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どこまでも清らかな命よ 立ち上がれ

 月明りの差し込む私室で、真田幸村は黙然と座していた。
 風も無い秋の夜。聞こえてくるのは、虫の音ばかり。けれど幸村は、それを聞いているわけではなかった。握る拳は、強すぎるがゆえに震えている。とても秋の夜を楽しんでいる風情ではなかった。
 音も無く、部屋の隅に溜まっていた闇が濃さを増し、湧き上がって人の形を取った。それは足を滑らせ、幸村のかたわらに寄った。
「大将」
 声をかけても、幸村は動かない。
「そろそろ休みなよ。明日も、早いんだぜ」
 陰が膝を着いた。
「佐助」
 前を向いたまま、幸村は声をかけた。
「うん?」
 彼の忍、猿飛佐助は腰を下ろした。
「俺は、甘いのだろうか」
 何を今更、と佐助は心の中でつぶやく。
「どうしたのさ」
 そう問いかけたが、何があったのか、主が何を気にしているのかを、佐助は知っている。彼のことで知らぬことなど、皆無に等しかった。
「歩き巫女と会ったのだ」
 拳をゆるめ、肩を丸めた幸村は、ひどく打ちのめされているように見える。
「収穫の感謝と、次の実りの祈願を頼んだという村に、行ってみた」
 佐助は静かに、重い荷物を背に、どこまでも続く石段を登っていくかのような、幸村の一言一句の深い息に耳を傾ける。
「巫女は空家で祈祷の最中と言う。俺は待った」
 そう、幸村は“祈祷”をそのままの意味で捉え、村の男たちと同じように待った。初心で実直な主の目にしたものを、佐助は知っている。なんだそんなもの、と鼻先であしらう程度の事柄だと思っている。けれど幸村は違っていた。
「巫女は、ようよう娘になったばかりという年頃だった。――祈祷を頼めば」
 思い出した幸村は、胴震いをした。
「艶冶に、媚びるように笑って、衣を落としたのだ」
 おぞましいものを見たと示す主の気配に、佐助はそっと息を吐いた。何も珍しいことではない。歩き巫女とは、そういうものだ。そう、言えなかった。
「俺は驚いた。巫女は俺を誘った。その手を払いのけ、祈祷を頼みに来たと言えば、これが祈祷だと俺の帯を解こうとした」
 幸村は唇を噛んだ。
「巫女の肌には、無数の傷があった」
 傷ではなく、うっ血。村の男たちの残した、祈祷の証があった。佐助は巫女に会い、彼女の口から直接、幸村とどのような会話をしたのかを聞いていた。知っていて、幸村にしゃべらせている。
「肌身を重ね、まぐわうことで祈祷を行うという。――俺は、破廉恥なと言った」
 奥手というものを通り越してしまうほどに、年齢に不釣合いな純真さを持っている主には、刺激の強すぎることだったろう。これが成熟した女ならば、まだ衝撃も少しはマシであったのかもしれない。巫女は、子どもを少し脱したという程度だった。
「巫女は俺をねめつけた。破廉恥とは何事だ、と。侮辱をするなとも」
 幸村は背を丸め、呻きながら床を叩いた。
 佐助は聞いていた。巫女から、幸村にどんな言葉を浴びせたのかを。
 侮辱をするな。これが我らの生業だ。それを誹るというのなら、他の生きる道を用意してみろ。貴様一人に何ができる。我を救うというのなら、他の歩き巫女も同様にするのか。日ノ本中の歩き巫女を、貴様は救うのか。救うとして、どうするというのだ。貴様が食わせるとでもいうのか。それなら我を娶るか。武家の者は多くの妻を持つのだそうだな。全ての歩き巫女を、貴様の妻としてみるか。
 幸村は一言も返せず、ただ気圧されていただけだったと、佐助は聞いた。圧倒されている幸村を鼻で笑い、巫女は続けた。
 武家は民を守るものなのだろう。その武家が戦を起こし、民の生活を苦しめ、我のような者を生み出す。我を破廉恥というのなら、貴様らは何だ。搾取し、虐げるばかりではないか。我らをありがたく思え。貴様らのような傲慢な輩に向かう、民草の恨みをこの身に受けて、浄化をしているのだからな。
 幸村は絶句したまま、巫女の言葉を聞いていた。巫女は幸村の驚愕を真実と知り、いぶかしんだ。本当に、歩き巫女がどのようなものかを知らぬのかと、幸村の顔を覗いた。
