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登場―慶次・金吾・秀吉
一縷

 荷駄を抱える小早川秀秋――通称・金吾の頭上に、薄く青い空が広がっている。冬よりも少し地上に近く感じる空から、ふりそそぐ陽光はやわらかい。けれど地上に漂う空気は薄くよそよそしく、冬の風をゆらめかせていた。
「よいしょ、と」
 米俵を荷車に積んだ金吾は、ふうっと息を吐き街道脇に目を向ける。そこには、立派な桜の木々が連なっていた。枝には咲くときを待っている、凝った蕾が見える。
「よいしょっとぉ。これで、荷物は全部かい?」
 金吾の後から米俵を担いできた男が、ずしんと荷車にそれを乗せる。ふくよかでやわらかそうな金吾と比べ、大柄で肉厚な身を派手な衣装に包んでいる男は、偉丈夫な体の上に、人懐こい子どものような頭を乗せている。高々と結い上げた豊かな髪に羽飾りなどをあしらった彼の頬には、まだ若干の幼い線が見受けられた。
「うん。ありがとう、慶次さん」
 ぷよんと丸い幼子のような頬を持ち上げ、金吾はぴょこりと頭を下げる。
「いいってことよ」
 からりと晴天のような笑みを浮かべた男は、前田慶次。遊び人風の様相をして入るが、家柄も力量も申し分の無い、立派な武士である。
「しっかし。ほんとうにアンタって、食に関しては妥協しないんだなぁ」
 心底感心している慶次に、えへへと金吾は照れながら胸をそらした。
「これでも、戦国美食会の会員だからね! 鍋奉行として最高の鍋料理を、と依頼されたら、最高の食材を用意しなきゃでしょう」
 戦場では頼りない君主と言われる金吾だが、こと食に関しては人も驚く行動力と勇気を発する。今回も、冬の名残を惜しみつつ春を迎える宴会のための鍋をと、とある人物に頼まれたので、その食材集めのために、奥州の冬野菜を求めた後に、加賀に米を購いに来たのだった。
「しっかし、その宴会っての。なんだか楽しそうだから参加したいんだけど」
 ちらり、と祭り好きの慶次が屋敷へと目を向ける。心底残念そうに溜息を吐く彼に、金吾は同情的な目を向けた。
「色々と、大変そうだね」
「ああ。まあ、でも、自分が選んだ道だからさ」
「そっか」
 にこっと笑った慶次が、金吾の向こうに目を向ける。振り返った金吾は、まだまだ咲く気配の無い桜の木を見て、遠く懐かしい目をする慶次に顔を戻した。
「咲いたら、すごくキレイなんだろうね」
「ああ。そりゃあもう、すんごくキレイだよ。埋もれるほどに咲いた桜を間近で見ようと、昔、友だちと登った事があってさ。咲き誇る桜の真ん中にいるなんて、最高だろう?」
 満開の桜の花に四方を囲まれる想像をして、金吾がふんわりと夢心地に頬をゆるめる。
「そんな中で食べる、お花見団子は最高だろうなぁ」
 うっとりとつぶやく金吾に、慶次はそう思うだろうと返す。
「で、俺とその友だちは、桜の花の中で宴会をしようとしたんだけどさ。どっちも体が大きかったもんで、桜の枝が折れちまってさ。見事に地面に二人して落っこちちまったんだけど」
 悪戯小僧のように歯を見せる慶次が、金吾の顔を覗きこむ。
「その衝撃で吹雪のように桜が舞い落ちてきて、落ちた痛みも忘れて二人で地面に転がって、桜の花びらに埋もれたんだ」
「い、痛くなかったの?」
「痛いとか、そんなことを忘れるくらい、キレイだったんだよ」
 なつかしいな、と慶次の顔に書いてある。その見えぬ心の文字が、楽しげに跳ねていた。
