メニュー日記拍手

登場―片倉小十郎・柴田勝家
籠鳥雲を恋う

 野良仕事もひと段落し、昼時なので手を止めた片倉小十郎は、他の農夫らに誘われ土手に腰掛けた。茶瓶と手桶を持った女衆がやってきて、中に入っている握り飯と茶を小十郎に勧める。小十郎はそれをありがたく受けた。
 農夫に混じり笑みを交わしているが、彼の体格は農民のそれとは違っていた。筋骨の逞しさは武人のそれであり、頬にある傷跡は刀傷と見える。切れ長の瞳には深い光りが宿っており、見る者が見れば只者ではないと知れた。
 彼は、奥州を統べる竜、伊達政宗の失った右目とまで称されるほどの腹心であり、軍師であった。その勇名は天下に知られるほどのものであった。それと同時に、その道でひそかに名を馳せてもいた。その道、とはつまり、農作物に関するものであった。
 小十郎の作る野菜は畑の宝石とも言われ、遠路はるばる彼の作る野菜を求めて訪れる者も少なくなかった。
「今年も、土の具合はよさそうだ」
 小十郎の呟きに、初老の男が目じりのしわを深める。土作りが何よりも大切な事を、小十郎は知っていた。彼が野良仕事を始めたのは、兵糧の工夫のために君主でありながら料理をする政宗の影響を受け、食糧確保という観点からはじめたという噂があるが、真偽のほどは定かではない。農夫にまじり、屈託無く笑みを交わす彼の姿は、心底の楽しみを見出しているようにしか見えなかった。
 熱く、意味ありげな、色っぽい視線を向けてくる娘たちの気持ちに、いっかな気付く様子もなく、小十郎は今年の土の具合や天候。去年のできばえと比べて今年はどうなるかなど、作物の話を楽しげに交わしている。その目がふと、あぜ道の向こうにある木陰に止まった。そこに、少年からようやっと抜け出したような、はかない危うさを纏った男の姿があった。ぼんやりと木に背を預けて座っている彼は、顎を持ち上げている。木漏れ日を受けているのか、木の葉の間から見える空を見つめているのか。細面で色白。さらりと肩より上の位置で切りそろえられた漆黒の髪のせいで、遠目に見れば少女のように見えなくも無い彼は、柴田勝家と言った。
 かつて自分が王になれると織田方の兵でありながら謀反を起こし、完膚なきまでに叩きのめされ、その絶望を甘受し彷徨っている彼を、政宗は自分と似ていると言って引き取った。おそらく勝家は、今まで挫折というものを味わった事が無いのだろう。政宗は、容赦のない挫折を味わい、立ち直る術を持たず、けれど光りを求めて絶望のふちを漂う彼と、右目を失った時の自分を重ねたのだろうと、小十郎はすぐに気付いた。そして勝家に光りを見せたいと望む主の、心の成長を好もしく思った。
 農夫らとの歓談を終え、小十郎は腰を上げた。彼らに別れと食事の礼をいい、残念そうな娘たちの視線を背に受けて、勝家の元へ歩み寄る。
 勝家は確か、政宗に奥州に暮らす人々の顔を見てこいと言われ、弁当包みを渡されたはずだと思い出しつつ、小十郎は歩み寄った。姿が近く見えるにつれ、勝家の膝に弁当の包みが開かれているのがわかった。そしてその握り飯をほぐし、小鳥にわけあたえているのも。
 小十郎は足を止めた。自分が近付けば、鳥は逃げてしまうだろう。それを勝家は惜しいと思うのではないか。しかし、野鳥が警戒もせず人のそばに降りて飯粒をついばむとは。
 勝家を眺めながら、小十郎はさまざまのことを思う。その視線に気付いたらしく、勝家が小十郎へと首を巡らせた。それは人ならざるもののようで、小十郎は息を呑む。彼はかつて「怪王」と名乗っていたらしい。幽鬼のたぐいに通ずる何かがあるから、野鳥が彼を慕っているのだろうか。
 このまま去るのも妙なので、小十郎は勝家に歩み寄った。小鳥が飛び立ち姿を隠す。
「すまねぇな」
 勝家は、不思議そうに首を傾げた。
「鳥だ」
 乏しい表情の中に、わずかな理解を勝家が浮かべた。
「かまわない」
