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登場―片倉小十郎・小早川秀秋・天海
青雲の志

 土の香りの芳醇さに口元をほころばせ、やわらかく温かな手触りを確かめていた、奥州の軍師であり副将でもある片倉小十郎の耳に、自分を呼ぶ声が届いた。
「小十郎さぁあん!」
 顔を上げれば、少年とも青年ともつかない様相の、ふっくらとした体つきの鍋を背に追った小早川秀秋、通称金吾が大きく手を振ってやってくる。その背後で、幽鬼のような雰囲気を纏った、長身で細身の白髪の僧侶、天海がニコニコとしていた。
 腰を上げた小十郎に、秀秋が転がるように走りよる。
「こんにちは、小十郎さん!」
「おう、小早川。いつ奥州に?」
「さっきだよ。ねぇ、天海様」
 人懐こい子どものように、頬を持ち上げ目を糸のように細めた秀秋が、天海を振り向く。
「ええ。今さっき、ついたところです。片倉さんはどちらにいらっしゃるのかとお伺いしたら、畑に行かれているとお教えいただいたので。そろそろ、種を植える時期でしたか」
 天海が耕された畑をぐるりと首を回して眺める。笑みを浮かべる彼の頬に、小十郎は鋭く推し量る目を向けた。
「おや。何か?」
「いいや」
「あのね、小十郎さん。天海様が、土いじりをしてみようって言うから、それなら小十郎さんに聞けばいいよって、僕、言ったんだぁ」
 小十郎と天海の間に走った薄い緊迫を感じる事もなく、ウフフと秀秋が笑う。
「ええ。そうなんですよ、片倉さん。金吾さんを誘ったのですが、自分は料理し、食べる係であって、育てる係ではないと言われてしまいまして」
 ねぇ、と視線に言葉を込めた天海に、うんうんと秀秋が返事をする。
「金吾さんは、貴方の作る野菜が大好きなんです。ですから、私もそのような野菜を作る事が出来たら、と思いまして。ああ、もちろん。一朝一夕で出来るようなものではないと、重々承知しておりますよ」
「そうかい。なら、丁度いい頃合だったな。野菜作りは土作りからだ。種植えまでの間に作っておかなきゃならねぇ土を、教えてやる」
 真っ直ぐに睨むような小十郎の目を、天海はやわらかく受け止め流した。
「それはありがたいです。基本から教えてくださるのですね。ああでも、残念ですが、奥州にとどまりきりになることは叶いません。金吾さんはこれでも一城の主ですからね。長く城を空けるわけにはいかないでしょう」
 さも残念だといわんばかりに、天海は眉をひそめて吐息を漏らし、首を振った。きょとんとした秀秋が天海を見上げる。
「僕、べつに平気だよ? ここにいたら、小十郎さんの野菜が食べ放題だしねぇ」
 ヨダレを垂らさんばかりに、うっとりとする秀秋に小十郎が顔をしかめた。
「おいこら、小早川。仮にも一城の主が、何を言ってやがる」
「だってぇ」
 ぷうっと唇を尖らせる秀秋の姿に、怒りも呆れも通り越した小十郎は、しかめっ面で笑った。
「ったく。仕方のねぇ野郎だな。あらかた教えてやるから、あとはそっちで育てろ。気候なんかは、こっちとそっちじゃ違うからな。まったく同じにやったって、同じもんは出来ねぇぞ」
「ええ、そうなのぉ?」
「野良仕事とは、奥が深いのですね」
「天候やなんかに左右もされるからな。だから、豊作や飢饉が起こる。太陽や雨、風、気温なんかと相談しながら、作物の具合を見つつ育ててやんなきゃならねぇんだよ」
 小十郎の言葉に秀秋は目を丸くし、なるほどと天海は感心をする。
「天地の声を聞き、作物の声を聞く。それはまるで悟りを開くための修行のようですね」
「僕は、食材の声を聞いて、塩や味噌、醤油の声を聞いて、おいしい鍋を作ってるよ」
 腰に手を当て胸を張る秀秋に、小十郎と天海が同じ笑みを浮かべる。天海の笑みのやわらかさに、小十郎は片眉を上げた。気付いた天海が、ニッコリとする。
「ねぇねぇ。土いじりの勉強の前にさぁ、何か食べようよ。僕、いっぱい歩いて、おなかが空いちゃったよ」
 腹を抑えて二人を見上げる秀秋に、そうですねと天海も同意した。
「長旅で、おなかが空いてしまいました。片倉さん、奥州の名物がいただける所は、ございませんか。ご教授願う前に、共に食事をいたしましょう」
「奥州の名物なぁ」
 ふうむと小十郎が腕を組み、顎に手を当てる。
「奥州の名物は、小十郎さんの野菜が一番だよ!」
 元気良く秀秋が言い、小十郎が目じりをゆるめた。
「そう言ってくれんのは、ありがてぇな。作り甲斐があるってもんだ」
