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妬と羨

 肌をジリジリと炙る陽光よりも強く、魂を炙る焔に触れたくて、猿飛佐助は驚愕の目とほほ笑む唇で手を伸ばす。
 指の先にあるのは網膜を焼き尽くすほどにまばゆい魂。焦がれて乾いて息苦しくなるとわかっていながら、近づかずにはいられない存在。
 真田幸村。
 若き虎。紅蓮の鬼。肌が粟立つほどに雄々しく猛々しい漢。
 佐助の、主。
 躍動するしなやかな手足と共に、長い後ろ髪と赤いハチマキがたなびく。鷹の羽を思わせる髪が揺れるさまは、戦場を突き進む猛禽類の羽ばたきを思わせる。
 獲物を見据え、腹の底から湧き上がる滾りを口の端に上らせて疾駆する彼の影に、忍である佐助は潜む。彼を守るため。彼の道具として、彼の道を阻むものを排除するために。
 なのに。それなのに――。
 佐助はいつも、歯噛みする。
 道具である自分ではなく、幸村は二槍を相棒にして突き進んでいく。背後の敵すらも見事に屠り、かすり傷ひとつ負わずに戦場を駆け巡る。
 憎い。
 佐助の目は、彼の腕と同化しているかのような、見事な働きをする槍に向けられている。
 羨ましい。
 相棒として扱われる、二本の槍が。
 主の道具である忍でありながら、使われないことが苛立たしい。
 どうして――。
 わかってくれないのか。
 忍は道具であるというのに。
 なんで。
 ギリギリと心の臓が荒れ狂う。
 己は、その槍よりも劣っているというのか。
 己は何よりも優秀で使い勝手のいい、道具であるはずなのに。
 なぜ、俺様をその手で振るわないんだよ、旦那!

 ハッと目を開けると、見慣れた壁がそこにあった。バクバクと心臓が早鐘を打っている。うっすらと汗をかいている自分の喉元に手を添えて、佐助は乱れた呼吸を整えた。
 また、あの夢だ。
 ここのところ、おなじ夢が繰り返し訪れている。何を示唆しているのか。
(槍に嫉妬するなんて)
 自分を皮肉る笑みを浮かべて、佐助は腰を浮かせた。
 立ち上がれるほどの高さは、ない。ここは主、真田幸村の寝所の上。天井裏。
 下の様子をうかがう。おだやかな寝顔に目を細め、佐助は喉の渇きを癒すために移動した。

 もろ肌脱ぎになり、井戸端で頭から水をかぶる。昼間の暑気が残る夜気に、井戸水の冷気がまき散らされた。手ぬぐいで乱暴に上半身を拭い、息をつく。空には無数の星が所せましと輝いている。月の姿は、見えない。
 なんで、あんな夢を見たのか。
 心当たりは、まったくない――とは、言い切れない。
 忍は道具だと再三伝えているのに、幸村はちっともわかってくれない。自分を対等な人間として扱う。己が多くの兵を束ねる将であると、自覚しているはずなのに。忍と同等であってはならないのに。
 その思いが、あんな夢になったのだろうか。
 どうも、しっくりこない。
 手のひらを眺めて、握ったり開いたりしてみる。指の動きを確かめて、庭木の上に飛び、屋根に移り、走り、脳裏に浮かべた架空の敵と対峙して、濡らしたが体が渇くころに井戸端に戻った。
 動きに問題はない。
 目を閉じて、体内に意識を向ける。指先から中心へと気脈の流れを確認し、わずかな違和はないか確かめた。
 なんともない。
 無意識の不調が見せた夢でもないらしい。
 だったら、何だ。
 一度や二度ならば、そういうこともあるだろうと流せるが、こうも連日だと無意識にひっかかっている事柄が発端なのではないかと疑ってしまう。
 なんなんだ。
 眉をひそめてみても、思い当たるものは見つからなかった。