「それじゃあさ、その友達を呼んで、桜が咲いたら花見の鍋をしようよ。うんと美味しい鍋を、作るから!」
 慶次の話は面白い。それに、この加賀の人々はやわらかくあたたかく、陽気だ。何よりも、前田まつの手料理は美味しい。慶次と友人との楽しい思い出話とともに食べる美味は、また格別の味となるだろう。極上の食材や調味料、料理の腕だけで、食事は完成するわけではない。共に食べる相手、その場の雰囲気などが、どんな調味料よりも最高の味付けをするということを、金吾はよく知っていた。
「え。ああ、うん、そうだなぁ」
 慶次の笑みがこわばり、金吾は首を傾げる。何か、言ってはいけないことを、言ってしまったのだろうか。
「あの、えぇと」
 何か言わなければと言葉を探す金吾に、慶次は彼の気遣いを包む笑みで話題を振った。
「ところで、最高の鍋祭りは、どこでするんだい」
 慶次のこわばりが消えた事にほっとしつつ、金吾が答える。
「大阪城だよ」
「え」
「竹中さんが、士気を上げるのと交流をするのに、みんなで美味しいものを共有するのもいいだろうって。鍋だと、共有をしている感じがすごくするし、まだまだ肌寒いから、梅を見ながら鍋を食べるのは、滋養もつくし。あと、厳しいことばかりしてちゃ、だめだからって」
「それは、秀吉とか、半兵衛とか、その、全員でってことだよな」
「うん」
 慶次の目が桜に向く。それに、金吾は首を傾げた。
「なぁ。その、頼みがあるんだけどさ」
 桜を見ながら頼みをつぶやく慶次に、金吾はしっかりと胸を張り、任せといてと返事した。

 薄い雲のかかる早春の空に、美味しそうな香りを含んだ湯気が、立ち昇っている。特性の大鍋の中で、奥州の野菜と西海の鬼から取り寄せた新鮮な魚介類が、食べられるときを今か今かと待っていた。
「魚介類を追加するときは、火加減をしっかり見てからにしてよね。温度が低いと、生臭さが残っちゃうんだから」
 きりりと眉をそびやかし、指示を出す金吾が愛用の鍋に大鍋の中身をよそい、ちらりと毛氈に胡坐をかいている鬼のように大きな男を見た。岩を思わせる頑強な体躯に、鬼瓦のような顔をしている豊臣秀吉の姿に怖気ながらも、金吾は炊き立ての加賀の御飯も手に持って、近付いた。
「あ、あのう……秀吉さん」
 おそるおそる声をかければ、ぎろりと秀吉が目だけを金吾に向けた。ヒィッと悲鳴を上げた金吾は、へっぴり腰になりながらも逃げ出そうとする足を叱り、秀吉の傍によった。
「これ、あの。出来たての炊きたてで、食べごろです」
 そろそろと鍋をさしだせば、うむと答えた秀吉が鍋を持ち上げ、目の前に置く。そうっと加賀の御飯を秀吉の前に置いた金吾は、そのまますぐに去りたい気持ちを押さえ込み、小さく小さく体を縮めて、秀吉の斜め前に座した。
「あ、ああああああのっ!」
 声を震わせ怯える金吾を、秀吉は無言で見る。威圧を感じた金吾は、ごくりとツバを飲み込み周囲を見回し、近くに誰も居ないことを確認してから、勇気を振り絞って声を出した。
「う、うう、梅っ、き、キレイですねっ」
「ああ、そうだな」
 低く静かに、秀吉は答える。
「天気もいいし、鍋日和ですねっ!」
「うむ」
 あれ、と金吾は言葉少なに返す秀吉を見る。すごく怖い人だと思っていたけれど、実はそうでは無いのかもしれない。鬼瓦のようだと思ったその顔は、もともとそういう顔の造りで、表情を浮かべないから怖く見えているだけなのかもしれない。体が大きくたくましいから、威圧感を感じるだけなのかもしれない。
「あ――」
