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防寒具

 ふわふわとした綿を、そっとつかんで着物の間に入れる。慎重すぎる手つきはぎこちなく、顔は真剣そのもので、まるで火薬を扱っているようだと、忍の猿飛佐助は思う。
「旦那、そんなに恐々としなくても、大丈夫だよ」
 佐助の声に顔を上げた旦那こと真田幸村は、ふうっと息を吐いて座りこんだ。
「なれど佐助。強く握れば、綿がかたくなってしまうと申したではないか」
 子どものように頬を膨らませた幸村に、「言ったけどさぁ」と佐助は眉を下げる。
「旦那のそれは、慎重すぎるって」
「少しでもやわらかな具合にしておきたいのだ」
「そっかぁ」
 ほほえましく見守る佐助は、少しも針を動かす手を止めずに、幸村のできることはないかと考えた。
 明日は立冬。ふたりは冬支度のために、綿入れを作っているのだった。
「あ。じゃあ旦那には、力を込めてできる仕事を、たのもうかな」
「ぬっ」
 にっこりとした佐助に、幸村は早く聞きたそうに目を輝かせる。
 本来、ふたりともそんな仕事をするような身分ではないのだが、戦乱の世の中、どこになにが仕込まれるかわからない、不穏な状況なので、お館様と呼ばれる甲斐の領主武田信玄と、主の幸村の綿入れだけは、自分で縫おうと佐助が作業を始めたところに幸村が顔を出し、敬愛するお館様の綿入れであれば、自分も手伝うと言って聞かなかったのだ。
「旦那が作るのは、あっち」
 佐助が目を向けた先には、藁があった。彼が作業をしている部屋は土間から上がってすぐの囲炉裏端で、土間には収穫を終えた稲から籾を取った後の藁が、山と詰まれている。
「これから、雪がいっぱい積もるから、藁靴が必須になるだろ」
「なるほど。そうだな」
 しっかりと目の詰まった藁靴でなければ、雪が内側に染み込んでしまって防寒にならない。慎重にやさしく取り扱わねばならない綿よりも、藁靴を編むほうがずっといいと、幸村はさっそく土間に下りて、木槌を手に藁を石に乗せて叩いた。こうして藁を叩くことで、やわらかくなり編めるようになるのだ。
 木槌の音を聞きながら、佐助は針を進めていく。
 こうして着物に綿を詰める作業をするのは、何度目になるだろう。その回数が増えるということは、佐助が生きて幸村の傍に仕えているということだ。幸村が生きて、冬を越すということだ。
 囲炉裏の火に目を向けて、佐助は口辺に笑みを漂わせる。
 戦乱の世。大きな戦だけではなく、里を襲う野伏の討伐など、命のやり取りをする機会は日常的にやってくる。忍である佐助はもとより、危険な任務にたずさわる機会が多い。危険ではない任務を受けることのほうが、まれだ。幸村は幸村で、他国からも一目置かれるほどの猛将なので、その首を絶えず狙われている。
 佐助は木槌をふるう幸村の、幼さの残る頬ときりりとした目元を見た。こうしてみれば、紅蓮の鬼と呼ばれるほどの武将とは思えない。それは自分も同じだろうなと、針を進めながら思う。
 誰もが、そうかもしれない。
 奥州の領主、伊達政宗。隻眼であることから独眼竜とあだ名される彼の懐刀、片倉小十郎は農具をかついで畑仕事に精を出す。里の民にまじって土をいじり汗をかき、談笑をしながら握り飯を食べる姿を、佐助は見たことがあった。それはとてものこと、竜の右目と称される勇猛で知略に長けた武将とは思えぬほど、おだやかに馴染んだ姿だった。
 兵士たちだって、そうだ。野良仕事や猟をしながら、生活している。兵士として日々、鍛錬を重ねているばかりではない。南方の国々はどうか知らないが、ここ甲斐のような、冬が長く雪深い地域は越冬のための準備の不足が、即、死に繋がってしまう。戦をしながらも、冬を考え春から秋まで、準備をしながら生活をするのだ。
「ねえ、旦那」
「ん?」
 どちらも手を止めることなく、会話をする。
「もしも大将が天下を取って、どこでも好きな土地を、旦那にくれるって言ったら、どうする」
「なんだ、それは」
「いいから、答えて。って言っても、旦那はあちこちを知っているわけじゃないから、よくわかんないかな。……ううんと、そうだなぁ」
 佐助は忍であるので、使いで遠い所まで出かけることがある。なので、ほとんどの土地の特色を知っていた。
「南のほうは、甲斐のように雪が壁になるなんてことのない土地が、あるぜ。冬の期間も、ずっと短い。そういうところなら季節関係なく、旦那の大好きな修行が、たっぷりできるんじゃない?」
「そういうところは、作物を育てるのも楽だろうな」
