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登場―三成・左近・刑部
春・分つ

 鏡のように澄んで平らな空は、よそよそしいほどの遠さにありながら、親しみを込めた火の光を地上にもたらしている。
 その空を見上げるともなしに、顎を上げて視界に入れる石田三成の周囲を巡る風は、冬の冷たさを残していた。
 なれなれしいくせに、遠い。
 そんな日差しの距離感に、三成は去っていった男の影を感じていた。
 徳川家康。
 共に豊臣秀吉のためにと、励んでいたはずの男だった。人の好き嫌いの激しい三成には珍しく、気さくに声をかけてくる、遠慮の無い男だった。誰にでも分け隔てなく、同じ笑みを持って接する彼の仕草や力量を、三成は表に出さず認めていた。自分で思うよりも、彼のことを認め、深く信頼していた事を、よりにもよって彼が豊臣を離れたと聞いた時に、激しい衝動と共につきつけられた。
 憎悪とも、絶望とも、哀切とも言い切れぬ暗く激しくドロドロと渦巻く、火傷しそうなほどに熱く冷たいものに包まれた三成は、自らの手で必ず彼を屠ると決めた。
 無二の友と、無意識に受け止めていた。信頼をしている、ということを意識する必要も無いほどに、深く強く胸の奥底に感じていた。そんな男の裏切りを、その理由を述べようとする声を、姿を、三成は拒絶した。
 激しさは暗く凝り、今は静謐とした信念となっている。
 この手で、あの男を誅殺する。敬愛する秀吉様を裏切り、半兵衛様に憂いを与え、この私を見限り去った、あの男を。
 強い風が、雪のように白く、柳のようにしなやかな三成の体を押した。春を迎える前に吹きすさぶ、強い風だ。この風のように、自分は家康に迫りその首を落とし、この胸に我が友としての生を取り戻させる。
 季節が変わる前の大気が荒れるように、時代が変わる前も荒れるものだ。そう、軍師である竹中半兵衛が言っていた。それは歴史が証明しているのだと。今のこの戦乱は、秀吉が天下を治めるために必要な、嵐なのだと。
 三成は、その言葉を固く信じている。この春の強い風のように、厳しいものが吹き去った後には、穏やかな日差しが包む、うららかな世の中が来る。秀吉が天下人となり、この脆弱なる国を外海の国々とも渡り合えるほどの、屈強なものとするのだ。
 なぜ、それがわからないのか。
 離反という愚行を働いた友を――友だった男を、遠い空に輝く太陽と重ね合わせ、目をすがめて三成は眺める。
「あ、こんなところに居たんスねぇ。三成様」
 背後から緊張感のかけらもない、親しげな声が三成にかけられた。三成に親しげに話しかけてくる人間は、限られている。たっぷりと時間をかけて振り向いた三成の目に、臆することなく笑みを向けてくる島左近が映った。その笑みに、全幅の信頼と親しみを込めて自分を呼ぶ、あの男の顔が、声が蘇る。
 ――三成。
 胸に湧いた、小さな火傷のようなひりつく痛みに、三成が目元を険しくさせた。それに少し首を傾げた左近が、すたすたと歩み寄ってくる。
「どうしたんスか、三成様。すんごい怖い顔してますよ。そんな顔してるから、皆から怖いとか、なんだとか言われちゃうんですって」
「うるさい」
「うわっ。ほらほら、それ! そうやって、取り付く島もないから、誤解されちゃうんですって。こんな天気のいい日なんスから、ほら、笑って笑って」
 にっこりと笑みの見本をしてみせる左近に一瞥をくれ、三成はフイッと目をそらした。大坂城の梅が、三成の目に止まる。咲き誇る梅は、もうじき見ごろを終えて落ち、桜に権勢を奪われるだろう。
 三成は左近に目を向け、桜と彼の姿を通じて、秀吉の親友であった男、前田慶次を思い出す。袂を別った時の秀吉の心境は、離れていった友を解き伏せようとする慶次の心境は、と思いかけ、鼻先で笑い飛ばす。
 どうでもいい。
「そうそう。その調子で、もっと楽しそうに、にっこり。ほら、三成様」
 三成の口の端に上った、あるかなしかの笑みを自分の誘いに乗ったものと、左近が勘違いをしてはしゃぐ。無邪気に自分を慕う彼に、三成は心の底から呆れと親しみを込めた微笑を滲ませた。