「小十郎さんの野菜、まだ冬野菜が残ってるよね」
 わくわくと期待に目を輝かせる秀秋に、小十郎は少し先に見える小屋に顔を向けて言った。
「あそこに、根菜類や乾燥させたキノコなんかが保管してあるが」
 ぱ、と金吾の顔が喜びに弾けた。
「それ、使ってもいい? ねぇ、使ってもいいでしょう!」
「ああ。まぁ、かまわねぇが」
「それじゃあ、僕が腕によりをかけて、おいしい鍋を作るよ! 教えて貰うお礼の先払いだねっ」
 言うが早いか、秀秋は小屋に向かって突進してしまった。
「やれやれ」
 あたたかな呆れを漏らした小十郎が、静かに微笑む天海を見る。笑みを浮かべたまま、瞳に疑問を乗せた天海が小十郎を見た。
「ずいぶんと、穏やかな顔をしているじゃねぇか」
「おや。まるで私を前から知っているような言い方ですね。片倉さん」
「気付かねぇとでも思っていたのか――」
 名を告げようと動きかけた小十郎の唇を、天海が人差し指を押し当てて遮った。しぃ、と自分の口当ての前に、もう片方の人差し指を立てて示す。
「言わぬが花、という言葉もあるでしょう」
「なるほど。言わねぇほうが、花になるか」
 フフフと天海が笑みを漏らす。
「そういう顔が出来るようになったんなら、良かったんじゃねぇか」
「どなたと間違われているのかはわかりませんが。貴方が私を見て良かったと思われたのなら、それはきっと金吾さんのおかげでしょうねぇ」
 天海が目を細めて、小屋に走って行った秀秋に顔を向けた。小屋の横で火を起こし、鍋を作っている秀秋が小さく見える。
「あれのそばじゃあ、剣呑になれっていうほうが難しそうだな」
「金吾さんに、イライラすると仰る方もいらっしゃいますが」
「少なくとも、テメェはイラつかねぇんだろ」
「さあ、どうでしょう」
 含み笑いをする天海に「食えねぇ野郎だ」と小十郎は零した。
「天海様ぁあ! 小十郎さぁあん! 早くおいでよぉお」
 ブンブンと大きく腕を振り回す秀秋に、二人は同時に笑みを深める。
「ああ、今行く」
「すぐに行きますよ、金吾さん」
 答えた二人は秀秋に向けて足を踏み出した。
「何にせよ、オメェがこんなに慕われる事があるとはな」
「ですから。どなたと勘違いをなされているのかはわかりませんが……まあ、そうですね。金吾さんは、私を慕ってくださっているみたいですね。ありがたい事です」
「せっかくの居場所だ。手を離すんじゃねぇぞ」
 きょとんと瞬いた天海が、了承とも拒絶とも取れるあいまいな笑みを小十郎に向けた。
「人の世は、何時いかなる時に、どうなるかわかりませんからね。どれほど、そうありたいと願っていたとしても、叶えられることは、ごくわずかです」
「だからこそ、より強く願い、それを叶えようと人はあがくんだろう。――仏の道を進む奴には、滑稽に見えるか?」
 皮肉を込めた小十郎の言葉を、天海は穏やかに受け取った。
「だからこそ、哀れで愛おしいと思うのですよ」
 天海の笑みに悲哀を見つけ、小十郎は思わず足を止める。
「お待たせしました、金吾さん。少々、土についてお話を伺っていたもので」
「そうなんだ。天海様ってば勉強家だねぇ。しっかり小十郎さんの野菜作りを伝授してもらって、素敵な野菜畑を作ってよ! そうしたら、僕がおいしいおいしい鍋を作るからさ。それを一緒に食べようね、天海様」
「フフフ。そうですね。金吾さんが納得をして下さる野菜を作れるよう、がんばってみましょう」
 穏やかな二人の様子に唇を噛み、小十郎は天を仰いだ。
 ――だからこそ、哀れで愛おしいと思うのですよ。
 天海の言葉が小十郎の胸をざわめかせる。
「小十郎さん、もうすぐ鍋が出来るよぉ」
「ああ、そうか。――いい香りだな」
 痛みを目の奥にたたえた小十郎の笑みを、天海は悲しそうに見つめ、秀秋に目を戻した。
「はい、天海様」
 秀秋が椀を差し出し、天海が受け取る。
「ありがとうございます」
「小十郎さんも」
「ああ、ありがとよ」
 んふふ、と自分の椀と箸を手にした秀秋が、大きな声で鍋に向かって頭を下げた。
「それじゃあ、いっただっきまーぐまぐまぐまぐ」
「ああ、温かいですね」
 しみじみとつぶやく天海に
「体に沁みる旨さだな」
 小十郎が応えた。
 この温かさが、ずっとその身を包めばいいと、願うように心に浮かべる頭上に、青雲が広がっている。

2014/06/08



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