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登場―元就・家康
ザビれ家康

 安芸の安寧さえ守られていれば、天下の趨勢などどうでも良い。
 天下の情勢は東と西にわかれ、関ヶ原で激突した。結果は、毛利元就が与した西軍の敗退。安芸は東軍の将に召し上げられ、元就は首を落とされるのが世の流れであった。けれど『絆』を第一と考えている東軍の総大将・徳川家康は、敗戦の将らに「力になってほしい」と自らの未熟をさらけ出し、土地のことをよく知っている人間が、今まで通り治世を行うほうが良いと言った。
 甘いことよ、と冷徹で知られる元就は思う。その甘さで所領を安堵されたというのに、元就は家康に感謝を向けることはなかった。
 城の地下に造られた、石造りの西洋風の空間に、元就は居た。黒い法衣を纏う彼は巨大な祭壇を見つめている。祭壇の背後は、地下であるのに色とりどりのビードロがはめ込まれた壁から、日の光が差し込んで明るい。日の昇った時刻から、太陽の角度に合わせてゆっくりと光を伸ばし、室内を照らすビードロ窓の光は、部屋の入り口までには達していなかった。
 祭壇には、黄金の像が置かれている。元就の着ているような法衣をまとった像は、ずんぐりとした形をしており頭が異様に大きい。
「東照権現、か。ずいぶんと大仰な呼称よ」
 つぶやく元就の薄い唇は、ほとんど動かない。切れ長の瞳は冷ややかで、何の感情も浮かんではいなかった。
「まあ、良い。我が日輪――いや、サンデーの名において、あの者を捨て駒……いや、ザビー教に引き入れてくれようぞ」
 ふ、とあるかなしかの感情のようなものが、元就の瞳に浮かんだ。
「洗礼名は、そうだな東照にちなみ、シャインとしよう」
 きらり、と像の頭頂部がビードロ窓の光を反射した。
「毛利様……いえ、タクティシャン・サンデー毛利。徳川家康が、参りました」
 満足げにうなずいた元就が法衣の裾を柔らかく翻し、日の当たらぬ場所にたたずむ男のそばへ――両開きの扉へと歩を進める。元就が戸をくぐると、うやうやしく頭を下げた男が、重厚な扉を閉めた。その扉の内側には、彫像と同じ顔をした男の微笑画が飾られていた。

 広間に、徳川家康はさわやかな笑みを浮かべて坐していた。彼の前には茶と、高杯に盛られた餅菓子が置いてあった。
 すらりとふすまが開き、元就が姿を現す。腰を浮かせた家康が、親しみを込めた笑みを浮かべて一礼をした。
「丁寧な招きの文を、ありがとう。毛利殿」
 それに答えず、元就は彼の前に腰をおろした。同じ高さに座を据えた元就に、家康が目じりをほころばせて座りなおす。ちらり、と元就が高杯に目を向けた。それはきれいに積み上げられた三角形のまま、餅菓子の周囲に置かれている干菓子も崩れていない。元就の視線に気づいた家康が、ああ、と小さな声を出した。
「先にいただくのも、気が引けてな」
 少し困ったように笑む家康を見ながら、元就が餅菓子に手を伸ばし、かじる。
「他所で用意をされた菓子に手を出さぬは、賢明なことよ。だが、毒は入っておらぬ」
 自身がそういう危険にさらされる身であった元就は、家康の行動を賢明だと思った。元就は先の戦で敵方であったのだから、警戒をして当然だ。しかし、家康は慌てて両手を伸ばし、大きく振りながら違う違うと言った。
「そういう意味ではないんだ。気を悪くさせてしまったのならば、すまない。毛利殿」
 元就の眉が、ひそめられる。
「せっかくなのだから、共に食したほうが旨いだろうと思ったんだ。毛利殿は、餅が好きだと聞いたことがある。ならば尚更、と」
 照れくさそうに頬をかく家康の言葉に、元就は細い眼を丸く開いた。
 ――こやつは何を、言っているのだ。
 そういえば、と元就は思い出す。敵対する相手でありながら、自分の事を喜色満面の大声で呼ぶ男、西海の鬼・長曾我部元親と家康は、知己だ。東西分けての戦の折は、元親は西の石田三成についたが、そうするように仕向けた元就は、彼らの心根がたがったわけではないことを知っている。
 なるほど、この男のかかげる「絆」という言葉は、人の耳に心地よく響かせ心をつかむための策ではなく、心底からの言葉であったかと、元就は心中でほくそ笑んだ。あの頭の足らぬ海賊もどきと同じように、きっと陥落するのは容易いだろう。