「くだらぬ真似をしている暇があるのなら、秀吉様の御為になることを考えろ」
「もう。三成様ってば、二言目には秀吉様なんスからぁ。ま、いいや。俺、三成様を呼びに来たんスよ」
「私を呼びに? 秀吉様からの御召か」
 三成の笑みが瞬時に消えて、左近は慌てて顔の前で両手を振った。
「ああ、違います。違いますって。もしそうなら、いの一番に用件を言っていますって。でないと、三成様に斬り殺されそうだもんなぁ」
 そっと後半でぼやいた左近の言葉を黙殺し、早く用件を言えと三成が促す。
「今日ってば、ちょっと肌寒いじゃないっスか。そんで、梅も見ごろが終わりそうだし、葛湯を皆で飲もうって話になってるんスよ。で、三成様もご一緒にって誘いに来たんス」
「くだらんことに、私を誘うな」
「くだらなくなんて、無いっス! もっと、三成様は皆と接するようにしたほうが、いいっス。でないと、誤解をされたまんまじゃないっスか」
「誤解? 私は、自分をごまかすようなことは、一切していないが」
 怪訝に眉をひそめた三成に、まあまあと左近が移動をするよう手振りで勧める。
「それに。私が笑んだ姿を見た者は、死者となるという話があるそうだ。そんな人間が共にいては、梅見どころではなくなるのではないか」
「うげっ」
 カエルが潰れたような声を出した左近に、やはりなと三成が嘆息する。
「出所は、貴様か。左近」
「んぁあっ、それは、ほんのちょっとの出来心っていうか。そう広まったら、三成様の笑顔を見てみたいって連中も出て来るかなぁ、なんて思っちゃったりなんかしちゃったりしたっていうか、その、あの……っ、す、すんませんっ」
 ぱんっと勢いよく両手を合わせて頭を下げた左近に、まあいいと呟き三成が歩き出す。ちろりと目を上げた左近が、ほっと胸をなでおろして足取り軽く、三成の前に出た。
「こっちっス!」
 楽しげに案内をする左近について、三成は火鉢の並べられている庭に出た。火鉢の炭を掻き混ぜて、火力を強めている大谷刑部吉継のそばに寄る。
「おお。来たか三成」
「私を呼んだのは、刑部か」
 ヒヒッと包帯だらけの顔を笑みにゆがませ、刑部が火掻き棒を持ち上げた。
「我ではない。発案者は、左近よ」
「左近が?」
 火掻き棒の先で刑部が、葛湯の鍋を掻き混ぜている男に話しかける左近を指した。それにつられるように顔を向けた三成の視線に気付き、両手に汁椀を持った左近がにこにことする。
「あれも、色々と主のことを気にかけておるのよ。まこと、良き忠犬を手に入れたな、三成よ」
「下らん」
「ヒヒッ」
「三成様、刑部さん、これ。あったまりますよぉ」
 ほら、と差し出された汁椀に一瞥をくれ、いらんと言う三成に、そんなこと言わないで下さいよと左近が勧める。しばらくの押し問答の後、三成は汁椀を手にして葛湯を飲むであろうことを予期しながら、刑部は火鉢の炭を掻き混ぜ、炭の隙間に燃え残る紙片に目を留める。それは左近がひそかに焼き捨てるため、火鉢にくべた文だった。さりげなく捨てた左近に気付き、刑部はわざわざこの火鉢に陣取り、こうして三成の目に触れる前に燃やし尽くそうと、火力を強めるために炭に空気を入れている。
「ずいぶんと、いろいろな者に世話を焼かれる性分よな、三成」
 ヒッヒと笑った刑部の火掻き棒に混ぜられた、燃えかけの紙片には『を、頼む。 家康』の文字が細く小さな字で踊っていた。それが火にまかれ、焦げて読めなくなっていく。
「刑部さんも。ほら」
 顔を上げた刑部は、左近の顔を眺めつつ手を伸ばし、これを捨てた折の、何かを吐き捨てるように呟く、苛立った彼の顔を思い出した。
「あったまるっスよ」
「――さもあろう」
 受け取った刑部が三成に目を向ける。渋面で葛湯を見つめる三成に、うながすように刑部がひとりごちた。
「梅の見ごろも、終わりよな」
 顔を上げた三成は、眩しそうに目を細め、穏やかな日差しに遠い記憶を呼び覚ます。それは懐かしくも温かく、どれほど切望しようとも手に入る事のできぬものとなった、幻のような思い出だった。

2014/03/21



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