うらうらと穏やかな日差しを浴びた街道で、ふらりふらりと気だるそうに歩いていた後藤又兵衛は、目に入った街道の茶屋で休む事に決めた。「餅でも食べて、一服するかぁ」 茶屋には、数人の男たちが集まっているのが見えた。人の賑わいがあるのなら、不味くはないだろう。そう判断して又兵衛が茶屋に入るのと入れ違いに、男たちは風呂敷に包まれた餅を受け取り店を立った。やつれた顔の、ぼろを纏った子どもを二人ほど連れているのを、ちらりと目の端に流し見ながら又兵衛は、やれやれと床机に腰掛け店奥に声をかけた。「おぉい。餅か何か、出してくれぇ」 すると、申しわけなさそうな顔で、髪に白いものが混じっている、ふくよかな女が店奥から顔を出した。「ああ、申しわけありません。さきほどの方々が、あるだけの餅を買って、持っていってしまわれたのですよ」「あぁあぁあ? 餅が無いって事かぁ。ねぇ、無いって事だよなぁあ」 下から掬いあげるように見てくる又兵衛に、怯えの色を滲ませながら女が頷く。「あぁ。じゃあ、しょうがねぇよなぁ。団子、団子でいいやぁ」「あの、なんと言いますか……仕入れておりました米は全て、売切れてしまいまして。主人が今から、町に出て購ってくる予定なのですが」「はぁああ? 何それ。今から買いにいくってことぉ? じゃあ、待ってるより町に出たほうが、早いってことだよねぇえ。くたびれて、空腹なのにさぁあ」「あい、すみません」 体を小さくして頭を下げる女を一瞥し、又兵衛は先に立った男たちの消えた方角に、視線を投げた。「あいつらが全部を買い閉めたから、この俺様の食べるぶんが無くなったってことだよねぇ」 それはひとりごとのようであったが、女は小さな声で「はい」と答えた。きらり、と又兵衛の目が剣呑な光を帯びる。「じゃあ、仕方ないよなぁあ」 幽鬼のように、ふらりと立ち上がった又兵衛は、うっすらとした笑みを口元に浮かべて、店から離れた。「食べ物の恨みは、恐ろしいんだぜぇえ」 喉で声を振るわせた又兵衛は、男たちが向かった先へと歩み出した。 又兵衛が男たちを追って入った町で、彼は会いたくも無い男と遭遇してしまった。「おっと、ごめんよ……って、あれ?」 空腹に耐えかねて、町で最初に目に付いた小料理屋へ入ろうとした又兵衛を、遮るように店から出ようとした男を見て、又兵衛は満面に不快を滲ませた。「なぁんだよぉ。なんで、こんなところに居るんだよぉ」 その男は、豊臣の石田軍に所属する、島左近であった。左近は、おやっと眉を上げて猫背の又兵衛を見下ろす。「なんで、こんなところに居るんだ」「それは、こっちの台詞だろぉがぁ。頭悪いのかオマエ。なぁ、先に言ったのは、こっちだろうがぁ。聞こえなかったって言うんなら、脳みそまでかきだしちゃう耳かきの刑に処してやろうかぁ」「アンタに耳かきをされるなんて、ぞっとしないね。――それよかさ、ちょっとどいてくんない。俺、用事があるんだよね」「そっちが遮ってんだろうがぁ。又兵衛様は空腹で倒れそうだってぇのにさぁ」 片目をすがめて、忌々しそうにする又兵衛に、左近は軽く肩をすくめて横にずれた。それに満足そうに鼻を鳴らした又兵衛は、店奥に入って適当な場所に腰をかけた。入れ違いに左近が店の外に出る。又兵衛は左近にちらりと目を向けてから、煮魚と飯を頼み、空腹を癒しながら周囲の声に耳を傾けた。 耳に入った情報は、近頃この付近で子どもを買い上げる連中が居る、という話だった。この時代には珍しくも何とも無い。戦に男手を取られ、食うに困ったものが口減らしのために、子どもを売るのはよくあることだ。だが又兵衛は、茶屋で男たちがボロをまとった子どもを連れていた事を浮かべ、おそらくは彼らがその人買いであろうと察した。人買いは、人を売るツテがなければ成り立たない。誰もが出来る商売ではない。腹を満たした又兵衛は、その噂話をしていた者たちに、声をかけた。「なぁ。今の話さぁ、もうちょっとだけ、詳しくおしえてくれないかなぁ」 爬虫類を思わせる又兵衛の雰囲気に、男たちはぎょっとしつつも酒を飲みつつ、語った。 