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追悼

 遠駆の途中で目の端に映ったものに興味を引かれ、真田幸村は馬の足をゆるめつつ、そちらへと進ませた。
 幸村の進む先に、土饅頭がある。その大きさは子どもが雪遊びで作るカマクラほどもあった。そこに花を添えている者たちがいる。
 ひづめの音に気付いたのか、そのうちの一人が振り向き、幸村の姿を見て顔を強張らせた。幸村が馬を止めて下りれば、他の者たちも幸村の姿を見て警戒を示す。
 幸村の身なりは整っており、賊の類には見えないが、それは彼の身分が平民ではないことを示していた。この日の幸村は、槍を背にしてはいるが、戦装束では無い。小袖に袴。足ごしらえは皮の脛当に頰貫という出立であった。武家の、しかも騎乗を許されるほどの身分である事は、ひと目で見て取れる。畏怖を示した彼らに、幸村は苦笑交じりに頬を掻いた。
 戦場を駆け巡り、ただひたすら領主である武田信玄の役に立つことだけを考えていた幸村だが、戦のため諸方を行き来し、さまざまなものを目にし接する機会を経て、自分とは違う暮らしの者たちがいるという事を、皮膚感覚で知った。幸村の事を知る里の者らの親しげなものとは違う、今向けられている反応の方が多数であると認識している。けれど、居心地のいいものではない。
「邪魔をしてすまぬ。俺は真田幸村と申す者。馬を駆けさせている折に、そなたらの姿が見え、何をしておるのか気になったので足を止めた」
 危害を加えるつもりは無いと、幸村は彼らに歩み寄らずに告げた。物を知らぬころは不用意に近付き、怯えを殺意に変えた者に襲いかかられる事があった。どうしてわかってくれぬのかと、憤った事もあった。だがそれは仕方のない事と、幸村が全幅の信頼を置く忍、猿飛佐助に諭されて理解した。
 人は、それぞれに違う生き方をしている。それはつまり、考え方が違うという事だ。もっと大きな事を言えば、人それぞれが違う世界に生きており、接触をするというのは違う世界に触れるという事。それを認識して人と接せねばならぬと、幸村は学んだ。不用意に別の世界へ自分の常識を持ち込むと、齟齬をきたす。相手が警戒を示す時は、こちらを理解してもらう間を持たなければならない。でなければ、無用の傷をどちらか、あるいは両方が受ける事となる。
 幸村を警戒する者たちが、探るように目配せをしあい、年配の男が代表として前に出た。
「ワシらはけっして、徒党を組み一揆を行おうとしていたわけではございませぬ」
 幸村は彼の言葉を吟味した。一揆を行うつもりは無いと弁明するのは、どういう理由からか。ここに佐助がいれば、このあたりの土地の事情を、聞かずともささやいてくれるのにと思いつつ、幸村は小さく頷いた。
「そのような嫌疑を持って、馬を止めたのではない。俺は、その土饅頭をなにゆえ取り囲んでおるのかが、気になったのだ」
 幸村の問いに、気配を膨らませた者、憂いを帯びた者、戸惑いを見せた者があった。代表として前に出ている男はそれらの感情を背に受け、噛みしめるように瞼を下ろした。
「これは、この地が戦場となった折に犠牲となった、武器を持たぬ者たちの墓でございます。今日は彼らの命日でございますので、皆で参っておりました」
「武器を持たぬ者」
 幸村が繰り返すと、男は目を開いた。そこには虚無に限りなく近い哀しみが映っている。
「女、子ども、年寄り。そして徴兵に叶わぬ身の男たちが、眠っております」
「……それは」
 それがどういう事か、幸村は知っている。許されざる事だと、幾度も憤慨をして来た出来事。けれど当然のように繰り返されている事柄。
