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枇杷色の

 さらさらさらーー
 やまない雨が作った小川を、猿飛佐助はぼんやりとながめている。
 雨季に入っても甲斐の虎と若虎はすこしも変わることがないと人は言うが、さとい佐助は「どこが」と思う。
(大将はまあ、そうかもしれないけどさ)
 旦那は違うと佐助は思う。
 さらさらさらーー
 雨の名残が細く長く流れていく。
 これはいつか消えて無くなる。
 きちんとした川ではなく、雨季にたまたま生まれたものだから。
 いまの旦那もこれとおなじと佐助は見つめる。
 従来の旦那―佐助の主、真田幸村そのままではない。
 どこがどうと言われれば、説明できなことはないが、質問をした相手がはたして納得するかどうか。
 おそらくこれを理解できるのは……と、浮かんだ顔に佐助は思い切り顔をしかめた。
 よりにもよって、大嫌いな相手が唯一、感覚でそれを理解し得る相手だなんてと、佐助はみぞおちのあたりをムカムカさせながら、その事実を認めていた。
(おもしろくないねぇ)
 やれやれと自分におどけてみせた佐助は顔を上げた。雲がかかってはいるものの、それは白くさわやかで、合間から青空がのぞいている。このぶんなら雨はしばらくなさそうだと、空気中の雨の気配を鼻で探った。
 おもはゆいほど臆面もなく、幸村は佐助を優秀だとほめる。忍相手になに言ってんだかと、軽く流しはするものの悪い気はしない。それどころか、うれしくさえある。
(毒されてるよなぁ)
 胸中のぼやきが戒め≠ナはなくのろけ≠ノちかいものであると気づいていながらも、胸裡の己はそれを否定しない。
 忍にあるまじきこととは自覚している。
 それなのにどうにも改善しようとしない自身を、受け入れつつも持て余している。
「やれやれ、まったく」
 口に出して自分にあきれて、けれどどこかでしかたがない≠ニ好意的に受け入れながら、佐助はいつ消えるともしれない川に背を向けた。〈br〉  揺らぐことなくその場から飛び上がった佐助の、さきほどまでいたところには砂埃さえ立っていない。
 猿飛佐助という存在の名残は、かけらも残っていなかった。

「旦那」
 声をかければ、井戸端で汗をぬぐっていた真田幸村が振り向いた。陽の光を受け止めた鳶色の髪は明るく輝き、ひと房だけながい後ろ髪が頭の動きに合わせて舞う。
 そんなささいな動きさえ、佐助は美しいくまぶしいと感じてしまう。そして同時に己の闇の深さをまざまざと思い知らされる。
 影に生きる自分が、決して隣に立ってはならない相手。
〉  そう思う佐助に、幸村は屈託なく隣に立てといい、道具として使い捨てるべき忍を主人でありながら友≠ニ呼ぶ。
 まったくもって奇妙な価値観の相手だが、それはもうどうしようもないことと佐助はあきらめている。そしていつの間にか、分不相応にそれを受け入れはじめている自分に恐れを抱いていた。
 己が分をわきまえていれば問題ないと考えていたものが、揺らぎはじめている。
「おお、佐助」
 日差しよりもまぶしい笑顔で幸村が歩み寄ってくる。
 一歩、また一歩となにげなく彼が近づくごとに、佐助は己の闇が濃縮されていくのを感じる。しびれるほどの憧れが胸に萌した。
(ああーー)
 どうしようもないほど惹きつけられると、表面上はいつもの顔で。胸中では目を閉じ天を仰いで、佐助はやるせない吐息を漏らした。
「はいよ」
 軽薄そのものな態度で、佐助は手にしていた竹筒を差し出した。
「おお、すまぬ」
 当然の顔で幸村はそれを受け取り口をつけた。中身は暑気あたり防止に作った、しごく薄めの薬湯を冷ましたもの。
「うむ……」
 飲むのははじめてではないくせに、幸村は不思議な顔つきをした。
「口直し」
 手妻を真似て甘葛をかけた煮小豆の椀を取り出せば、幸村は「おおっ」と目をまるくして顔を輝かせた。こういうことを幾度やっても、幸村は新鮮におどろく。そういう年には合わぬ幼さを危ういと思いつつ、かけがえのないものと感じる佐助は苦笑した。
 悪くないと思ってしまう自分を、忍としての矜持がとがめて猿飛佐助≠ニいう人格はそれもいいと考える。
「旦那さぁ」
甘味が好きな幸村は、ガツガツと小豆をほおばりながら目をあげて佐助を見、にっこりとした。
「え、なに」
 唐突な笑顔に面食らった佐助に、幸村は笑みを深める。
「日の下の佐助の髪の毛は、枇杷の実のようだな」
「は?」
「目に鮮やかで、すがすがしくなる」
「?!」
 とっさのことに切り返せない佐助に、幸村はただニコニコとする。平和だとか幸福だとか、それをさも当然と満面にのせている主の顔に、佐助は好意的な呆れを浮かべた。
「そんな枇杷の妖怪みたいな俺様からの提案なんだけど」
 冗談めかした佐助の顔を、期待を浮かべた幸村の視線が撫でる。
「しばらく雨はなさそうだから、山に枇杷でも取りに行かない?」
「おおっ!」
 幸村の背筋がよろこびに伸びて、やっぱりかと佐助はニンマリした。
(いつも通りってわけにはいかないよなぁ。こう、雨続きだとさ)
 野山の獣のようにのびのびとしなやかな甲斐の若虎が、屋内の鍛錬ばかりで満足できようはずもない。飼いならされた猫じゃあるまいしと、佐助は幸村の反応を当然のこととしながら、やはり誘ってよかったと心の奥をほっこりさせた。
「って言っても、あちこちぬかるんでいるからね。しっかり足拵えをして、獣狩りは無し! そこんとこはしっかり頭に叩き込んでおいてよね」
「わかっておる」
「ほんとかなぁ」
 からかい半分に疑いながら、そうなったらそうなったで対応する気満々の佐助に、幸村は「大丈夫だ」と胸を張る。
「そんじゃま、準備をしたら山に入りますか」
「よう冷えた甘い枇杷なれば、お館様もよろこばれような」
「そうだねぇ。きっと、よろこぶだろうね」〈br〉 「ならば、うんと甘い枇杷の生っておる木に案内せよ」
「はいはい。まかせといてってね。なんせ俺様、枇杷色の髪の枇杷妖怪だから」
 親しく気配でじゃれあうふたりが、ほほえむ日差しに包まれる。

2017/04/13



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