 鍛錬を終えた幸村に冷えた麦湯を差し出す。
「すまんな、佐助」
 屈託のない笑顔に、自然と笑みを浮かべてしまう。
「どういたしまして」
 幸村の肩越しに、先ほどまで彼の手の中にあった幸村愛用の二槍に目をやる。穂先が陽光を反射するさまが、誇らしげに見えて胸がざわついた。
(まったく。あの夢のせいで、妙に槍が気になって)
 鼻先で軽く嘆息する。
「そういえば」
 飲み終えた湯呑を差し出す幸村に、お代わりを注ぐ。
「昨夜は、どこに行っておった」
「どこって」
「どこかに行っておっただろう? お館様に呼ばれたわけでも、不穏な気配を感じたわけでもないというに」
 眠っていても、己の忍が移動した気配を察知するとは。
(恐ろしいねぇ)
 半ば感心、半ば寒心。佐助はおどけた調子で肩をすくめた。
「ちょっと、水浴びにね。暑かったしさぁ」
「ふぅん?」
 納得していない顔の幸村に、ジロジロと顔中を観察される。
「いくら俺様が男前だからって、そんなに真剣に見なくってもよくなぁい?」
 わずかに体を引いたのは、無垢な瞳に心の底を暴かれそうな気がしたからだ。戦場では鬼と恐れられる彼は、日常にあると年端もいかない無垢な子どもとおなじ目になる。
 どうすれば、殺伐とした戦場を幾度もくぐり抜けながら、これほど屈託のない瞳でいられるのか。
 守りたい気持ちと空恐ろしい心地が絡み合う。
「近頃、何を悩んでいる?」
「は?」
「悩んでいるだろう? このところ、ずっと」
「え、なんで」
 いつもなら「そんなことないって」と軽く受け流せるのに、自分でも驚くほど動揺してしまった。察しが悪いと思っていたら、妙に鋭い時がある。こちらが隠したいと望んでいる時ほど感が良くなるのは、勘弁してもらいたい。
「数日前、かすが殿が来てからだ。何かあったか」
「え……ええ」
 ずいっと顔を寄せられて、その日の記憶を呼び覚ます。かすがの主、上杉謙信からの文を取り次いだ。幸村と、その主である武田信玄を交えて口上を聞き、かすがが帰る前に軽く話した。
(別に、これといったことはなかった……よな)
 俺様としたことが、重要な点を見落としていたということか。無意識にひっかかった何かが、夢となって表れているとしたら。
(旦那の槍に関係が……ある、ような話はしていない。槍は何かの象徴か? 戦場……どこかで不穏な動きがあるなんて聞かなかった。話の影に不穏な気配も感じなかったし、ごまかしがあったとは思えない。何だ……俺様は、何を見落としている?)
 見つめてくる幸村を見つめ返し、佐助は思考を激しく回転させる。
(ダメだ。なんっもわかんないって、ヤバくない?)
 焦燥が湧いてくる。忍としての頭のキレが鈍ったのか。観察眼が衰えたのか。
「あの時は、ずいぶんと気にしておったが、それが原因か?」
「気にしてって……俺様が?」
「うむ」
 しっかりと首肯され、佐助は鼻の頭にシワを寄せた。数日前の自分が何を気にしていたのかが思い出せない。
(俺様、暑気あたりにでもなってんの?)
 気づかないうちに体調を崩していたかと危ぶんだ佐助は、幸村の言葉に目を丸くした。
「上杉殿の剣と、かすが殿が幾度も得意げにしておった折、妙な顔をしておったではないか」
 じわりと気恥ずかしさが目の奥に滲んで、佐助は槍に目を向けた。
 まさか、そんな。かすがが上杉謙信の剣であると言うのは、数日前が初めてではない。幾度も幾度も聞いている。いまさら気にする話ではない。なのに、なぜかストンと腑に落ちた。
(俺様、本気で槍に嫉妬してたってことかよ!)
 一気に体温が上昇し、この場から逃げ出したくなる。忍としての矜持で、かろうじて顔色の変化と姿をくらませたい情動を無理やりに抑え込んだ。
「まさか、佐助」
 心の中で「言わないでくれ」と叫びながら、表面に飄々とした顔を作る。
「なにさ、旦那」
「かすが殿が、道具扱いされていることを憂いておるのではないか」
「え?」
 うんうんとひとり合点した幸村が、体を引いて腕を組む。
「かすが殿は上杉殿の剣であることを誇っておられるが、友としては心配であろう。それほど気をもんでおるのなら、上杉殿に言上してみてはどうだ」
「何をさ」
「かすが殿を、今少し尊重してはいかがかと」
 大真面目な幸村に、佐助の全身の力が抜けた。
「あのねぇ、旦那。忍は道具なの。ていうか、あそこはもう、そういうの言う必要ないくらい大事にされているから」
「そうなのか?」
「そうそう。だから、問題ないんだよ」
「ならば、何を気にしていた」
「それは」
 ここで視線を逸らせると、幸村は納得しなくなる。グッと堪えて純粋な瞳を見据えて笑った。
「誰かさんが、ちっとも忍を忍らしく扱ってくれないことが、気になってんだよ」
「ぬ?」
「俺様を、槍だと思って使ってくれていいんだぜ? 旦那」
 ニィッと歯を見せると、幸村は不機嫌になった。
「佐助は槍ではない」
「忍は道具って言ってんの」
「違うと幾度も言っている」
「はいはい」
 軽くあしらうと、強い力で腕を掴まれた。
「ちょ、旦那。痛い痛い!」
 息がかかるほど顔を近づけられて、たじろく。
「いいか。佐助。佐助は――」
「おっと、用事を思い出した」
 するっと幸村の腕から逃れて、佐助は瞬時に屋根上へ飛び上がった。
「っ、佐助! 佐助は俺の、かけがえのない――」
 その先を聞きたくなくて、佐助は全速力でその場を離れた。しかし、忍として鍛え抜かれた聴覚は、しっかりと幸村の言葉を捕えて佐助の心をむずがゆくさせた。

2022/08/01



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