 戦場の近くにある里や町は、例外なく下層の兵士や傭兵らに蹂躙される。略奪を目的として戦線に加わる者もいた。
「逃げなかったのか」
 大軍が動けば、まもなく戦が起こるという事がわかる。逃げる間もあっただろうにと幸村が言えば、男は力無く微笑んだ。
「何処に、逃げる場所などありましょう」
「戦はずっと続くわけではない。一時、木々の間に身を隠す事も出来たのではないか」
 男はゆるくかぶりを振った。
「我らにとって、戦は天災と変わりませぬ。逃れる術の無い事。事前に知らせ、逃げるよう指示を出されるところもあると耳にした事はございますが、行く当てなどございませぬ。この土地を捨てて、遠くへ行けるはずもありませぬ」
 男が幸村の背後に視線を投じた。幸村は肩越しに背後を見る。そこには穏やかな里の風景が広がっていた。戦禍の傷跡など、どこにも見えない。
「あの戦から、二十年が経ちました」
「二十年」
 顔を戻した幸村の表情に気付き、男がつぶやく。男は傍らに立っていた娘の背を軽く押し、前に出した。
「その時に赤子だった者が、このような娘に育ちました」
 女が深く頭を下げ、幸村は軽い会釈を返す。
「二十年のうちに、村の形は一応の体裁を整える事が出来ました。ですが」
 男が言葉を切り、幸村は彼らの後ろにある土饅頭を見る。二十年前の戦禍の犠牲となった人々の眠る場所に、彼らはどんな思いを向けていたのだろうか。
「よろしければ、村で一休みなさいませんか」
 男の提案に幸村は頷き、憤りや悲しみ、戸惑いの視線を身に浴びながら村へと向かった。

 幸村を誘った男は、この村の長だった。彼の家は生活の気配が、しっくりと馴染んでいる。どこにも悲惨な状態に遭った気配は感じられない。けれど円座を示され座した幸村は、穏やかな村の端々に見え隠れする二十年前の傷跡を、腰を落ち着けるまでに見て回った。
 朽ちた家や田畑。焼け跡の残る民家。血の跡や鋭いものを当てられた跡を残す柱など。
 言われ、注意をして見なければ気付かないものばかりだった。それらを村の者達はひとつずつ、幸村に示し当時を語った。
 それはまさに、天災に見舞われたとしか表現の出来ぬ状態であった。
 先ほど幸村が問うたように、大軍が近付いてくる事を知り山に潜んだ者もあった。家屋の死角に身を隠した者もあった。けれどその誰もが、等しく災いに見舞われた。
 戦はこの世の常。いつ起こるかわかるというだけ、自然災害よりはマシという程度。被害の程度は言うべくもない。
 出された白湯を啜りながら、幸村は考える。彼らは何故、自分を招いて語ったのかという事を。
 誰もが、幸村に恨みを語ったわけではなかった。逃れられぬ災厄と受け止め、哀しみや苦しみを吐露しても、武士を憎むような発言は無かった。二十年という時が、憎み恨む気力を彼らから奪ったのだろうか。
「不思議でございましたか」
 沈考する幸村に、村長が語りかける。
「村を襲った相手を恨み、憎み、そのために武家である貴方様に繰言を告げる者がいない事をです」
 幸村は正直に頷いた。
「俺は、幾度も戦場に出た。戦の常と略奪をする者たちを快くは思うておらぬ。だが、俺が気に入らぬと言うても、それを生計(たつき)にしている者もおる。許しておるわけでも、認めておるわけでも無い。だが、俺がそのように思うておっても、侍は皆同じと、憎しみを向けられる事があった。村への誘いも、そのような扱いのためと考えたが、ただの一人もそうはせなんだ。怒りを浮かべる者はおったが、怒りと憎しみは違う」
 何故だろうかと気配で問うた幸村に、村長は問いを向けた。
「嫌な扱いを受けるかもしれないと思われながらも、何ゆえ村に参られました」
「知らねばならぬと思うたからだ」
 ほう、と村長が眉を上げる。
