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猿芝居

 ヒヤリと体を包む冷気が、どこか優しく感じられるのは、真綿のような雪景色のせいだろうか。
 真田幸村は我知らず微笑を唇に刷いて、左右に雪を避けて作られた細い山道を進んでいた。足ごしらえは藁沓、背には蓑を背負っており、頭には編み笠をかぶっている。
 それだけ見れば身分などわかりそうにもないはずだが、彼の足取りやはつらつとした目つきは、相応の身分を持つものだと自然と周囲に喧伝していた。だが、当人はそんなことには気がついていない。身分などどうでもよいと考えているわけではないが、ともすればそんな風にとらえることもできる言動をする。彼付きの忍などは、しょっちゅう「忍は忍らしく扱え」と言っているのだが、多くの兵を率いる将でありながら、幸村は一向に気にしない。忍を腹心とも友とも呼んで、はばからなかった。
 そんな幸村だが、まったくもって自分の忍、猿飛佐助の言葉を理解していないわけではない。幸村の心情としては「だから、なんだ」であった。
 礼節を重んじる彼であったが、自分に関しては無礼な態度を取られても、相手がどのような人物なのかを知り、気に入ってしまえば問題にしない。そんなところが、年寄も幼く見せる人なつっこい笑みと素直すぎると言っても過言ではない性格もあいまって、里のもの達からは慕われているのだが、忍の佐助からすれば、危うく見える。
 今回の湯治もまた、甲斐の国を治める武田信玄の薫陶を受けし若虎と呼ばれ、その槍裁きは日ノ本に広く知れるほどの勇将としては、気楽すぎると佐助は眉間にシワを寄せて小言を言った。
 聞き入れらぬと思いながらの佐助の小言は、やはり幸村の耳を通り過ぎ、幸村はこうして宿を目指して気楽な様子で歩いていた。
 耳には穏やかに流れる水音が届いている。うっそりと生い茂る木々に隠れて見えないが、この先には大きな湯治の宿があった。
 湯治の宿といっても、ぱっと見た限りでは大きな農家としか見えない造りだ。街道にある宿とはくらべものにもならない。料理もその日に採れた山のものや川のもの、あるいは塩漬けにして保存していたものがほとんどで、とてもごちそうとは言えない食事しか出さない。
 だが、それだからこそ気楽に行けるということで、身分を問わず多くの者が、雪を分けて作られた山道を進んで底を目指す。
 雪をかぶった屋根が木々の隙間から見えて、幸村はわずかに右上の木陰に視線を流した。視線の先には鳥の姿すらもない。だが、幸村には見えぬものが見えていた。
(俺がどこに向かうのか、わかっておるくせに)
 このあたりどころか、日ノ本中のあらゆる場所を知っているはずの相手に向かって、クスリと軽い笑いを鼻から漏らして、幸村は機嫌よく足を動かす。彼の心持ちが、ひと房だけ長い後ろ髪の弾んだ揺れに表れていた。
「おるか!」
 外から大きな声を出せば、腰の曲がった、深いしわの刻まれた男がヒョイと顔を出した。みずみずしい青年の気をあふれさせる幸村の姿を、まぶしそうに目を細めて見た男はニコリとして答えた。
「よう、いらっしゃいました」
「うむ」
 うなずいて、幸村は宿に入った。傘を取り、蓑をあずけて藁沓を脱いだ幸村の前に、男の息子らしい青年が、湯の入った桶を持ってやってきた。
「足がさぞ、冷たくなってございましょう」
「うむ。すまぬな」
 ニコリとして、幸村は湯桶に足をつけた。ほこほこと肌にしみいる湯の温度が心地いい。ほうっと息を吐いて、幸村は戸口の先を見てニヤリとした。やはり鳥の姿も見えないのだが、幸村にはわかっている。
(そのように、こそこそせずとも、堂々と俺の供として来ればよいものを)
 佐助には佐助の考えがあるらしい。まったく無駄なことをと、幸村は鼻息を漏らした。
(ガンコだな)
