山の中を行くのは、足腰の鍛錬となる。それとともに獣の気配などに対して、意識を配っておかなければならない。その上で目的のものを探すというのは、なかなかによい修行となる。 おまけに、わずかながらも財政のやりくりに貢献できるとあれば、はりきっておこなってしかるべし。 そうはりきって、栗拾いにはげんでいるのは、真田幸村という名の侍だった。 少年の幼さを残す頬。鍛え抜かれた伸びやかな四肢。鷹羽のような色のクセ毛は襟足のみが長く伸ばされ、ひとつに結えられている。 いまの姿からは想像もできないが、彼は戦場では真っ赤な戦装束を身につけていることから、紅蓮の鬼と称されるほどの猛将である。 そんな彼は、栗拾いをするような身分ではないのだが、自他共に認める好敵手、奥州の独眼竜と呼ばれる伊達政宗が兵糧の研究にも余念がないと耳にして、自分もなにか、そのようなことをしたいと、腹心であり兄弟のように近しく感じている忍、猿飛佐助に相談をした。するとそれならとりあえず、保存の利く栗でも拾ってきてくれると助かるかも、と冗談半分で答えられた。「誰かさんたちが修行だとか言って、遠慮なく暴れ回ってくれちゃったりするから、あちこち壊れて修繕費がかさんじゃうんだよねぇ」 主に対する言動とは思えぬ態度で、佐助が遠慮なく盛大なため息とともにボヤくと、なるほどたしかにと幸村はうなずいた。 師である武田信玄と、遠慮なく拳を交えるたびに、あちらこちらを壊してしまっている。幸村は素直に得心し、栗を拾いにいくことにした。「あ、旦那。キノコの見分けはつかないだろうから、安易に取ってこないでね。触るだけで危険なものもあるから、ぜったいに触れないこと。それと、里から近いところの栗は、拾わないでよ。里の人間が冬を越すために、必要なものだからね。旦那なら、普通の人が入れない場所にも、いけるでしょ。イガは外して、虫の食っていない、中身だけを持って帰ってよ。それと、夕方までには必ず戻ること。いいね」 まるでちいさな子どもを使いに出すような物言いで、佐助は幸村を送り出した。 幸村は佐助の注意を意識しながら山に入り、目を凝らして栗を求めて奥へと進んだ。そしてようやく人の足の入りにくい場所にある、立派な栗の木を見つけ、足でイガを割っては中身を麻袋に放り込んだ。「このぐらいで、よいか」 幸村は満足げに、ふくらんだ麻袋を腰に結びつけた。すべて取り尽くしてしまっては、山の獣が困ることとなる。明日は別の木を探そうと、幸村は栗の木を見上げた。「――ん?」 呼ばれた気がして振り向く。しばらく耳を澄ましてみたが、その後に続く声はなく人の気配もしない。空耳かと片づけて山を降りようとすれば、また声がした。 旦那、とたしかに聞こえた。「佐助?」 幸村をそう呼ぶのは、佐助しかいない。なにか、自分を探す用事でもできたのだろうかと、幸村は声を上げた。「佐助ぇええ!」 幸村の声に驚き、近くにいた鳥が羽ばたいた。しばらく待ってみたが、佐助は現れない。おかしいなと首をかしげれば、また「旦那」と聞こえた。「よもや、なにごとか問題があったのではあるまいな」 佐助は優秀な忍であるので、しくじりなどはするはずないと常々から信頼している幸村だが、不測の事態に陥っているのかもしれないと考え、顔を険しくした。 幸村は意識を耳に集中し、旦那とふたたび聞こえた方向へ、渾身の力を込めて駆けた。 呼び声を求めて走った幸村は、うっそうとした場所に出た。そこで、「旦那ぁ」とちいさな声がしている。 佐助はどこか、洞窟の中にでもいるのだろうか。そう考えた幸村は、それらしい場所はないかと目をこらした。しかし、なかなか見つからない。「どこだ」 呼んでみるも、声の場所は近くも遠くもならない。幸村は懸命に声の出所を探し、そして――。「なんと」「だんなぁ」 幸村はとうとう発見し、にっこりとして共に山を降りた。 幸村の拾ってきた栗は、半分は保存用、残り半分は、おこわとなって夕餉にでた。「あれ。旦那、なんで栗をよけてんのさ」「ん?」 佐助が幸村の茶碗に疑問を投げる。幸村は栗を端によけて食べていた。「栗、嫌いだっけ」「気のせいだ。食べておるぞ」「でも、それなら栗がそんなに茶碗に残っているはずないんだけど」 すべて見通していると言いたげに、佐助がほほえむ。幸村はなんとかごまかせないかと言葉を探したが、不器用で素直な気質の彼にそんな芸当ができるはずもなく、しゅんとうなだれ佐助の顔色を伺うように、告白をした。「山で拾ったものに、食わせてやろうと思ったのだ」「山で拾ったって、なにを拾ったのさ。親からはぐれた子ぎつねとか、子だぬきとか、そのへん?」 佐助が眉間にシワをよせると、幸村は首を振った。