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登場―柴田勝家・真田幸村・伊達政宗
I will...

 一合目から、それは他者を寄せ付けぬ空気に満ち満ちていた。
 二合、三合と打ち合うたびに大気が凝縮され、濃密さを増していく。二人の刃が重なるたびに、弾けた空気が大気を震わせ、草木を戦慄かせた。
 二人が打ちあった瞬間――いや、二人が対峙をした瞬間から、柴田勝家は目を見張り、身動きが出来なくなった。息をすることさえ忘れ、眼前で繰り広げられる討ち合いを見つめていた。
 蒼い雷と紅蓮の焔がぶつかりあうごとに、二人の体内に野獣のような恍惚が、烈々たる甘美が、沸きあがり彼らをさらに猛らせているのが感じられる。
 それはまさに、竜虎の仕合いであった。
 ドーン、とふいに大きな音が鳴り響き、勝家はハッと意識を取り戻した。手のひらが痛い。気付けば、爪が食い込むほど強く拳を握っていた。目の前で打ちあっていた二人は、互いの喉笛に切っ先を突きたて、食いしばった歯を笑みにゆがめた唇から覗かせ、爛々と目を輝かせていた。
 ごくり、と勝家の喉が鳴る。
 二人はゆっくりと得物をおろし、剣呑さを一瞬にしてぬぐい去り、旧知の輩(ともがら)のような笑みを交わした。
「Fum……ったく、昼の大筒までしか仕合えねぇんじゃ、つまんねぇな」
 蒼い衣を纏った独眼の竜、伊達政宗が刀を鞘に収める。
「某も、もっともっと、政宗殿と打ち合いとうござる」
 朱槍を収めた赤い鎧の若き虎、真田幸村が顔を振り、髪からしたたる汗を払いながら「なれど」と言葉を続けた。
「このまま続けては、御身に傷が付いてしまいまする」
 その言葉に、政宗が口の端を片方だけ持ち上げる。
「ほう? アンタ、自分は無傷でいられるとでも、言いてぇのか」
「そっ、そうではござらぬ。ただ、互いに大怪我をしては、その、まことに遺憾ながら、叱られてしまいまする故」
「Ah? アンタ、猿に叱られるのが怖ぇのかよ」
 政宗がからかうように顎を上げれば、ちがいますると幸村が呟き、そちらも片倉殿に叱られては困りませぬかと続けた。政宗が何かを思い出すように、視線を斜め上に動かす。
「それに」
 幸村が勝家に目を向けて、勝家は自分が忘れられていなかったことを知り、驚いた。対峙した瞬間、互い以外の何もかもを、二人は意識の外に捨ててしまったと見えたのだ。幸村の視線を追った政宗は、覚えていたとも忘れていたとも取れる顔をして、ゆったりとした足取りで勝家の傍へ歩み寄り
「帰るぜ。勝家」
 行き過ぎながら声をかける。振り向き政宗の背を無言で見つめる勝家に、幸村が親しげな笑みを浮かべて勝家の傍に寄る。
「腹が減り申したな。参りましょうぞ、柴田殿」
 それに、勝家はコックリと頷いた。