 心の音が聞こえていれば、きっと佐助は「どっちがさ」とあきれ顔を作る。容易に想像できて、幸村はクックッと笑った。
「いかがなされました」
 湯桶を運んでくれた青年に「いや」と短く言い、すぐさま外にも聞こえるように大きな声で言った。
「すぐに、俺の連れがやってくる。そやつの湯桶も、用意しておいてくれ」
 承知しましたと頭を下げた青年は、すぐに支度をしに裏へ回った。宿の裏に川が流れており、その川の一角から湯が沸いているのだ。幸村が足を浸けているのは、沸かしたものではなく、湧いてくるものだった。
(佐助にも、聞こえただろう)
 幸村がこう言えば、佐助は姿を現して宿に来るしかない。いつまでも幸村の連れがこないとなると、恥をかかせることにもなりかねないからだ。
 はたして、幸村の思惑通りに、渋い顔をした佐助が中間――主の身の回りの世話や雑務をする者――姿で現れた。
 もの言いたげな佐助の視線を、幸村は平然と受け止めている。
「遅かったな、佐助」
「旦那の湯桶が冷めるほどには、待たせていないけどね」
 肩をすくめた佐助のための湯桶が運ばれてきた。幸村は手拭いで足を拭き、先に部屋に行っていると告げて廊下を進んだ。
 ここには十日ほど滞在するつもりでいる。主の信玄に許可も得ていた。
(さすがは、お館様だ)
 窓から見える見事な雪山の景色をながめて、幸村は頬を紅潮させた。
 佐助をおびき出す方法は、幸村の知恵ではなく信玄の考えだった。
 情勢が不安定な戦国時代。佐助のように有能な忍は、使い勝手がよすぎるために働きづめにさせてしまう。当人は冗談めかして「忍使いが荒い」だの「給料を上げてほしい」だの、ぼやきながらも完璧に任務をこなしていた。
 そんな佐助の働きを見て、幸村は雪で軍が動かせない間に、休暇を与えたいと考えたのだ。だが、日ごろから休みたいなどと言っている佐助が、ありがたく休暇を受け入れることはない。なんだかんだと理由を浸けて「心配だから」と休まないのだ。
(だが、なんとかして佐助をねぎらってやりたい)
 幸村は彼を湯治に連れて行くことを思いつき、信玄に伝えたのだ。信玄は快諾し、だが、佐助が素直に幸村とともに出かけるとは思えないと続けて、幸村にこう言った。
「ワシからいい湯治宿のことを聞いたと言って、さっそくに出かけると申せばよい。佐助はかならず着いて行く。もしも忍として影より見守るつもりでおるなら、供がすぐに来ると大声で言うてやれ。そうすれば姿を現すほかは、なくなるからな」
「おお! さすがはお館様。すばらしき知恵にござるっ!」
 感激した幸村の興奮に、まんざらでもない顔をしながら、信玄は「そのくらいの知恵が巡るようになれ」と拳を奮い、喜々として応じた幸村と共に熱い応酬でひと汗流した後、佐助を誘い出すわざとらしい幸村の演技がはじまったのだった。

 (まったく。旦那ってば、俺様のことを見くびりすぎだっての)
 湯桶のぬくもりに筋肉を弛緩させつつ、佐助は天井に向けて息を吐いた。実直すぎるがゆえに演技などとうてい向いていない幸村の、ひどくわざとらしい棒読みの言葉もさることながら、あれだけ派手に拳の応酬をしておいて、自分にばれていないと思っているところが頼りないと、佐助は柔らかな苦笑を漏らした。
(まったく……俺様ってば、甘やかされてるよなぁ)
 わかっていて、下手な演技につき合った佐助は、ニヤついてしまう口元を抑えて呟く。
「忍は、使い捨ての道具でいいってのに、さ」
 あのふたりときたら、と鼻から抜けた佐助の文句は、隠しようもない温か味を持っていた。
「部屋に行ったら、しっかり小言を言ってやんないとねぇ」
 表情を引き締めて佐助が足を拭っている頃、幸村はすべてがバレているなど夢にも思わず、彼が部屋に来たらすべてを明かしてやろうとほくそ笑んでいた。

2019/01/17



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