 ふいに、秀吉の目元が和らいだ。目を丸くした金吾は、彼の視線の先に顔を向ける。そこには、梅をついばむ黄緑色の愛らしい小鳥の姿があった。あれは、鶯だろうか。
 秀吉に目を戻した金吾は、彼の唇がわずかにほころんでいることに勇気を得て、話しかけた。
「梅が、好きなんですか」
 ん? と秀吉が金吾に顔を向ける。変わらず鬼瓦のような面相だったが、金吾はもう怖がらなかった。この人は、怖い人じゃないという確信が、金吾の中に出来ていた。
「あ、あの、冷めちゃうから」
 手振りで食べるように勧める金吾に頷き、秀吉は箸を取った。無言で食べる秀吉の横で、金吾も椀を手に食べはじめる。
 静かに食べ進む秀吉の向こうで梅が咲き、その先に薄青い晴天がある。なんとなく、似合うな、と感じた金吾の脳裏に、桜の似合う男の姿と、彼からの頼まれごとが浮かんだ。
「あのっ、秀吉さん」
 ん? と、またもや無言で秀吉が金吾を見た。きっと、この人は自分の思うことを半分も言わずに、自分の中に溜めてしまう人なんだろう。誰にも何も言わずに、ただ黙って何もかもを決めて進めてしまう人なんだろう。一人で進んで、その背中に誰かが寄り添うような人なんだろう。だからきっと、梅が似合うんだ。
 唐突に、そんなことが金吾の中でひらめいた。
 桜のように、人々を集めてにぎわすのではなく、静々と人が集まる梅のようなこの人に、あの人は何を伝えようと思って頼みを託したんだろう。
 そんなことを、ほんのりと考える前に思いながら、金吾はふうっと吸い込まれるように秀吉の傍に膝を進め、真っ直ぐに顔を上げて告げた。
「梅を愛でるのもいいけど、痛みを忘れるくらいの桜吹雪に埋もれるのも、楽しいよ」
 わずかに、秀吉の眉が上がった。唇を引き結び、さらに膝を進めた金吾が言う。
「また、一緒に花見をしよう。今度は、枝から落ちないように気を付けて」
 本当の伝言は、もっと間接的で遠まわしな言葉だったけれど、金吾は無意識に直接的な言葉として紡いでいた。
「それは……」
 秀吉が、金吾に体を向けて絶句した。しっかりとお使いが出来たことを誇る子どものように、胸をそらし得意げに鼻を鳴らして、金吾は秀吉の手にある御飯茶碗を指差した。
「それで作ったおむすびを持って、またあの場所で桜を見ようって」
 頼まれた事を言い終えた金吾は、驚きに硬直する秀吉の姿に確信する。慶次の言っていた友人は、秀吉だと。
 ぎこちなく手の中の艶やかな御飯に目を向けた秀吉は、そうか、と音をこぼした。
「梅の花見はなんだか静かで和やかな感じだけど、桜の花見は賑やかで楽しいよね」
 勝手に秀吉に親しみを感じてしまった金吾が、友に接するような声音で秀吉に笑いかける。真っ白な御飯と金吾の先に思い出を透かし見て、秀吉がほんのりと笑みを浮かべた。
「よいものを、馳走になった」
 満面に笑みを浮かべ、金吾は深くしっかりと頷く。桜の咲く頃になったら、頼まれていなくとも加賀に出向いて鍋を作ろう。あの桜の下で、鍋祭りをしよう。そうしてこの梅見の鍋会の話をして、今度は加賀での桜の鍋祭りの話をするために、また大阪城で美味しい鍋を振る舞おう。どんなに遠く離れても、どれほどの時間が経ったとしても、食べ物の味が人や記憶を繋げるのだから。
 微笑む金吾の目に映る、悲しげに穏やかな秀吉の頬が、加賀の御飯に膨らんでいた。

2014/03/02



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