 ――絆という言葉を、建前ではなく掲げているのであれば、好都合よ。
 ザビー教の掲げる「愛」は、「絆」という言葉に置き換えられる。なれば彼を取り込むことは、赤子の手をひねるより容易いはずだ。安芸の安寧を案ずる必要のない今、天下の趨勢に興味はないが、この日の本全土をザビー教で満たそうという野心はあった。いまや天下人となった家康に教えを説き、洗礼を受けさせれば弱い人々などは、彼の信仰するものに傾倒をするだろう。タクティシャンとまで呼ばれている自分が、教祖ザビーの不在の折に布教を進めれば、実質の教祖は元就となる。近頃は様々に枝分かれした仏教が主流となっているが、権力者は最終的に陰陽道を頼る。それはつまり神道に帰りつくということだ。日本神道の教祖はだれか。それは、都におわす帝。つまり、どのような権力者であろうとも、最終的には帝の意向を求めるということになる。
 神道よりもザビー教を深く人々に根付かせることが出来れば、それは帝に匹敵する力を手にすることになる。領地、などという形のあるものよりも、人心という形のないものほど、便利なものはない。
 元就はそれを、よく知っている。人心をザビー教に染めてしまえば、天下人となるよりもずっと、面倒がなく、かつ、絶対的な権力を手に入れることができる。この安芸が聖地となれば、安芸はさらに発展をするだろう。
 さて、どう話を切り出そうか。
「ところで、毛利殿。あの物語のように長い文には、話があるというようなことが書いてあったんだが」
 案じ顔で家康から話を振ってきたことに、元就はふたたび心中でほくそ笑んだ。
「では、さっそく本題に入る。天下人となって、忙しいのであろう」
 家康の事を気にかけている、というふうに言葉を足せば、いやそんなと家康が茶を啜った。
「某のことは、気にせずに話をしてくれ。毛利殿ほどの方が、話があると丁寧な文をくれたのだから、よほどのことなのだろう」
 元就は、家康が「ワシ」ではなく「某」と言ったことに、多少の満足と手ごたえを感じた。「某」というのは、目上の者に対するものだ。元就を目上の者と、たとえ上辺だけだとしても、示している。いや、あの元親と意気投合している知己であるのだから、そのような知恵がまわってのことではないだろうと、元就は思う。だが、何の腹も無いような顔をして、その実は策師であるということは、往々にしてあることだ。彼は豊臣軍の重臣でありながら、主君である豊臣秀吉を討った男なのだから。
 ――様子を、見るとしようか。
 少し逡巡するそぶりを、わざと見せてから元就は口を開いた。
「絆を、掲げていたな」
 探るように目を向ければ、表情をかけらも見せぬ元就が言いよどむ風を見せたので、家康は目に力を込めて元就の唇からこぼれる言葉を見つめている。容易いものよ、と元就は腹であざけりながら、深刻な様子を崩さずに言葉をつづけた。
「絆とは、すなわち人と人とのつながり」
 そうだと言う代わりに、家康がうなずく。
「それは、あの前田の道化のような男の言う、戯言に通ずるものよな」
「ああ。慶次の言う愛も、立派な絆だ。誰かを思い、愛するためには、相手を知る必要がある。それは絆を生み、愛を生み、助け合いとなり争いを無くす。そういう世こそ、皆の目指しているものだと、ワシ……ああ、いや。某は、思っている」
 顔を輝かせた家康が、勢い込んで元就に言う。膝を乗り出した彼が「ワシ」とこぼしたのは、興奮のあまりであり、自分を軽んじたわけではない。元就は彼の食い付きの良さをあざけりながら、策のあまりの手ごたえのなさに鼻白んだ。
「その、愛なのだが」
「ああ。そうか!」
 元就がいいさしたのを、家康が大声で遮った。不快に眉をひそめた元就に、家康は晴天のような笑みを向ける。
「たしか毛利殿は、ザビー教というものを信仰されておられたな」
 元就がうなずけば、にこにこと家康が膝を打った。
「あの島津殿や黒田殿、大友殿も信仰されていると聞く」
「ああ、そうだ」
 家康の言葉の端に、尊敬の念のようなものが香り立ち、その匂いに元就は策は成ると確信をした。
「その教えは、愛ということを聞いたんだが」
 深く、大きく、もったいをつけて元就はうなずき、口元をほころばせた。それに、家康が笑みを深くする。
