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おおつごもり

 大きな火鉢のぬくもりが、部屋の隅々にまで行き渡っている室内で、猿飛佐助は綿入れを羽織り、のんびりとくつろいでいた。
 室内には誰もいない。張り替えた真新しい障子を、ほんのりと透かして昼の陽光が差し込んでいる。閉め切っていても、充分すぎるほどに明るかった。
「はー」
 のほほんとした息を吐いて、佐助は湯呑に手を伸ばした。すこし前に淹れた茶は、ぬるくなっている。舌にやさしい温度が、佐助の心をさらにほぐした。
「今年も、もう終わりかぁ」
 ぼんやりとつぶやいた佐助は、忙しかった今年を振り返りかけ、苦笑した。
「ずいぶんとまあ、忍らしからぬ行為だよね」
 血なまぐさい裏の仕事を請け負う忍が、こうして火鉢にあたって一年を振り返るなんて、と佐助はクスクス鼻を鳴らした。あたたかな茜色の髪が揺れる。白い細面は火鉢の熱とは別の、感情の起因でわずかに赤くなっていた。
「まったく。どこかの誰かさんが、俺様を人として扱うから」
 文句を言う佐助の薄い唇は、口角が上がっている。その“どこかの誰かさん”はいま、なにをしているのかなと考えるともなしに思っていると、耳なじみのある足音が近づいてきた。
(噂をすれば……ってやつかな)
 佐助が目を細めるのと、スパーンと勢いよく障子が開くのは同時だった。
「佐助!」
「しないよ」
 どこかの誰かさん、こと、佐助の上司である武将、真田幸村がおおきな瞳をきょとんとさせる。この一年で、上に立つものらしき風格がすこしは出てきたかな、と佐助は思っていたのだが、こういう幼さを感じさせる表情を見ると、そうでもなかったかも、とも思う。
 日に焼けた健康的な肌をした幸村は、袴姿だった。火鉢のぬくもりが満ちている室内にいる佐助が綿入れを着ているのに、外気に背中を撫でられている幸村は、すこしも寒そうには見えない。
「まだ、俺はなにも言うてはおらぬぞ」
 名を呼んだだけで断られた幸村が、ひと房だけ長い茶色の後毛を揺らしながら入ってくる。
「せっかく部屋がぬくもってるのに、寒くなるだろ。ちゃんと、開けたら閉めてよね」
 忍が主に向ける口調とはほどとおい佐助の物言いに、幸村は素直に「すまぬ」と謝罪して障子をきちっと閉じた。くるりと振り向き、佐助の横に座した幸村に、佐助は盆の上から急須を持ち上げ、空の湯呑に茶を注いで渡した。
「む」
「来るだろうなと思ってさ」
「そうか」
 茶請けはないけどね、と心の中でつけ加えた佐助の手から、幸村が湯呑を受け取る。グイッと飲んだ幸村は息をつき、佐助はおかわりを注いだ。大きな火鉢には鉄瓶を乗せている。湯気をくゆらせるそれを取って、佐助は空になった急須に湯を注いだ。
「して、佐助」
「なぁにぃ、旦那」
 キリッと眉をそびやかせた幸村に、佐助はのんびりと答える。
「なにを、しないのだ」
「旦那が誘いにきたことを、だよ」
「俺はまだ、なにも言うてはおらぬぞ」
「どうせ、鍛錬につき合え、でしょ。カンベンしてよ。俺様、のんびりしたいんだからさ」
「体がなまってしまうではないか」
「なまらないように気をつけているから、大丈夫」
「なれど」
「あのさぁ、旦那。今日がなんの日か、知ってる?」
 なおも誘おうとする幸村の声を遮って、佐助は膝に肘を乗せ、頬杖をついた。
「なんの……とは?」
「大晦日だぜ、大晦日。今年は今日で、最後なの。明日は新年。あたらしい年になんのよ」
「それがどうした」
「どうしたもこうしたも。年の瀬なんだから、のんびりとした気持ちで一年を締めくくって、来年を迎える心づもりをするもんだろう」
「ぬう?」
「旦那もさぁ、もうちょっとそういう……なんていうのかな。どっしりとしてみなよ。旦那が鍛錬だなんだって、いつもと変わんないことをしていたら、ほかの連中が年末気分を味わえないでしょうが」
「なぜだ」
「なぜもなにも、旦那が鍛錬をしていたら、ほかの連中は自分たちもしなくちゃなんないって気になるでしょうが。旦那は、大将が鍛錬をしていたら、自分もしなきゃって思わない?」
「思う」
「そういうこと。はい、この話はおしまい」
 ズズッと茶をすすった佐助の横顔に、幸村の納得しかねる視線が触れる。佐助はそれを無視して、背をまるめて火鉢のぬくもりを堪能した。
「佐助はいま、一年を締めくくっておるのか?」
「うん?」
「いま、そのように言うたであろう。のんびりと一年を締めくくり、あたらしい年を迎える心づもりをする……と」
「うん、ああ、まあ、そうだねぇ」
「なんだそれは」