ここのところ、子どもたちを買いたいという者がいる、という話をよく聞くようになった。男手を奪われたり、戦禍に巻き込まれるなどして寒村となった所のみではなく、こういう町中の貧しい家にも、子どもを売らないかと持ちかけてくるのだそうだ。そう言った男たちに、又兵衛はふうんと首を傾げながら、頭の中で整理する。「まあ、このご時勢だからな。一緒にいたって飢えて死ぬだけなら、どんな目に遭うかわかんねぇけど、子どもを売るほうがマシだっつって、売る奴も少なくねぇからなぁ」「この町で、そういう連中が行きそうな、貧乏人ばっかの場所って、どこだか教えて貰えるよなぁ」「ん? ああ、そりゃあいいけど。なんでまた」「なぁんでも、いいだろぉ?」「まあ、そうだけどよ」 隠すような事柄でもないので、男たちは又兵衛に、町の外れの区画を教えた。又兵衛は銭を置き、ふらりと店を出て周囲を見回し、にやりとしたかと思うと、路地に身を滑らせて影の中に溶けるように、音も無く目的の方角へと進んだ。「こいつぁ、また悲惨な区画だなぁ」 面白がるように声を震わせ、又兵衛は物影から、嵐がこれば木っ端微塵になりそうな家屋の並びに目を向けていた。なるほど、これなら食い詰めた親が子どもを売りそうだと、又兵衛はひそんで待つことにした。「この俺様を空腹のままで町まで歩かせた罪が、どれほど重いか教えてやらなきゃなぁ。どんな刑を、与えてやろうかなぁ」 含み笑いで処刑の想像をしながら、又兵衛は待った。とっぷりと日が暮れて、空腹を感じる頃になるまで待った。けれど男どもは現れない。子どもの姿は幾人か見たので、買いに現れないということは無いはずだと、又兵衛は一晩、男どもを待ち続けた。「この又兵衛様を寒空の下で、待たせ続けるとはなぁ……閻魔帳の順位を、八十六番目から六十二番目まで、繰上げだぁ」 怨嗟の声を上げた又兵衛の横を、野良猫がするりと通り抜ける。星がしらじらと輝き、ボロ家を照らしている。空腹は限界を通り越し、すでに感じなくなっていた。又兵衛は自分の空腹よりも、茶屋での恨みを晴らすことを優先し、ひたすら待った。 すると、家の中からそっと、男が子連れで出てきた。周囲を見回し、道を行く。又兵衛の勘が、あれは恨む相手の場所への案内だと告げていた。迷わずに、闇に溶け込んで又兵衛は後をつけた。 尾行されていることなど、かけらも疑うことなく子どもを連れた男は進み、やがて街道をそれた先にある小屋へと行きついた。小屋からは明かりと人の気配が漏れていた。「あそこかぁあ」 にたり、と又兵衛の口が歪んだ。その笑みが、形を完全に作り終える前に止まる。又兵衛の目が、その小屋を狙う別の存在に気付いていた。 子どもを連れた男が、ほとほとと戸口を叩く。その様子を、小屋の影に潜んでいる男が伺っている。月光の薄い地上は、十分に明るいとは言えない。それでも又兵衛は、その男が何者かを昼日中の時と変わらぬぐらい、鮮明に理解した。「俺様の邪魔をする気かぁ」 その男は、島左近であった。どういうわけか左近も、小屋の中の者らを狙っているらしい。「獲物を横取りするつもりですかぁ? それは、許せないよなぁあ」 地を這うように低く、又兵衛が小屋に向けて滑り走る。それと同時に小屋の戸が開き、子連れの男が子どもを戸の中へ押し込むように、背を押した。「そこまでだっ」 鋭い声を出して踏み込んだのは、左近が先だった。子どもの頭上をかすめた左近の蹴りが、戸を開けた男の顔面にめり込む。驚いた子どもが尻餅を付き、子どもを連れてきた男が悲鳴を上げて、小屋から離れた。「三成様の命により、アンタらの悪巧み、阻止させてもらうよ!」「俺様の獲物を、横取りなんてさせねぇよおぉおおっ」 小屋に左近が入るのに少し遅れて、又兵衛も踏み込む。鮮やかな蹴りで小屋の中に居た男たちを、文字通り蹴散らす左近に遅れまいと、又兵衛も愛用の弓のような形をした刀<奇刃>を操り、男たちを血祭りに上げた。「ケーッケッケッケ! この又兵衛様を空腹のままガマンさせた罪、思い知れぇえ」「はぁ? 何だその罪」 呆れながらも男を蹴倒した左近に、又兵衛は蝿を追い払うような顔をした。