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登場―片倉小十郎・長曾我部元親
龍笛

 秋の、遠く長い夜空に、細く鋭い笛の音が立ち上っている。肌寒い夜気に包まれた長曾我部元親は、かすかに届くその音に耳を傾けた。
 するすると立ち上っていく笛の音は、切っ先のような月の輝きにも似て、どこかうら寂しくも暖かい。突き放すようでいて、その実、育む時にうつろう秋そのものな音色に、酒場で部下らとの酒宴を終えた元親の酔い足が引き寄せられた。
 夜気の中を舞う笛の音は、海沿いの松の陰から流れてくる。月や星々の明かりを砕き散りばめた夜の海が、金砂銀砂をまぶしたように輝いていた。
 元親の足音に気付き、笛の音が止む。松の幹の影から、薄い影が離れて振り向いた。月光に照らされたその姿に、元親は感心したように眉を上げて歩み寄った。
「邪魔しちまったな」
「いや」
 短く答え、口元に笑みを漂わせたのは、奥州の副将、片倉小十郎だった。袴もつけぬ簡素な姿の彼の腰に刃はなく、手には笛がある。
「こんなところでアンタみてぇなのが、無防備に笛を鳴らせるってぇのは優雅なモンだな」
 皮肉ではなく、心底この地が彼らによって平らかにされていることを感心している元親に
「まあな」
 おごるでもなく、小十郎がさらりと答える。それに歯を見せて笑った元親が、松の幹に手を当てた。
「立派なもんだ。アンタの姿が見えねぇもんで、松が笛を奏でているのかと思ったぜ。海の向こうの恋しい奴か、空の上の誰かさんを求めながら、なんてな」
 松を見上げる元親の白く整った頬に、小十郎が意外そうにした。その気配を察した元親が、へへっと照れくさそうに鼻を掻く。
「こう見えても、多少は風雅ってぇもんを、わきまえているつもりなんでな」
 西海の鬼と称される元親の体躯はすばらしく、人ごみの中でも頭一つ分ぬきんでている。それだけではなく、海上の荒くれ者に敬愛されるに足る筋骨の逞しさがあった。豪放磊落なその性格から、粗野な印象を与えはするが、彼が領主としての作法をわきまえていることを、小十郎は主の伊達政宗と彼が対面をしたときに目の当たりにしている。元親の指の運びの繊細さに驚き、それがあるからこそ機巧に長けてるのだろうと納得もした。
「松から薄い影がはがれたから、幽霊かなんかかと思ったぜ」
 宵闇の中では、さまざまなものが濃淡のある影となる。けれど
「オメェは、月の明かりを含んで、よく目立つな」
 元親の白銀の髪は月光に輝き、海の男とは思えぬほどに白い肌は、ぼんやりと闇に浮かび上がる。
「ずいぶんと体躯のいい精霊(しょうりょう)が来たもんだ」
「はっは! 精霊か。そいつぁいい」
 呵呵と声を上げた元親が、海に目を向ける。
「ここは、いつ来てもいい波と風が吹いていやがる。さすがは、独眼の竜が治める場所だ」
 海に目を投げた元親に並んで、小十郎も揺らめく海面に目を向けた。
「いい音だ」
 途切れることなく繰り返される潮騒と、磯の香り。そこに包まれている数多の命を分けてもらいながら、生きている。
「どれほど笛を手繰っても、海の音色には勝てないな」
 小十郎の呟きに、元親が破顔した。
「年季が違いすぎんだろ」
 歯をきらめかせる海の鬼に、小十郎も笑みを返す。
「明日、もっかい政宗んとこに航海の誘いに行くんだけどよォ。アンタも俺の船に乗ってみねぇか」
「政宗様を、どこに連れて行く気だ」
「どこって。海はどこにでも繋がっているからな。潮に乗りさえすりゃあ、天竺にだって行けちまう」
 遠い場所に目を向ける元親は、壮大なものを夢想し憧れる少年のように見えた。
「日ノ本の中でだって、知らねぇことは山ほどあるんだ。信じられねぇ出来事が、わんさと待っているだろうよ」
 くううっと肩をすくめた元親が
「わくわくしてこねぇか」
 言葉通りの顔を、小十郎に向けた。その表情に、主と同じものを見つけ、小十郎はやれやれと嘆息をする。
「遠い場所に行っちまったら、オメェの部下らはどうするんだ」
「もちろん、連れて行くに決まってんだろ」
「女子どももか」
「俺の懐に飛び込んできた奴は、ぜぇんぶまとめて連れて行く。誰一人として、こぼしはしねぇよ」
 気負っている風もなく、当たり前に口にした元親の言葉に、小十郎は顎を引いて笑みを深めた。
「お。なんだよ?」
「ウチの連中が、オメェになついている理由が、よくわかると思ってな」
「なんでぇ、そりゃあ」
 くすりと笑う小十郎に、へへっと元親が目じりを細めた。
「海の上は、低い音が多いからな。高い笛の音はよく響く。船上での指示を他の船に伝えるには、もってこいだ。なあ、片倉さんよぉ。政宗と一緒に、俺に船に乗らねぇか? けっこう本気なんだぜ。竜と鬼がいて、竜の右目のアンタがいる。最高だとは思わねぇか」
 幾度も交易にきては誘いをかけてくる人好きな鬼に、小十郎は何度も繰り返している返答を口にした。
「悪いが、誘いには乗れねぇな。俺も、政宗様も」
「そりゃ残念だ」
 断られ慣れている元親が、さらりとそれを受け止める。もうそろそろ、誘いは本気ではなく挨拶のようなものになってきてもおかしくはないのに、この男の誘いの中から本気が消えないところを、小十郎は快く思っていた。
「政宗様にお子が出来て、家督を譲りご隠居なされれば、誘いに乗ってもいいかもしれねぇがな。その時に、長曾我部。オメェがまだ船を操って天竺だのなんだのに行くって、言っていたらの話だが」
「言っているに決まってんだろ! 海の鬼は、死ぬまで海の鬼なんだからよぉ」
 海を愛し、海に愛されているらしいこの男ならば、年老いて陸に上がるなどということは無いのかもしれない。元親の姿に、そう納得をした小十郎が目を伏せた。
 戦国の世で、夢を追う戦人が五体無事に年老いていけるというのは、なんと途方も無いことだと噛み締める。けれどその途方も無いことを、小十郎は必ず政宗に迎えてもらうと誓った。夢を追い、実現させ、彼の人の天寿を全うさせる。それこそ、小十郎がこの世に生を受けた理由だと、天命なのだと確信していた。
「なあ、片倉さん」
 伏せていた目を上げれば、敬愛する主と似た笑みを浮かべる、彼よりも体躯のいい、けれど無垢な子どものような鬼が、月光をまとって淡く輝いていた。
「船には乗っちゃくれねぇが、その笛を聞かせてくれってぇのは、断ったりしてくれるなよ?」
 元親の乞いに、小十郎は笛を持ち上げ唇を寄せる。するすると生まれた笛の音が、高く遠く伸び上がり、海面の星のきらめきと戯れ、月のもとへと昇って行った。

2013/10/13



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