「佐助だ」「……は?」「だから、佐助を拾うたのだ」「俺様が山に落ちてるわけ、ないでしょ。ここにいるんだし」「しかし、拾うてきたものは、たしかに佐助なのだ」 佐助は片目をすがめて首をかしげた。「とにかく、その、俺様だって旦那が言い張っているもの、見せて」 ひょいと佐助が片手を出す。幸村は懐紙を取り出し栗をいくつか包むと、残りをかきこみ茶を飲んで、食後の挨拶もそこそこに立ち上がった。「部屋におる」 幸村は佐助を伴い私室に入った。「だんなぁ」 するとちいさな声がした。佐助の声とは似ても似つかないが、幸村を「旦那」と呼ぶのは佐助くらいのもの。おそらくそれで、幸村は「佐助を拾った」と言ったのだろうと、佐助は予想した。「待たせたな、佐助。腹が減っただろう」 幸村はにこにこしながら部屋の隅に行き、畳の上を両手ですくうようにして持ち上げた。「佐助。これが、佐助だ」 ほら、と幸村は得意そうに佐助に両手を突き出す。彼の手の中には、加賀は前田の風来坊と呼ばれる前田慶次の相棒、小猿の夢吉のようなものがあった。 それが「だんなぁ」と言っている。「えっ……と、これは、なに?」 どう見ても、小猿ではない。しかし、他の獣でもない。夢吉が人の姿に化けた……いや、佐助の仮装をしている、としか表現できないものが、幸村の手のひらにおさまっている。「佐助だろう」「ええっと、ああ、うん、そう……だね。俺様に似てるけど、でも、俺様じゃないしなぁ」 佐助が佐助モドキの頬をつつくと、それは幼児のようにほほえみ「だんなぁ」と言った。「これってば、もしかして木霊かも」「木霊?」「うん。古木なんかに宿る妖怪みたいなもんで、山彦も木霊の仲間だって言われているんだけど」 佐助がまじまじと木霊と思しきものを見る。「だんなぁ」 ちいさな手が佐助に伸びる。佐助が指を差し出すと、佐助モドキはギュっと握った。「だんな」 にこっとする佐助モドキに、幸村が満足そうにする。「佐助も佐助を気に入ったようだな」「旦那、それってば、どっちがどっちかわかんない」「ぬ。それもそうだな。……では、サダマと呼ぶことにしよう」「サダマ? なんでサダマ」「木霊の佐助だから、サダマだ」 幸村が、どうだと言わんばかりに胸をそらす。「いまからおまえは、サダマだぞ。サダマ」「だんな」 呼びかけられた、サダマと命名されたものが、うれしそうに両腕をバタバタさせる。「おお。気に入ったか、サダマ」「だんなぁ」 なんだか楽しそうな様子に、佐助は頬を掻いた。「で。それ、どうすんの」「ん?」 幸村が栗をサダマに与える。サダマはうれしそうに栗をほおばった。「木霊は古木の精だからね。もとの古木に返しに行くのが、一番だと思うんだけど」 飼う気まんまんな幸村は、佐助の渋い顔に叱られる前の子どものような表情になった。「サダマは俺を呼んだのだ。俺のもとへ来たいということであろう」「旦那を呼んだんじゃなくって、たまたま俺様が旦那を呼んだ声を真似してただけでしょ」「しかし、姿も佐助によう似ておるではないか」「姿が似ていても、旦那と一緒にいたいってことにはならないぜ」「俺が見つければ、サダマは両腕を伸ばして笑ったぞ。俺とともに来るかと問えば、俺を呼んだ。来たいという意思表示であろう」「だんなぁ」 そのとおりだと言うように、サダマが言う。「旦那、って言葉以外は喋れないんじゃない。呼んだんじゃなく、ただの鳴き声だと思うけど。……ええと、サダマ。ほかに、なにか言ってごらんよ」「だんな?」 佐助がサダマに話しかけると、サダマが首をかしげた。口の回りに栗の欠片がくっついている。佐助はそれを指でぬぐってやりながら、どうしたもんかとつぶやいた。「どうだ、佐助。サダマが木霊というのであれば、なにかの役に立つこともあろう。忍の技など仕込めぬか」「妖怪に忍の技ねぇ」「だんなぁ」 思案する佐助を、なにかを訴えるようにサダマが見る。「サダマもこうして、佐助に頼んでおるではないか」 幸村はすっかりサダマの意思表示を理解していた。佐助はサダマと幸村に思案顔を向ける。「佐助」「だんなぁ」 説得と懇願の声を受けて、佐助はやれやれと首を振り「しかたないなぁ」と承諾した。パッと顔を明るくした幸村とサダマが、顔を見合わす。「ただし! 旦那はちゃんと、世話をすること。サダマは修練を積むこと。いいね」「無論」「だんなっ!」 幸村はキリリと眉をひきしめ、サダマは両腕を上げて気合十分な返事をした。「まったく。これから、どうなることやら」 佐助のぼやきも耳に入らず、幸村とサダマは喜んでいる。 こうして甲斐は武田の真田忍隊に、珍しい仲間が入隊することとなった。 とっぺんぱらりのぷう。2015/11/04