あるかなしかの風にクセのある髪を好きになぶらせ、真田幸村はみごとな月を見上げていた。傍らには月見団子が山と積まれている。それを思い出したように口に放り込んでは、うれしそうに目を細める主の姿を、月光の届かない部屋奥にたまっている闇の中にうずくまって、猿飛佐助はながめていた。「佐助」 幸村が振り向いて、ひと房だけ長い髪がゆれる。「こっちにきて、おまえも団子を食え」「旦那が作ったみたいな言い方してるけど、それを用意したのは俺様なんだぜ」「うむ。わかっておる。それゆえ、ともに食そうと言うておるのだ」「いいよ。旦那がひとりで食べちゃっても」 むう? と幸村が首をかしげる。幼さを感じるその仕草に、紅蓮の鬼と戦場で恐れられる武将の片りんは皆無だった。「いつもなら、食べ過ぎだと怒る量ではないか」「今日は特別。――仲秋の名月だからねぇ」 闇の中で光る佐助の視線が月に動く。幸村の目も月に向いた。「見事な月だな」「そうだねぇ」「……もっと、こっちに来てながめたらいいだろう」「俺様はここでいいよ」「なぜだ」 佐助はちょっとためらってから、正直に答えた。「まぶしいからさ」「まぶしい?」 幸村がけげんに問い返す。「そ。――俺様にとっては、まぶしすぎるんだよ。ああいう月は」「ふむ?」 うなった幸村が月を見上げる。月はしらしらと輝き、闇の濃さを淡く緩めていた。「まぶしい、というほどではないだろう」「闇に生きる俺様にとっちゃあ、足元まではっきり見えるくらいの月明りは、まぶしいんだって」「太陽よりはいいだろう」「太陽は明るい分、闇を濃くしてくれるんだよ」「……わからぬ」「わかんなくっていいんだよ」「なぜだ」「旦那には、縁のないことだからだよ」 佐助は闇の中で薄く笑った。幸村の目には、闇に溶け込んだ佐助の表情は見えない。「なぜ、俺には縁がない」「旦那は明るい道を行く人だから」「……また忍の立場だかなんだかの話か」 ふん、と幸村の鼻から呆れた息が漏れる。「ま、そんなとこかなぁ」「そのようなこと、気にするな」「旦那はちょっと、気にしてよ」「佐助は俺の副将であり、友だ」「そういうの、カンベンしてって言ってんの」「不服か」「不服だよ」「なぜだ」「忍ってのは、そういうものなの」 幸村はちょっと考える顔をして、団子をほおばった。湯呑の中が空になっていると気づいて、佐助はサッと闇溜まりから飛び出し、風となって茶を注ぐと、もとの位置に戻った。「おお、すまぬ」「どういたしまして」「しかし、佐助。そのように世話をするにも、傍にいたほうがやりよいのではないか」「このくらいの距離なら、俺様にとっちゃ隣にいるのと変わりないんだよ」「それは……、すごいな」「まあね」 フフンと佐助が鼻を鳴らすと、幸村がズカズカと奥に来た。掴まれそうになって、佐助はするりと別の闇に移動する。「なぜ逃げる」「捕まえようとするからさ」「佐助。なぜ、今宵は姿を現さぬ」「さあ、なんででしょ」「そろそろケジメを、とでも思っておるのか」「んー。まあ、そんなとこ」「そのようなもの、必要ない」「あるんだよ」「なぜだ」「俺様は忍だからさ」「俺も、忍のようなものだ」「はぁ?」 佐助がとんきょうな声を上げた。「旦那のどこが、忍なのさ」「真田家は兄上が継ぐ。ゆえに、俺は陰で支える。忍もそのようなものだと言っていただろう」「意味合いが違うっての」「佐助」 幸村が闇に向かって両腕を広げた。「ともに月を楽しもう」「楽しんでるさ」「出てこい、佐助」「なんで、そんなにしつこく呼ぶのさ」「佐助こそ、なにゆえ強情に突っぱねる」 堂々巡りの会話に、佐助は太く重たい息を吐き出して、闇溜まりから月光の中へと移動した。幸村が満面に笑みを広げる。「はいはい。これでいいんでしょ」「うむっ。ほら、佐助」 縁側に戻った幸村が佐助を呼ぶ。佐助は団子の皿を挟んで腰かけた。幸村が得意そうに目を細める。「なにさ」「今年も、俺の勝ちだな、佐助」「いつから勝負になったのさ」「はじめからだ」「そうだったっけ」「佐助は強情だからな」「旦那がガンコだからでしょ」 顔を見合わせ吹き出して、ふたりは月に顔を向けた。「いい月だなぁ、佐助」「ほんと。いい月だねぇ、旦那」 しらしらと月光が降り注ぎ、虫の音が涼やかに地面を這う。あれほど萌えさかっていた緑は終幕の色へと変わり、太陽が地上から遠ざかるぶん、夜気が澄んで月の光をふくらませた。「佐助」「ん?」「……いや」 なんでもない、とつぶやいて、幸村は団子を口に詰め込んだ。喉奥に押し込んだ幸村の言葉に気づき、佐助は目じりを柔和にゆるめた。「俺様が生涯、ついていくのは旦那だから。――真田家の忍じゃなくて、俺様は旦那の忍だよ」「…………そうか」「うん。そう」 しばし無言で月を見上げる。「なあ、佐助」「ん?」「月にいるあれは、ウサギだと言われるが、俺には兄上に見える」「ああ、そう言われれば、そう見えなくもないねぇ。武器もちょっと杵に似てるし」「そうだろう」「うん」「……」「……これから、月を見上げるたびに思いだすね」「そうだな」「旦那は旦那の道を行きなよ」「そのほかの道を、俺は進めそうにない」「不器用だからねぇ、旦那は」「苦労をかけるな」「なんの。働き甲斐があるってね」 寂しさを浮かべた幸村のほほえみに、似合わないなと佐助は思う。けれどそれは、成長をした証でもあった。 どんな人でも、平穏なままで生きてはいられない。戦国の世を生きる、生粋の武将である幸村ならばなおさらだ。――せめて、光の当たる場所で生き続けていてほしいと、佐助は願う。「佐助」「なぁに、旦那」「よい月だな」「――うん、いい月だ」 満月にすこし足りない名月が、静かに闇を薄めている。 2016/09/15