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登場―金吾・天海・松永・風魔
鍋友

 包丁とまな板が小気味良い旋律を生んでいる。その音の響く空間の真ん中には、燃え盛る巨大な炎と、その上に置かれた大鍋があった。ぐつぐつと煮える音とともに、良い香りが広がっていく。
 ここは小早川秀秋――通称・金吾が城内で一番大切にしている大鍋部屋である。戦国美食会きっての鍋奉行である金吾の指導の下、日に三度の食事頃にはすばらしい鍋が仕上がる、ハラペコさんにはたまらない、食欲をそそる香りが充満している部屋であった。
 そこに、ふらりと幽鬼のように一人の男が入ってきた。銀糸のような長い髪を揺らしながら入ってきた彼の名は、天海。金吾が雷雨の日に拾い、それ以来ずっと共にあり、彼が頼りにしている破戒僧の天海は、ハラペコさんだから大鍋部屋に来たわけではない。
 よい香りのする室内をきょろきょろと見回し、不思議そうに天海が首を傾げる。それに気付いた包丁人が、鍋のグラグラ煮える音に負けぬよう、大声を出した。
「天海様、金吾様なら、つまみぐいには、いらしてませんよ」
 ぐるん、とカラクリ人形のように声の主に顔を向けた天海が、ゆっくりと体もそちらに回した。物の怪かと疑うような動きだが、この城にいる者たちは全員、そんな天海の所作に慣れている。
「おや。珍しいですねぇ。金吾さんが、つまみぐいとは言えない程度のつまみぐいを、しに来ていないなんて」
 はて、と体ごと傾けるように首を傾げた天海に、食材を運ぶ男が応えた。
「なんでも、来客があるとかで、客間でもてなしの準備をするとか仰ってました」
「お客様、ですか。そのような話を、聞いてはいなかったのですが」
「近くを通ったから、ついでに立ち寄りたいっていう手紙が来たみたいです。ほんの、半刻(一時間)前だったかなぁ」
 そう言ったのは調味料を運ぶ男で、天海は「そうですか」と目を弓の形に細めた。
「半刻前でしたら、私は散歩に出かけていたので、知らないのは当然ですね。では、どのような方がいらっしゃるのか、金吾さんにお伺いするとしましょう」
 ゆらり、と波間に漂う水草のように、天海は大鍋部屋を後にした。