「何が目的なのかは知らないがなぁ。コイツらは、この又兵衛様の獲物なんだよぉ。……邪魔、しないでくれませんかねぇ」 声を潜めてさらりと威嚇する又兵衛に、きょとんとした左近が足元で呻く男の襟首を掴んで、持ち上げた。「俺は別に、邪魔をするつもりなんて無かったし? こっちはこっちで、三成様の命で来ただけだから」「はぁあ? 意味がわからないんですけどぉ」 下あごを突き出して、左近を小馬鹿にする。そんな又兵衛を黙殺し、左近は持ち上げた男に、にっこりと問いかけた。「集めた子どもたちの居所、教えてくれるよな」「ううっ、誰が、オメェなんぞに」「あっそ。なぁ、又兵衛さんさぁ。アンタの得意なナントカの刑で、殺さない程度に、コイツらを痛めつけてくんないかなぁ」 左近が、掴んだ男を又兵衛に差し出す。「恨み、晴らしたいんだろ? 俺はさ、聞き出したいことあるから、殺しはしないで欲しいんだよなぁ」 なんでもないことのように、剣呑な事を言う左近を見、男を見た又兵衛は考える。「俺が欲しい情報さえ手に入ったら、殺しちゃってもいいからさぁ。それまでは、内緒にしている話を引き出すような、すんごい刑罰、与えちゃってよ。内緒にしている事を言わなきゃいけない屈辱、味わわせたほうが、あっさり殺しちゃうより、よくない?」「……」「コイツらの上司にも、そちらさんの恨みの責任を取ってもらえるしさぁ」 悪くないだろ、と提案する左近に、又兵衛は暗く粘ついた笑みを浮かべた。「その上司にも、俺様の恨みの責任を取らせるっていうんなら、言う事を聞いてやってもいいけどなぁ」「よっしゃ。交渉成立。そんじゃ、ま。俺は外に居る子どもと一緒に、終わるのを待ってるからさ。あとは、よろしく」 鼻歌でも始めかねない気楽な調子で、さわやかに左近が外に出て戸を閉めた。残った男たちは、痩躯な又兵衛を甘く見ているのか、刃物を警戒しつつも起き上がり、仲間を叩き起こし、殺意を又兵衛に向けてくる。それを楽しげに受け止めながら、又兵衛は呟いた。「楽しい処刑の始まりだぁ」 怪鳥のような男たちのすさまじい悲鳴が、響き渡った。 餅を食べそこねた茶屋の床机に、又兵衛は左近と並んで座り、茶を喫していた。「いやぁ。一件落着して、良かった良かった」 にこにこと茶を啜る左近の横で、又兵衛は餅を食んでいる。「ここは、俺のおごりにしとくからさ。しかし、さすがだよなぁ。小屋の中の男たちの姿ったら、見るに堪えない無残な有様すぎててさぁ。――拷問にかけては、右に出る者がいないんじゃないの」 ふん、とつまらなさそうにしてはいるものの、褒められたことが嬉しいらしく、まんざらでもない雰囲気が、又兵衛の頬のあたりに漂っている。「このまんまさ、豊臣に帰ってくるってのは、どうよ? 今回、刑部さんが思わぬ助っ人が入るって予言しててさ。誰が助っ人か視えていたのに、わざと名前を俺に教えなかったんだと思うんだよねぇ」 左近の声が弾んでいるのは、与えられた任務を見事やり終えたからだろう。日本の子どもは、大陸に送れば高く売れる。国力の増大を目指している豊臣からすれば、次代の国力を担うであろう者を、外海の国へ流出させるなど、とんでもないことだと左近は阻止を命じられたらしい。首謀者を捕らえ又兵衛が拷問をしている間に、左近は集められた子どもたちに、男たちが蓄えていた銭を分けて持たせ、帰るなり何なり好きにしろと言って解放した。「ね。どうよ? 帰る気になんねぇかな」 顔を覗きこんでくる左近を、横目で見ながら口の中の餅を飲み込んで、又兵衛は小馬鹿にするように下あごを突き出した。「いやなこったねぇ」 呆れた鼻息を漏らしつつ肩をすくめた左近は、それ以上誘う事はせずに立ち上がり、床机に多めの銭を置いた。「こんだけありゃあ、餅代としばらくの旅費にはなるっしょ。今回は、礼を言っておくよ。じゃあね」 背中越しに手を振り去っていく左近を眺めつつ、閻魔帳に記している彼の順位を繰り下げてやってもいいかな、と又兵衛は穏やかな日差しの中で思うのだった。2014/03/28