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登場―後藤又兵衛・黒田官兵衛・島左近・小早川秀秋・大谷吉継
とばっちり

 クタクタと鍋の中で煮えた野菜の放つ、ほのかな甘味を含んだ湯気が立ち上っている。そこに、鴨のさっぱりとした油の香が混じった。
「ちょっとぉ。ずいぶんと待ってるんですけどぉ。又兵衛様のお腹と背中が、くっついちゃうんですけどぉ。まだ出来ないんですかぁ」
 痩身矮躯の不健康そうな顔をした男、後藤又兵衛が下唇を突き出して文句を言う。
「まあまあ、又兵衛さん。もうちょっと待ちましょうや」
 そう言って宥めたのは、線は細いがしなやかな筋肉を有している、溌剌とした空気を纏う青年、島左近。
「そういやぁ、空腹は最大の調味料、なんてことを言っている奴がいたなぁ」
 太い声にふさわしい、岩のような体躯をした少々むさくるしい大男、黒田官兵衛がつぶやき、腹の虫を鳴らした。
「腹の虫を鳴かせておいて、何を言っちゃってるんですかぁ。やせ我慢が格好いいとでも、思っているんですかぁ」
「誰も、やせ我慢が格好いいとは言っていないだろう」
 小さな又兵衛が下から掬い上げるように、大きな官兵衛をねめつけるが、官兵衛は気にする様子もなく小首を傾げた。目を覆うほどに長い彼の前髪が、右に流れる。
「腹が減ると、機嫌が悪くなっちゃうらしいですよ、官兵衛さん」
 ニコニコと左近が言い、又兵衛は睨む相手を左近に変えた。
「はぁ? 誰も機嫌なんて、悪くしていないんですけどぉ。何、勝手に決めちゃってるんですかぁ」
「だって、どう見ても官兵衛さんに因縁をつけてるようにしか見えないっしょ。それで機嫌が悪くないってなったら、不機嫌なときはどうなるんスか」
 ケラリと左近が笑い、ケッと又兵衛が吐き捨てる。
「まあ、又兵衛はいつも、こんな感じだからなぁ。機嫌が悪いのかどうかは、わかりづらいが。機嫌がいいときは、わかりやすいぞ」
「ええっ。機嫌がいいときなんて、あるんスかっ!」
 目を丸くする左近と官兵衛を当分に睨んでから、又兵衛は胃袋を刺激する香りの元へ顔を向けた。
「ちょっとぉお! まだ出来ないんですかぁあ」
 グツグツと食欲を刺激する湯気を立てている大鍋に向かって、又兵衛が声を張り上げる。彼らのいる位置からは、大鍋の中は見えない。見えるのは、そびえたつ城壁のような大きな竈と、鍋の側面だけだ。その鍋の具合を見ているのは、自他共に認める鍋奉行、小早川秀秋――通称、金吾だ。又兵衛の呼びかけが聞こえているのかいないのか、金吾の返事は無い。それにイライラとする又兵衛を見ながら、左近は頭の後ろで手を組んだ。
「金吾さんって、不思議っスねぇ。普段はオドオドビクビクしてんのに、こと鍋に関しては誰にも譲らないっていうか、なんていうか」
「人間、誰しも譲れないものの一つや二つ、あるもんだろ」
「でも、あの強気っぷりは、変わりすぎにしか思えないんスよねぇ」
「そうだなぁ。だからこそ、それだけ強いこだわりを持っているとも言えるんじゃあ無いか。おいこら又兵衛。おとなしくまっていろ」
 空腹に耐えかねて、薄暗い顔をして鍋上に続く梯子に手をかけた又兵衛を、官兵衛が止めた。
「こんなに待っているのに、いっこうに出来る様子が無いから、催促に行こうとしているだけじゃないですかぁ。止められる理由なんて、無いと思いますけどぉ? それとも何ですか。この又兵衛様のお腹と背中がくっついてしまっても、いいとか思っているんですかぁ」
「あはは。又兵衛さんは細いから、その言葉、すっごい説得力あるっスねぇ」
「あぁ?」
 鋭利な刃物のように、又兵衛が目を光らせる。それをケラケラと笑いながら受け流し、左近は手びさしをして鍋を仰いだ。
「まあでも、ちょっと遅い気がするなぁ。三成様も、お腹を空かせているかも」
「あの生気の欠片も無い男が、腹を空かせるなんてこと、あるんですかねぇ」
 ケケケと意地悪く又兵衛が笑う。
「あ。それ、又兵衛さんに言われたくないっていうか、そっちのほうが幽霊みたいっていうか」
「ハァ? 喧嘩売ってんですかぁ。ねぇ、俺様に喧嘩を売りたいんですかぁ」
「こらこら、又兵衛。そうやってすぐに因縁をつけるんじゃあない」
「因縁をつけられるような事を、言う相手が悪いとは思わないんですかぁ。なんで、俺様だけを注意するんですかぁ」
 鼻の頭にしわを寄せた又兵衛に、官兵衛が困ったように肩をすくめた。
「なんでって。おまえさんが発端だろう」
「なんで、この俺様が発端なんですかぁ。発端は、こっちの頭の悪そうな顔をした、軽薄にヘラヘラしているバカでしょうが」
「俺、別にヘラヘラなんて、してないっスよ」
「してるだろぉ。いつでもどこでも、真っ白いろうそくみたいな陰気な男に尻尾振って、ヘラヘラしているくせにぃ」
「真っ白いろうそくって……三成様の格好良さを、ぜんっぜんわかってないみたいっスね」
 左近がムッとして、又兵衛はニヤリと口の端と顎を持ち上げた。