「まあ、そんなとこだよ」
 断る口実に適当なことを言っただけなのだが、真面目な幸村はそれを察せず額面通りに受け取っている。そうなることを見越していた佐助は、そのまま適当に受け流して、煙に巻くつもりでいた。
 幸村はあぐらの上にこぶしを置いて、ふうむと考える顔になった。そっと横目でうかがった佐助は、火鉢でじわりじわりと浮かぶ炭の火に視線を移した。真っ黒いなかに鮮烈にまばゆく浮かぶ赤い光。その熱が凍える空気をやわらげて、心身ともに弛緩させるぬくもりを広げている。
 そこから連想したものに、佐助はフッと口元に笑みを乗せた。
「佐助」
「ん?」
「俺は、まだまだ未熟だ」
「なにさ、いきなり」
「いろいろと、振り返っておったのだ」
「へえ」
 佐助の言葉どおり、幸村はこの一年の出来事を思い出していたらしい。
「お館様のごとく、立派な武将となるには修行が足りぬ」
「腕っぷしを鍛えるだけが、修行じゃないからね」
 だから鍛錬につきあえ、と言われる前に、佐助は言った。
「わかっておる」
 ほんとかなぁと疑いを含んだ目で、それでもどこかホッとしながら、佐助は幸村の言葉の続きを待った。
「だが、なにが足りぬのか、どうすればよいのかが……具体的に思い浮かばぬのだ」
 くやしそうに眉根を寄せて、胸元でこぶしを握った幸村に、佐助はフウッと息を吐いた。
「そんなの、誰だってそうじゃない? いろんなことがあって、それでいろいろ考えて、ものを知って、足りない部分に気がついていくもんでしょう」
 佐助の目の奥に、これまで接してきたさまざまな人の姿が浮かんでは消えていく。なにもかも足りている人物など、ひとりもいなかった。みな、どこか欠点があり、どこかが優れていた。
 ひとが、ひとりでできることなど、たかが知れていると佐助は思う。幸村の敬愛する、佐助が大将と呼んでいる甲斐を収める武田信玄であっても、そうだ。他国の武将たちまでもが、一目置いている存在でありながら、それでも得手不得手がある。
 人格者であり、武将としての力量も申し分ない信玄でさえ、できないことはあるのだ。そのために佐助がいて、幸村がいて、そのほかのものたちがいる。信玄が里のものたちにも目をくばり、手ずから彼等を助ける理由は、そこにある。それができるのも、信玄が周囲を心底から信頼し、能力を正しく把握しているからだ。
 若さゆえか、まっすぐすぎる性格のせいなのか、幸村は己の力で成し遂げようとしすぎるきらいがあった。上に立つものは、人をうまく使う方法を身につけなければならない。けれど幸村は、信玄がみずから動く理由が見えぬまま、自分でなんでもしようとしてしまう。
(忍は道具だって、いくら言っても聞かないしさ)
 そこが幸村の悪い部分でもあり、良さでもあった。
「うむ。だからな、佐助」
 幸村が体ごと、佐助に向いた。背筋を伸ばし、晴れやかな顔つきで目に力を込めている。なにごとかと、佐助はすこし腰を引きつつ小首をかしげた。
「なにさ、旦那」
「来年も、よろしくたのむぞ!」
 力強く言い放たれて、佐助は「へっ」と間の抜けた声を出した。幸村はニコニコしている。
「俺ではわからぬことを、佐助はよう気づいてくれるからな。頼りにしておるぞ、佐助」
 目をぱちくりさせた佐助は、唇をすこしゆがめて頬を掻き、部屋の隅に視線を投げた。
「うん、まあ……しかたがないから、世話してあげるよ。旦那は、あぶなっかしいからさ」
「世話をかける」
 照れ隠しの語句も素直に受け止めた幸村に、佐助は口元をほころばせた。
「小腹がすいたね。正月用の餅をついているだろうから、すこしだけ分けてもらってこようか」
「餅つきか! いいな」
 パッと顔を輝かせた幸村が、腰を上げた佐助に続いた。
「言っておくけど、俺様は餅つきに参加しないぜ。あたたかい部屋で、のんびりと過ごすんだからね」
「わかっておる。一年を振り返り、新年の誓いを立てるのであろう」
 ただボンヤリと休みたいだけなんですけどねぇ、とは口に出さずに、佐助はニヤリとした。
 障子を開ければ、刺すような冷気が肌をピリリと痺れさせる。肩をすくめて懐手をした佐助は、すこしも寒さを感じていない様子の幸村に半ばあきれ、半ば感心しながら餅をつく声のする方向へ足を向けた。
 佐助の耳奥で、よろしくたのむぞ、と幸村の声がこだましている。
(こちらこそ、よろしくたのむぜ。旦那)
 幸村の立っている右側だけが、ほんのりとあたたかかった。

2017/12/31



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