 汗をぬぐい袴姿に着替えた幸村を、勝家は不思議そうに眺めていた。客間には、幸村と勝家の二人のみであった。政宗は昼餉のあと、少しやることがあると言って、兵舎へ足を向けた。その間に、茶でも啜って二人で話をしていろと、奥州名物のずんだ餅と茶が出されていた。
 昼下がりの日差しは心地よく、広く開け放たれた障子の先には簡素ながら手入れの行き届いた庭が見える。ゆったりとした平穏な空気の中、勝家は無言で、ただただ幸村を眺めていた。見つめられている幸村は、それを気にするふうもなく、のほほんとした顔で庭を眺め、茶を啜っている。その姿は、政宗と打ち合っていた男とはとうてい思えぬほど、穏やかで純朴であった。その気配のせいだろうか。それとも、丸みの残る頬や大きめの瞳のせいだろうか。年よりもずっと幼く見える。ずんだ餅を子どものように、うれしげに頬張る姿は、とてもではないが『紅蓮の鬼』と呼ばれるような男には見えない。
 かつて勝家が仕えていた魔王と呼ばれる織田信長とて、常に禍々しくあったわけではない。妻女である濃姫をはじめ、明智光秀や森蘭丸、そして勝家らと共に、茶を楽しむこともあった。目の前に居る、大切に穏やかに育てられ、剣呑な世界など知らぬような顔をして甘味に舌鼓を打っている男が、ひとたび槍を持ち戦場に出れば雄々しき武将と成り変わるは、別段不思議ではないはずなのに、勝家は幸村から目を離せないでいた。
 ずんだ餅を幸せそうに租借し終え、茶をすすった幸村が勝家の視線に目線を合わせる。
「柴田殿」
 呼びかけられても、勝家は微動だにしない。それを気にすることもなく、幸村は手のひらを見せた。
「甘味は、好まれませぬのか」
 幸村の手のひらが示しているもの――ずんだ餅に目を向けて、勝家は小さく「いえ」と呟いた。
「なれば、昼餉にて腹が膨れておられるのか。いや、八分目にて食すをやめておられるのか」
 勝家は幸村が何を言わんとしているのかわからず、わずかに首を傾げた。さらりと、絹のように滑らかな、顎のあたりで真っ直ぐに切りそろえられた黒髪が流れる。幸村も、勝家につられたように首を傾げた。その幼い仕草に、勝家は蘭丸を思い出す。
「よろしければ」
 す、と自分の前にあった皿を幸村の前へ滑らせれば、幸村が慌てて手を振った。
「ああ、いや。違う。違いまする。ずんだ餅が欲しくて、言ったわけではござらぬ」
 では、どういう意図で言ったのだろうかと、勝家は幸村の言葉の理由を探すため、彼の目を真っ直ぐに見た。
「その、なんというか……話すきっかけというか、そういうことでござる」
 照れたように目じりを下げるその顔は、やはり年より幼く見えて、勝家は自身の眼ではっきりと見たというのに、彼が政宗の唯一無二の好敵手であることが、どうにも不思議に感じた。竜王と名乗った政宗と、目の前の男の立つ位置が、あまりにもかけ離れているように見える。
「柴田殿は、政宗殿に傾倒をなされておいでなのか」
 勝家にそのように思われているなど露知らず、幸村はさりげなく問うた。勝家は口を開きかけ、それを閉じる。なんと答えていいのかが、わからなかった。傾倒をしている、とも言えるし、違うとも言える。彼は先を見る目を失った勝家に、光を見せようとしている。そんな彼に導かれていることを、傾倒していると表現できなくも無いが、何か違う気もした。
「政宗殿の目に、光を見られたのでござろう」
 え、と勝家の目が幸村に驚きの声を向けた。それに、幸村がやはりそうかと言いたげに頷く。
「政宗殿は先頭に立ち、その背に多くの者たちの望みを繋げて進む、天翔る竜にござる。うつむいている者がおれば、顔を上げさせ前を向かせようと、その背にその者を惹きつける御仁にござる」
 ぽかん、と勝家は幸村のきりりと強い光を放つ瞳を見た。その唇が、獰猛とも言える笑みに歪んでいる。
「某は政宗殿の姿を見、好敵手として刃を交えるたびに、一合一合打ち合うたびに、政宗殿の背負うものの重みを感じ、奮えるのでござる」
 ちらりと見えた幸村の歯が、勝家には猛獣の牙に思えた。
「勝家殿に、使者として参った某との打ち合いを見せたいと申されたは、何もかもを脱ぎ捨てながらも身に沁みている、自身を形成している己の過去から未来を全てさらけ出し、ぶつかり合い、全力で語り合える相手がいることを、そういう相手を得る事ができるという事を、見せたかったからではないかと、思うておりまする」
 すがすがしいほどの覇気を纏う幸村に、勝家は彼が政宗の好敵手であることを唐突に納得した。
「真田氏……」
 何かに釣り込まれるように声を出した勝家に、何でござろうと幸村が穏やかさを取り戻した笑みを向ける。
「真田氏は、彼の好敵手たらんと意識をして過ごしておられるのか」
 それに、幸村は眉を下げて苦々しく頬を緩めた。
「常に、政宗殿を意識しているわけでは、ござらぬ。某は敬愛するお館様のようにと、日々鍛錬をいたしており申す。なれど、政宗殿のことを忘れることはありませぬ」
 意識をせぬのに忘れぬとはどういうことかと、勝家は首をひねった。それが伝わったらしく、幸村は気負いもなく言ってのけた。
「意識をせずとも、この心に、常に政宗殿の姿があり申す。鍛錬をしている折や、戦に出る折など、政宗殿ならばとよぎる事がありまするが、無理に意識をしているわけではなく、自然とその姿が浮かぶのでござる」
 気負う風も無く、さらりと言ってのけた幸村を、勝家は呆然と見つめた。
「政宗殿は、柴田殿にもそのような相手が現れればと、望んでおられるのではと思うた次第なれば、余計な事を喋り申した」
 膝に手を置き、幸村が頭を下げる。実直すぎる幸村の姿に、勝家は口元をほころばせた。
「いえ……お言葉、ありがたく」
 勝家も、頭を下げた。顔を上げれば、幸村が満面の笑みを浮かべている。眩しさに目を細め、勝家も口元に笑みを漂わせたまま、妙な気恥ずかしさに囚われ、ずんだ餅に手を伸ばした。その後は、特に何か会話をするでもなく、二人はのんびりとした時間を過ごした。

 政宗は用事を終え、幸村の使者としての用向きの返書をしたため送り出し、その馬影が見えなくなるまで門前で見送ってから、道の先を見たまま勝家に声をかけた。
「どうだった」
 幸村の事を問われているのは明白で
「獣のような方でした」
 端的に勝家が答えると、政宗が声を立てて笑った。
「獣か! そいつぁいい。言い得て妙だぜ、勝家」
「伊達氏のことを、意識はしていないが常に心にはあると言っていた」
 ふうん、と面白そうに鼻を鳴らした政宗が振り向く。
「I feel honored」
 冗談めかした口調でつぶやく満足げな政宗に、勝家が問う。
「貴方も、そうなのか」
 ん? と眉を持ち上げた政宗が、ゆったりと腕を組み「Fum…」と言いながら空を見上げる。
「何もかもをぶちまけて、全力でぶつかり合える。それはつまり、魂の奥底で常に相手を欲しているってことなんじゃねぇか」
 空に向かって声を放つ政宗の横顔が凄みを帯びている事に、勝家は微笑んだ。
 なるほど。二人はまごうことなき好敵手だ、と心で噛みしめる。
「アンタにも、そういう相手が見つかるさ」
 幸村とは質の違うまぶしさを湛えた政宗の笑みに、勝家は願いを込めて頷いた。
 意識をせぬまま心にとどめる相手と、会い見(まみ)える日を夢見て――。
 その時ふと心に浮かびかけた影を勝家が捉えるのは、まだ少し先の、けれど遠くない未来の話。

2014/02/02



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