「だから、毛利殿は某が本当に絆をかかげているかどうか、直接に確認をしたかったということか」
 ん? と元就は家康の言葉に、ひとりで得心をしている様子に、策の端に小さなヒビが入ったことを感じた。
「毛利殿が血の通わぬ冷淡な策師であるという評価は、誰もが耳にしたことがあり、そのように認識されている。だが、毛利殿は安芸の安寧を守るために、兵を挙げたのだろう。三成の危うさを見抜いて支えようとした元親のように、三成の本質を見抜いて西軍についたのだろう。――ああ、いや。何も言わないでくれ、毛利殿。冷淡な策師という姿でいなければ、ならぬ理由があるのだろう。それを取り繕おうとしなくても、かまわない」
 何を言っているんだ、と元就は家康の水底までも見通せる、清水のような瞳を見据えた。
「人を使えるということは、それだけ相手の本質を見抜く力がある、ということだ。毛利殿、ここは毛利殿の居城で、某以外には誰もいない。共に来た忠勝は庭先にいて、どこにも会話が漏れることはない。信頼をしてもらえないか」
 よどみのない家康の瞳にうつる自分を見ながら、元就は策のとっかかりすらもないほど、つるりと純粋な彼の魂に愕然とした。幼いころから人質としてすごし、徳川家やそれに従う者らを守るため、苦汁をなめてきたはずの男の瞳かと疑うほどに、家康のそれは澄みきっている。乞食若殿と呼ばれていた「松寿丸」と名乗っていた幼い頃から、この位置に到達するまでに、元就は自分の身を守り領土を広げ、安芸の全土を掌握し安寧を打ち立てるまで、武力ではなく知力を駆使してきた。心など迷いを生む、策に穴を開けるものとして、生きてきた。そんな自分と、どこか通ずるものがあるのではないかと、腹の中に何かを飼っている部分があるのではないかと、考えていた。そこをつつけば若い家康ならば引き込むことができるだろうと、もくろんでいた。けれど目の前にあるのは、腹の底まで見渡せるほどに、澄んだ瞳。それはまるで、あの忌々しい海賊もどきの鬼のようで、元就は奥歯を噛んだ。けれど、それを表に出して相手に悟られるほど、元就の心を読ませぬ技は稚拙ではない。家康は元就の腹の裡などかけらも気付かず、うれしげに言葉を続ける。
「毛利殿は、この家康が本当に絆というものを重んじているかを、直接に確かめたかったのだな。人知れず、愛を説くザビー教を信仰しているからこそ、案じていたのだろう。こちらは、主君殺しをしたのだから」
 ふ、と家康の目にさみしげな後悔が宿る。けれど濁りは浮かばなかった。これはいったい何だと、元就は困惑する。なぜ、このような目のままでいられるのかが、元就にはわからなかった。
「毛利殿、ありがとう。必ず、絆で満たされた世を作る。だから、どうか力を貸してほしい」
 彼が天下人となった折に言われた言葉を、改めて頭を下げて言われ、元就は何も言うことが出来なくなった。
「我の智謀を頼るは、良策よ」
 なんとかそれだけを言って、あとは無言のまま二人は茶と餅菓子を楽しみ、家康は本田忠勝の背に乗って、充足した笑みを浮かべ去っていった。忠勝の作った軌跡の細い雲を眺めながら、まあいいと元就は細い息を吐く。焦る必要はない。今回の会談は何も得るものがなかったわけではない。家康の信頼というものを、この手にすることができた。信頼というものは、欲しいと思っても容易く手に入れられるものではない。
 これは、布石だ。あの男を取り込むための、布石。ただ一度の会談で事が成ることほど、危うく脆いことはない。
 ふ、と元就の薄い唇が笑みに歪む。焦る必要など、どこにもない。直接に彼を入信させるのではなく、周囲から攻めていくという手もある。
 庭先に目を向けた元就は、池に反射する光に目を細めた。ゆらめく水面に、家康のように澄んだ瞳をした鬼の顔が浮かぶ。
 ――天下人の知己である単純明快なあの鬼を、先に取り込むのも一興かもしれぬな。
 その場合、洗礼名はオーシャンあたりが妥当かと思い浮かべつつ、元就は空を見上げる。細い絹糸のような元就の髪を、わずかな風が撫でるように梳いて去った。

2014/01/09



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