「本当の事を言われたら、怒るのが人間ってもんですからねぇ。本当は、そっちもそう思っているんじゃないんですかぁ? ろうそくだと、思っているんじゃないんですかぁ。ケケケケケ。あの辛気臭い包帯男とそろって、百物語でも語ればお似合いですよねぇ」
「辛気臭い包帯男というのは、我の事か。又兵衛」
 二人のやりとりを子どもの喧嘩を見るように眺めていた官兵衛の横に、ふわふわと浮く輿に乗った包帯の男、大谷刑部吉継が、いつのまにか現れていた。又兵衛が不快に顔を歪め、左近が不機嫌に唇を尖らせて又兵衛を指差す。
「ちょっと形部さん、聞いてくださいよ! 又兵衛さんってば、三成様のことを、ろうそくとか言うんスよ。おまけに、形部さんのこと、包帯男って。まあ、形部さんは全身包帯グルグル巻きっスけど。なんか二人の事、妖怪みたいな言い方して。失礼っスよねぇ」
「本当の事を言って、何が悪いんですかぁ」
「自分だって、妖怪みたいなくせに。カマキリの化け物みたいじゃないっスか。辛気臭いし細いし小さいし。そっくりっス!」
 鼻息荒く言い放った左近に、又兵衛がカチンときて片目をすがめる。一触即発な空気が流れ、官兵衛が慌てて仲裁に入ろうとする前に、刑部がスイと輿を滑らせて前に出た。
「まあまあ、二人とも。落ち着くが良い。腹が減って、気が立っているのであろ。我は気にせぬ。三成も、そのようなことを気にする男ではない」
「刑部さん……。そうっスよね。三成様は、そんな小さな事を気にするような男じゃ、無いっスよね」
 ふふんと勝ち誇ったように胸を反らす左近に、又兵衛が忌々しそうに息を吐く。ちらりとそれを目の端で見ながら、刑部は輿を滑らせ鍋の上に向かう梯子の横に行った。
「そろそろ鍋が完成する頃合かと思うて来たが。左近よ。ちと梯子を上り、鍋の具合はどうかと問うて来てはくれぬか」
「了解っス!」
 元気よく左近が梯子に飛びつき、するすると登って行く。
「犬じゃなくて、猿だったのかぁ」
 それを見上げる又兵衛が皮肉に唇を歪め、官兵衛が視線でたしなめた。それを横目で見つつ、刑部は数珠の一つを彼らに悟られぬよう浮かび上がらせ、大鍋の端を持ち上げるように叩いた。ゴゥンと鈍い音が響き、鍋が揺れる。
「おわっ」
 梯子を上っている左近が振動に揺れ、声を上げた。ぐらついた鍋から、波打つ出汁があふれて落ちる。その位置が望む場所である事に、刑部はひっそりと笑んだ。
 こぼれた湯気の立つ出汁が、又兵衛を狙う。気付いた又兵衛はすばやくその場を退避し、地に落ち跳ねた出汁を、官兵衛がまともにくらった。
「おわっ、うわっ、あっちぃいい!」
「あぁああ。又兵衛様の着物の端が、汚れちゃったじゃないですかぁあ。鍋臭くなっちゃったじゃないですかぁああ。早く、早く洗い落とさないと、臭いが取れなくなっちゃいますよぉおお」
「ちょっとぉおお! もうすぐ完成なのに、鍋の出汁がこぼれちゃったじゃないさあああ!!! 台座の点検は、調理前に必ずしてって言ってるでしょう! シメの雑炊を作るのに、出汁が足りなくなったら、どうするのさあぁああああああ!!!!!」
 官兵衛の叫びと又兵衛の不満の声に、あたりに響き渡るほどの金吾の声がおおいかぶさる。あと少しの梯子を登り終えた左近を確認した刑部は、慌てて出汁のかかった着物を脱ごうと転がる官兵衛と、ぶつくさ文句を言いながら洗濯をするために去っていく又兵衛の姿に、薄暗くほくそ笑んだ。
「刑部さぁあん! もう、鍋、出来るみたいっスよぉおおお」
 左近がブンブンと手を振りながら、刑部に報告をする。すぐに梯子を滑るように降りてきた。
「三成様に、もうすぐ御飯ですよって言いに行きましょう、刑部さん。……って、あれ? 官兵衛さん。何、のたうちまわってるんスか。又兵衛さん、いないし」
 左近が不思議そうにする。
「さっきの鍋の揺れで、こぼれた出汁に濡れたのよ。やれ不運よな。ヒッヒヒ」
「わちゃあ。そいつは、熱そうだなぁ。あ、官兵衛さんをほっといていいんスか。刑部さん。着物、脱がしてあげないと火傷しちゃいますよ」
「なぁに。あやつの皮膚は頑丈よ。我と違ってな。それよりも、早う三成に食事だと言うてやろ。期を逸すれば、あやつは食事を面倒がるゆえな」
「そっスね! 官兵衛さんなら、熱湯を頭からかぶっても平気そうだし。三成様が食事を抜いちゃうほうが、問題っスよね」
 うんうんと納得した左近が、軽快な足取りで三成の元へと向かう。その背を追いながら、刑部はちらりと背後に目を向けた。なんとか出汁に濡れた着物を脱ぎ終え、ほっと一息ついている官兵衛に目を細める。
「ほんに、不運な男よな。その不運の星の力を集め、他に移せる術があれば、面白い使い道もあると思うが。さて」
 ヒヒッと息を漏らした刑部が、立ち止まって手を振り自分を呼ぶ左近へと輿を滑らせ、共に三成の元へ鍋が出来たと告げに去った。

2014/05/30



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