手妻のように思えた。
「こうすれば、瓜は冷たいまま運べるから。次からは、縄を解いてね」
「うむ」
 目元をゆるめた佐助は、腕に弁丸の着物をかけ、弁丸をかかえたまま歩き出した。弁丸は、しっかりと笊を持っている。
「木陰に行って瓜を食べて、太い枝の上でお昼寝、しよっか」
 木の上での昼寝は、弁丸が落ちないよう、必ず佐助の腕に包まれて行うことになっている。
「そこなら、弁丸様が熱くなっても、風がよく通るから、気持ちがいいと思うよ」
「うむ!」
 声を弾ませた弁丸は、池の水で冷えた体に、佐助のぬくもりが伝わってくるのを、心地よく受け止めた。
2014/08/05



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