「巫女の声は、静かなものだった。だが俺には、身の底から湧き上がる叫びに思えた。――巫女の香りに我に返り、俺は巫女の落とした衣をつかんで、裸身を包んだ。その肩は細く小さく、たよりないものだった」
 幸村は拳を開き、巫女の体の頼りなさを思い出す。強く力を込めれば、あっけなく砕けてしまいそうな肩だった。その身も、抱きしめれば腕の中におさまり、隠れてしまうと思われた。
「そんな女子が、必死で生きている。多くの男を相手に、毅然と生きていた」
 虚勢ではない。彼女は自分の生き方に、誇りすらもっているようだった。
「俺はそれを、破廉恥という言葉で貶めたのだ」
 幸村はそのことを悔い、自分の無知を悔い、そうしなければ生きていけない者たちへの謝罪に包まれ、身動きが取れなくなっていた。
 幸村のせいではない。歩き巫女だけでなく、白拍子もまた、似たような生き方をしていると考えれば、それは彼が生まれるよりも、ずっと昔から行われていること。預かり知らぬこと、と言ってしまっても差し支えがない。実際、そのようなことは知らぬと、言ってのけるものは大勢いる。けれど幸村には、それができなかった。
 それを甘いと、人は言う。偽善だ、と佐助も思う。他の誰かが同じことを言えば、佐助は鼻先で笑い飛ばし、バカじゃないのと呆れるだろう。だが、幸村は違う。何がどう違うと明確に表現できないのだが、佐助は肌身で、幸村は違うと感じていた。
 偽善は、力のある者が発すれば、偽ではなくなる。夢物語は、理想は、力ある者が唱えれば、現実に変わる。
 佐助は幸村に、少なからずそうさせる力があると、本能ともいうべき感覚で認識していた。
 絆を力と唱える、徳川家康のように。
 幸村といい、家康といい、武田信玄を師と仰ぐ男は、どうしてこうも甘っちょろい理想や理念を抱えているのだろう。そう思った佐助の口の端が、あたたかみのある形で持ち上がった。
「それで? どうするつもりなのさ」
「む、ぅ……」
 そこからどうするかを、幸村は帰ってからずっと、考え込んでいた。そして答えが出ぬまま、夜が更けてしまった。そろそろ助言をする頃合と見て、佐助は姿を現したのだった。
「とりあえずさ。あの巫女に声をかけて、くのいちとして働いてもらうってのは、どうかな」
 幸村がきょとんと佐助を見た。
「歩き巫女ってのは、色々なところに行くだろう? 民の声を直接聞く事もできる。正直に、話すだろうしね」
 幸村が床に手を着き、くるりと体ごと佐助に向いた。
「どういうことだ」
「大将の力だけじゃ、無理だって言われたんだろ? だったら、助力を頼めばいい。好きでもない男に肌身を許さなければ、生きていけない女を救うため、天下を静謐へと導くために、力を貸して欲しいって」
 幸村は食いいるように佐助を見ている。
「おっと。それを、必要な犠牲だなんて考えるなよ。そんなことを言い出したら、戦に駆り出されて命を落とす男も同じってことになる。巫女は毅然としていたんだろ? だったら、それに敬意を表して、手助けを頼めばいいんじゃないのかな」
 幸村は佐助から目を離した。優しすぎる主は、忍すら使い捨てにできないことを、佐助は知っている。だからこそ、巫女をくのいちとして使用することを、決断して欲しかった。彼に、その覚悟を持ってもらいたい。
「大将」
「――少し、考えさせてくれ」
 佐助は腰を上げた。
「女は守るもの、男は戦うものって、そういう単純な区分けは、しないでくれよな」
 幸村は、うなだれたままで答えない。答えられなかった。
「それじゃ、おやすみ」
「ああ」
 返事をしたものの、幸村は石になったように動かなかった。
 明け方になってようやく、幸村は顔を上げて天井に向け、声をかけた。
「佐助」
「はいよ」
 間髪入れず、佐助が姿を現す。
「あの巫女は、まだ村に留まっているだろうか」
 主の顔に覚悟があるのを見て、佐助は唇を横に開いた。
「俺様が案内するよ」
「頼む」
 幸村が戸を開けば、昇りはじめた日の光が、眩しく体に突き刺さった。
2014/10/17



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