 勝家の膝の上にある握り飯は、ほとんど減っていなかった。
「腹、減ってないのか」
「いや」
 その言葉の先が出る前に、小十郎は勝家の横に座した。強い日差しが木の葉にゆるめられ、心地いい。
「鳥が、来たから」
「そうか」
 おそらく、鳥が来たので自分よりも先に食わせようと思ったか、鳥の姿に夢中になり食すのを後回しにしたかだろうと、小十郎は言葉少なな勝家の意思を判じた。
「この木陰は、良い具合だな」
 こくりと勝家が首を動かし、握り飯を掴んだ。頷いたのか、握り飯を見るために目を向けただけなのか。
「鳥が、好きなのか」
 小十郎の質問がよくわからなかったらしい。勝家はぼんやりと小十郎を見て、少し考えるように目をそらした。
「野鳥が、人に集まるのは珍しいと思ってな」
 その言葉が聞こえていないように、勝家は動かない。小十郎は静かに、勝家が反応を示すのを待った。彼は、命じられた事は忠実にこなす分、自分の意思というものが欠落あるいは気付くのに時間がかかる。それほどの衝撃を味わったのだろう。
 問いの返答が無くてもかまわない、というくらいの気持ちで、小十郎は勝家に接していた。少しずつ、慣れてくれればいい。
「鳥は」
 ぽつり、と勝家が言う。
「じっとしていれば、来る事がある」
 勝家は握り飯の中に答えがあるかのように、じっと見つめた。
「今回は、空腹だったのだと、思う」
「そうか」
 勝家がそっと握り飯に唇を寄せた。ゆっくりと、小さく食む彼は行き場を失った孤児のようだと、小十郎は戦禍に見舞われ取り残された者らの姿を脳裏に浮かべ、眉根を寄せた。
 しずしずと、勝家は握り飯を租借する。小十郎はそれを眺め、木々の間から空を見上げた。光りに透けた木の葉が折り重なり、輝いている。その隙間に鳥の影が見えた。
「片倉氏は」
 まぶしさに細めていた目を、小十郎は勝家に向けた。澄んだ、何も映していない勝家の瞳に小十郎が浮かぶ。
「片倉氏は、鳥は好もしいと思われるのか」
「そうだな」
 少し考えてから
「鳥はさまざまなものを運んでくる。好きか嫌いかと考えたこともねぇが、嫌いではねぇな」
 正直に言った。好きだと言うのは簡単だが、勝家にはそういう中途半端なごまかしのようなものを、返したくはないと思った。
「運ぶ」
「そうだ」
 勝家は深考するように目を伏せ、小十郎の返答を噛みしめているようだった。
「目に見える物も、見えないものも、運んでくる。そうだな、たとえば……季節なんか、そうだな」
「季節」
 小十郎が頷けば、勝家がまた沈考する。
「季節によって変わる鳥の鳴き声に、耳を傾けられるってぇのは、いいもんだ」
 小十郎は自分の知っている人間全てに言うように、声を放った。見えぬそれを目に映そうとするかのように、勝家はあるかなしかの風に目を向ける。
「鳥の声は、戦の前と後にしか、聞こえない。戦の最中では、鳥は沈黙をする」
 聞いている余裕も無い上に、雄たけびなどで邪魔をされるから、などという無粋なことは、小十郎の胸に浮かばなかった。鳥は、安全だと思った場所にしか降り立たない。
「柴田は、剣呑な気配をもっていないということか」
 けげんに勝家が目を細めた。
「小鳥がそばに来ただろう。危険は無いと、判断したからだ」
「私が人ならざるものとでも、判断したからではないのか」
 くすりと穏やかに小十郎が息を漏らした。
「人ならざるものに憧れるのは、人である証拠だろう」
 はっと勝家が目を丸くする。その驚きがやわらかく沈んでいくのを、小十郎は見守った。
「食ったら、一緒にそのへんをブラブラするか」
 小十郎の誘いに頷き、勝家は握り飯を腹に収める作業に入った。包む瞳で見つめる小十郎の耳に、鳥のさえずりが心地よく響いた。

2014/05/12



メニュー日記拍手
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送