「俺は武士。里の者たちにとって、災厄をふりまく者と見られる事があると知り、思い悩んだ。そんな折、我が師であり主君でもあるお方が、違う生の道もあると仰せられた。我が忍にも、人はそれぞれの価値があると言われた。――俺は何も知らぬ。里人を守らねばならぬというのに、その生き方を何も知らぬ。同じ人であるというのに、何もわかってはおらぬ。だからせめて、同じ場所に立つことはできずとも、聞こうと思うたのだ」
 村長はゆっくりと首を縦に動かし、幸村の言葉を受け止めた。
「ただ聞いてくださるという事は、何よりもありがたい」
 村長が手を着き、頭を下げる。
「慰めは腹の足しにならず、過度な励ましは心の圧迫を招き、無関心は言い知れぬ虚無を味わう。貴方様のように、ただ聞き、受け止めてくださる方はおおいにありがたい」
 幸村は目を丸くし、あわてて膝を立てた。
「そのようになさらずとも」
「いいえ」
 村長は強い目で幸村を見た。
「このような者たちがいるという事を、ワシらの事を知ってくれている方がいるというだけで、ありがたいのです。どうぞ、覚えておいてくださいませ」
 幸村が頷こうとした時に、カタリと奥で物音がした。
「どなたか、おられるのか」
「家内です。ご挨拶もせず、申し訳ございません」
「いや……かまわぬ」
 実は、と村長が自嘲に似たものを頬に浮かべる。
「家内は、あの日を受け止める事が出来ず、武家の方を見れば嫌でも思い出してしまうと……」
 語尾を濁す村長に、幸村は気にしていないと首を振った。
「あの日に捕らわれ、動けぬ者もおるのです」
 言いながら、村長が土間に目を向ける。子どもたちが興味深そうな顔で覗いていた。
「これ、お前たち」
 叱ろうとした村長を手のひらで止め、幸村は笑みを浮かべて腰を上げた。
「侍が珍しいか」
 もじもじとしながら、子どもたちが頷く。
「侍は、魚取りとかする?」
「魚取りも、獣追いも得意だ」
 目を輝かせた子どもたちが幸村を誘い、それに応じた幸村は夕刻までを遊び過ごし、帰路についた。
 夕茜を浴びた土饅頭の前で馬を下り、幸村は合唱する。脳裏に、村長の言葉が響いた。
 ――失われたものを取り戻そうと、悲しみから逃げようと、支えを欲してひたすらに再興したのです。嘆く間など、ございませんでした。この場所を捨てる事も無く、行く当ても無く、ただただ無心に働き、ようやく落ち着きを取り戻したところで、心が当時に向くようになった者もございます。我らにとっては、まだまだ終わらぬ災禍でございます。
 それと共に、幸村は敬愛する武田信玄の言葉を思い出す。
 人は石垣、人は城。一夕一朝で村は成らず、町は成らず、国は成らない。壊れたものは二度と治らず、時は戻らず。
 領地を求める折に、民の被害を最小限にと考える策の下地にあるのは、それであった。信玄に代わり大将を任される幸村もまた、意識をしておかねばならぬものが、あの村にはあった。
 ――慰めは腹の足しにならず、過度な励ましは心の圧迫を招き、無関心は言い知れぬ虚無を味わう。貴方様のように、ただ聞き、受け止めてくださる方は多いにありがたい。
 その言葉の意味は、幸村にはわからなかった。だが、それでいいと今は思う。戻って佐助に話をしよう。彼なら答えを導く手伝いをしてくれる。心の道筋、考えの整理の仕方を示してくれる。
「ああ、そうか」
 そういう事かと気がついて、幸村はほんのりと笑みを浮かべた。少しでも早く戻り、彼の日常に欠かせない人の顔を見たい。
 土饅頭の中に眠る人々に一礼をして、馬にまたがり帰路を急ぐ幸村の後ろ髪が、彼らの思いを連れて揺れた。
2015/01/17



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