「ううん、どうかなぁ。土地によって、育てやすいものが違うらしいよ。右目の旦那が、そんなことを言ってたし。だから、特産物があるんだって」
「なるほど。片倉殿は、あちらこちらの農作物についても、詳しいのであろうな」
「戦でどっか出かけるたびに、土の具合も確かめるって言ってたなぁ。ほんと、農民よりも農民らしいっていうか、それよりもずっと熱心で詳しいっていうか……。あの鍋奉行の旦那も、食材に関してはうるさいから、色々と知ってそうだよね」
「小早川殿か。たしかに、あの御仁は鍋に関しては誰にもゆずらぬ気概を放っておられるからな。片倉殿の野菜を慕い、奥州にまで出向いたと聞いたことがある」
「すさまじい執念だよねぇ。――で、旦那。旦那はどっか、欲しいなぁって土地がある? そもそも戦の始まりは、そういうところだろ。より豊かな土地を求めて、領土を広げて民の暮らしを守っていこうってね」
 糸が終わりに近付いたので、佐助は新たな糸を針に通し、しごいた。
「そういうものを、取らぬ狸の皮算用、というのではないか」
「おっ。言うねぇ、旦那。って、ちょっと違うかな。旦那の場合は、大将が天下を取る手伝いをするってことばっかりで、自分がそれからどうこうしようって考えは、していないだろ。皮算用もなにも、考えていないってね」
「ぬ……」
 うまいことを言ったつもりだったが、まったくそうではないと示され、幸村は口をへの字にした。
「あはは。で、旦那。どうよ。ちょっと考えてみな。大将が天下を取ったら、どのあたりを治めたい? どっか、住みたい場所はある」
「そういう佐助はどうなのだ」
「俺様? そりゃあ、雪が少なくて冬が短い、あったかぁくて豊かな場所かなぁ」
「佐助は寒いのが苦手であったな」
「誰だって、苦手だろ。だからこうして、冬じたくをせっせとしているんじゃん」
「なるほど、そうであったな。……しかし、佐助。俺は、冬が嫌いではないぞ」
「そりゃあ旦那は、いつでもどこでも熱血元気ですからねぇ」
 語尾に妙な節をつけた佐助に、幸村は手を止めた。
「あれ。怒った?」
 にやにやと、悪びれた様子もなく佐助が問う。
「そうではない、佐助。俺はな、こうして冬支度をするのが、楽しいのだ」
「楽しい? なんで」
 佐助がきょとんと首をかしげる。すると幸村は、はにかみながら真っ直ぐな瞳で答えた。
「冬は寒い。命の危険があるほどにな。だからこそ、皆がこうして誰かのために、懸命に働くのではないか。寒い冬を温かく過ごせるよう、思いを込めて佐助は綿入れを縫ってくれておるのだろう。俺はこうして、佐助の足が冷えぬよう、丈夫な藁靴を作ろうとしている。そういう作業は、楽しくはないか」
「えっ。……旦那、もしかして自分や大将のじゃなく、俺様のを作ろうとしてくれてんの?」
「むろん、自分のものも、お館様のものも作る。暇があれば、他のものの分も作るつもりだ。なれどいちばんに作るのは、佐助のものだぞ」
「なんで」
 素直な佐助の疑問に、幸村は真夏の太陽のような顔で答えた。
「佐助に温かく無事に冬を過ごしてもらいたいからだ。なんだかんだで、佐助は雪の中、出かけて行くだろう。病になられては困るゆえな」
「旦那だって、大将だってそうだろう。まずは自分か大将のものを編みなって。あ、もしかして。久しぶりに編むから、練習がてらに俺様のものをいちばんにって、思ってたりして」
 まるで友人をからかうような調子の佐助に、幸村は真面目な顔で首を振る。
「佐助は寒がりなくせに、あれこれと気を揉んで出かけるだろう。任務がなくとも、どこそこはどういう具合だと、毎年あちらこちらの里の情報を集めてくるではないか。そんな佐助がいちばん、藁靴を必要としておるからな。佐助のぶんは、何足も作っておくつもりだぞ」
「えっと……」
「どこからも雪が入り込まぬよう、きっちりと温かな藁靴を編んでやるからな、佐助。楽しみにしていろ」
「ああ、うん。ありがと、旦那」
 答えて手元に目をやった佐助の頬が、ほんのりと朱に染まっていたのは、囲炉裏の火のせいではなかった。
「俺様も、旦那の綿入れ、うんと温かいものを作るからね」
「うむ」
 こうして、また来年も同じように、互いのための冬ごしらえができますように。
 佐助はそっと、次の冬も当たり前にこうしていると思っている、無邪気な幸村の横顔に、小さくて大きな願いの目を向けた。
 今年もまた、共に過ごせる冬が来た。
2015/11/07



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