 そのころ金吾は、クツクツと煮立つ鍋音に合わせて、ゴキゲンに腰を振り鼻歌を歌いながら、もてなし準備に精を出していた。
「素敵な奥州大根がたくさん届いたし、大量だったからって元親さんがお魚を届けてくれたし。今日は、みぞれ鍋だよぉ」
 たっぷりの大根おろしを、さらりとした塩味の出汁で煮込めば辛味が飛んで、さわやかな甘味が残る。アブラの乗ったブリをさっとくぐらせ、大根おろしをたっぷりくるんで口に含めば、最高にすばらしい味になることうけあいだ。と、心の中でつぶやけば、じゅるりとヨダレがにじみ出る。
「ああ、早く食べてしまいたいっ」
 すぅううんっと深く湯気を吸い込んだ金吾が、ふらりとやってきた天海に気付いた。
「あっ。天海様、おかえりなさい」
「ただいま帰りました、金吾さん。お客様がいらっしゃる、と伺ったのですが」
「うん。なんでも、この近くに用事があったんだって。それで、良ければ行ってもいいかって聞かれたから、いいですよって返事したんだよ」
 楽しそうな金吾の様子が移ったように微笑みながら、天海が金吾の傍に寄る。薄く捌かれたブリの切り身が、大皿で輝いていた。
「もうすぐ来るから、天海様にも紹介するね。すっごく変わった人で、前にあった時は一人だったんだけど、今日は忍と二人連れなんだよ」
 ふ、と何かに引っかかったように天海が金吾の言葉に目を向ける。
「前にあった時は一人だった、ということですが。金吾さんは、その時に何をして入らしたのですか」
「キノコを取りに山に入っていたんだよ。そうしたら、その人の宝物の隠し場所が近くにあってね、偶然出会ったんだ」
「宝物、ですか」
「うん」
 ふむ、と天海が記憶の中を探るように斜め上を見る。そんな天海の様子よりも、金吾は鍋の具合の方が気になるらしい。小皿に出汁をとって味見をし、うん、と満足そうに頷いた。
「鍋具合は、ばっちりだ! ああ、早く来てくれないかなぁあ。今すぐにでも、食べたいよぉお」
「ならば早速、供応の鍋をいただくとしよう。卿と会うのは久しぶりだな。会えて、嬉しいよ」
 唐突に声が降ったかと思うと、部屋の隅に黒いつむじ風が生じ、その中から二人の男が現れた。
「あ。いらっしゃい、松永さん、と、手紙を届けてくれた、えぇと」
「風魔だ。彼は、非情に無口でね。気分を害さないでくれたまえよ」
「無口でも、おいしいものを一緒に楽しめるのなら、ぜんぜんかまわないよ。風魔さん、だね。ほらほら、いい鍋具合だよ。いつでも食べごろだから、いっぱい食べて行ってよ」
 淡い笑みをたたえ、ゆったりとした足取りで松永久秀が金吾に近付き、その後に風魔が続く。風魔は両手に風呂敷包みを抱えていた。それを、金吾に無言で差し出す。
「わぁ。なぁに、お土産?」
 こくりと風魔が頷き、ありがとうと金吾が受け取る。
「卿は食べる事が好きなようだからな。途中で、まんじゅう屋を見つけ、購ってきたのだよ。舌にかなうものであれば、いいのだが」
「まんじゅう! ありがとう、松永さん。鍋のあとに、みんなでいただこうね」
 松永と風魔に目が細くなるほど頬を持ち上げ笑んだ金吾が、くるっと振り向き天海にも笑顔を向け、あれっと瞬く。
「どうしたの、天海様」
 天海が、真っ直ぐに警戒するように、あるいは敵を睨み付けるように、松永を見つめている。松永はそれを、面白そうに受け止めていた。キョロキョロと二人を見比べる金吾が、まんじゅうを鍋の傍に置いておくのは良くないな、と気付いて部屋の隅に運んだ。
「どこかで、見た事があるような気がするのだがね」
 鷹揚に松永が問い、天海が油断も隙も無い笑みを顔に貼り付ける。
「おや、そうですか。私に似た人間がいるとは、驚きです。貴方のような目立つ方とお会いしていれば、忘れそうに無いのですがねぇ。とんと記憶にありませんので、初対面でしょう。私、天海と申します」
「松永久秀だ」
 探る目を向けた松永が、油断無く応える。食えない笑みを浮かべる二人の間に、おいしそうな香りを含む鍋の湯気が、くゆっていた。
「立ってないで、座って座って。ほらほら、お箸とお椀」
 早く鍋が食べたくて仕方が無い金吾は、彼らに箸と椀を押し付けるように渡して座布団をすすめた。風魔がちらりと松永を見る。
「受けておきたまえ、風魔。彼の鍋は、稀なる美味だ。しっかりと味わうがいい」
「今日の野菜は、あの奥州の片倉さんが作ったものだし、ブリは獲れたてピチピチを四国の元親さんが届けてくれたものだから、食材も最高だよっ」
 声を弾ませた金吾が、ほらほらとブリの乗った大皿を進める。
「さっと湯をくぐらせる程度で、野菜をくるんで食べてよね」
「いただきたまえ、風魔」
 こくりと頷いた風魔が、ブリを一枚、箸でつまむ。さっとくぐらせながら野菜も掬い上げ、半生のブリと野菜を口に入れ、数度租借して息を呑んだ。それに、金吾がうれしそうに頬をゆるめる。
「ね、おいしいでしょう」
 目元は仮面で隠れているが、驚きを示して風魔が金吾を見た。それに、興味深げに松永が息を漏らす。
「さすがの風魔も、気色を隠す事が出来なくなるほど、美味だと言うことか。楽しみだ。では、いただくとしよう」
 松永も箸を伸ばし、口に入れて唸った。
「なるほど。風魔が驚きを隠せないのも、頷ける。卿の作る鍋は、最上級の茶器に匹敵するほどの価値があるな」
「えへへ。そんなに褒めないでよ、松永さん。ほらほら、まだまだあるから、どんどん食べて。天海様も」
 まんざらでもない顔で、照れくさそうに肩をすくめた金吾が、天海にも進める。口元のみを仮面で隠している天海は、箸に持ったものを口元に運んだ瞬間、ぐるんと首を回して髪を振りたてた。舞った髪が落ち着くと、天海の箸は何も掴んでおらず、彼の頬が租借するため動いていた。
「変わった食事の作法だな」
「僧とは、常人に解せぬ事柄を行わなければならないものなのですよ」
「ほう。興味深い話だ」
「うふふふふ」
 松永と天海が妙な空気をかもし出している横で、金吾が無言で美味への賞賛を浮かべている風魔に、色々と話しかける。
「ねぇ、君。鍋は好き? 好きだよね。そんなに楽しそうに食べているんだもの。鍋はいいよねぇ。一人鍋もいいけどさ、こうやって、友達と同じ鍋をつついて、美味しい物を共有できるって、最高だよねぇ」
 え、と風魔が金吾に顔を向け、金吾は笑顔のまま、ん? と首を傾げる。
「卿は、ここにいる全員を友、と認識しているのかね」
 松永の疑問に、金吾は飛びっきりの笑みで答えた。
「一つの鍋を、こうやって穏やかに、美味しく食べられるんだもの。友達に決まってるよ」
 何の含みも無い金吾の言葉に、風魔は静かに驚き戸惑い、松永は興味深そうに金吾を見つめ、天海はふわりと気配をゆるませた。
「鍋のあとは、おもたせだけど、まんじゅうを食べて、のんびり過ごそうね。あ、なんだったら泊まってってよ。明日の朝は、ぜんぜん違った味わいの鍋を、ご馳走するから」
 きらきらと目を輝かせる金吾の申し出に、松永が「どうする」とからかうような気色で風魔に目を向けた。それを受けた風魔が、困惑気味に金吾を見た。楽しそうに「そうしなよ」と期待を浮かべ、全身から親しみを放つ金吾に、こくりと頷く。
「うふふ。じゃあ、改めて。鍋友達の鍋食会、いっぱい楽しもうね」
 くゆる鍋の湯気がただよう客間に、ほっこりとゆるやかな空気が満ちた。

2014/02/16



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