「政宗様」 眉根を寄せて、片倉小十郎が主の私室に現れた。「Ah?」 伊達政宗は、のんびりとふかしていたキセルから口を離し、面白そうに口の端をゆがめた。「何かあったのか、小十郎」 いたずらっぽい笑みに、小十郎の眉間にシワがよる。「何か、いたしましたな」 政宗は軽く肩をすくめ、キセルを置いた。「勝家が、何か言ってきたか」 やはり、という顔をして、小十郎は主の前に座した。「小豆がほしいと」 ほう、と政宗が眉を上げる。「で。やったのか」「冬を前にして、貴重な食料をどうするつもりかと問いました」 奥州の冬は長い。必然、備蓄しておきたい食料は多くなる。わずかのものも無駄にはできない。「なんて答えた」「会いたいものへの、手土産と」 政宗は脇息を引き寄せて、小十郎の問いの目を受け流す。「政宗様」 どういうことかと、小十郎が促した。 鼻から息を抜いた政宗は「小豆洗いだ」 小十郎が気付くかどうか試すように、答えた。「小豆洗い?」 小十郎の片眉が、怪訝に持ち上がる。「勝家は、どうも妖怪が好きらしい」「それは、存じております。自らを魑魅魍魎の仲間であるかのように……」 言いかけた小十郎が、ふと何かを思いつき、アゴに手を当てた。「小豆洗いになるつもりか」 ぽつりとこぼした小十郎に、政宗が吹き出した。「Ha! なんで、そうなるんだよ。小十郎」「いや、しかし」 自分でも、妙な事を言ってしまったと自覚しているのだろう。動揺を浮かべる小十郎の顔が赤い。「会いたい奴への手土産って言ったんだろう」「小豆洗いへの手土産なので、小豆……ですか」「他に、何を土産にすりゃあいいか、わからなかったんだろう。――で? 俺の質問には答えてねぇぜ、小十郎。小豆をやったのか、やらなかったのか」「少量ですが、渡しました。……ですが、毎日小豆を与えるわけにはいきませんので、この間からは、米を」「米?!」 政宗が身を起こす。「米か……米。なるほどなぁ、米!」 声を弾ませる主に、小十郎は困惑した。「小豆を研ぐなら、米も研げるだろうぜ。なるほど、米……」 クックと体を折って笑う政宗を、小十郎は疑問と困惑を浮かべて見守る。「アイツが小豆を欲しがって、どんぐらいだ」「十日ほどになります」 ようやく笑い終えた政宗が、満足そうにうなずく。「政宗様」 一人で何か納得しているらしい主を呼べば、政宗はニヤリとして立ち上がった。「小豆と米を用意しろ、小十郎。ぼたもちを作るぜ」「は?」「小豆粥でもかまわねぇが……まあ、ぼたもちあたりが妥当だろう」「……は」 よくわからないという顔のまま、小十郎は承諾を示した。 そのころ、柴田勝家は小十郎にもらった、一握りの米を入れた袋を手に、小さな滝の前にいた。 小さいながらも、滝は水しぶきを上げて輝いている。ここに小豆洗いという妖怪が出ると聞き、その日の夕刻からこの場所に通っていた。 勝家がここにいられる時間は、そう長くない。彼の身をあずかっている伊達政宗に、夕餉までには必ず館に帰るようにと言われていた。どうしても遅くなるようなら、理由を言えば政宗は許してくれるだろうが、この場所に共に行くと言いかねない。それは、避けたかった。 彼のように身の内から力強いものを発している者を、妖の類はあまり好まないのではないか。天狗のように強いものなら違うのかもしれないが、小豆洗いのようなものならば、警戒をするのではないか。そう思い、勝家は刻限を守っていた。 それに、この場所は山の中。日が暮れてしまうと、危険だ。 滝の前の大岩のくぼみに、勝家はそっと米を入れた。供え物を置くのに丁度いい大きさのここに、勝家はなんとなく持って来た土産を入れるようにしていた。 翌日に来れば、岩の上は何もない状態になっている。山の生き物が持っていったと考えるのが妥当だが、これは小豆洗いが受け取ったのだと、勝家は信じるために思い込んでいた。 水は絶え間なく流れている。細かなしぶきが光りを浴びて、輝いている。透き通った空気を、勝家は深く胸に吸い込んだ。 見上げた空はどこまでも高く、薄青の上に純白の雲が刷毛で刷いたように、うっすらと漂っている。木漏れ日が地面を照らし、土や草を勝家の目に示していた。「小豆研ごうか、人取って食おうか」 節をつけて、勝家はつぶやいた。小豆洗いが小豆を研ぐときに歌うもの。どうして小豆を研ぐことと、人を食う事が同列なのか。妖というものは、人の考え方とは違う認識を持っている。その理由を聞いてみれば、答えてくれるだろうか。 あごの辺りでまっすぐに切りそろえられている、勝家の漆黒の髪がさらりと揺れる。手近な岩に腰掛けて、勝家は目を閉じ山の音に耳を傾けた。遠くから、小豆研ぎの気配が聞こえはしないかと。 滝の水音が、勝家の意識を包む。鼻腔に、澄んだ秋の気配とふっくらとした土の香りが届く。 じっとそのまま時を過ごした勝家は、ゆっくりと瞼を開けた。勝家が目を閉じている間に日はかたむき、茜の光が滝にからんでいる。「小豆研ごうか、人取って食おうか」 ぽつりとつぶやいた勝家は、まるで侍のようだと唇を持ち上げた。 人は食わない。だが、人の命を奪うという事は、人の命を喰らうに等しいのではないか。――侍に限らない。生業として、そういう事をしている者はみな、小豆洗いなのかもしれない。「小豆研ごうか、人取って食おうか」 飯を食い、人を屠る。飯を食うために、人を屠る。「私も、貴方と同じなのかもしれない」 見えぬ小豆研ぎに話しかけた勝家は、滝に向かって深く礼をし、帰路をたどった。 勝家が戻れば、なにやら賑やかなことになっていた。呆然と立ち尽くす勝家を見つけた男が、彼を手招く。招かれるままに進んだ勝家を、伊達軍の面々は笑顔で受け入れ導いた。戸惑いながら進んだ勝家は、大鍋をかきまわしている政宗の前に出た。「伊達氏」「おう、帰ったか。勝家」 勝家は周囲を見回した。「この騒ぎは」 何かの祭りかと、勝家は人々の笑みを眺める。「収穫祭だよ。収穫祭」「……収穫、祭?」「どっかの国に、秋の収穫を祝って、悪霊を追い払うHalloweenという祭があるそうだ」「波浪……院?」 勝家がきょとんと首を傾げる。「おう、柴田。帰ったなら手伝え」 太い声に呼ばれて顔を向ければ、頭に手ぬぐいを巻き、たすきがけの片倉小十郎が、大きな盆を手にしていた。その上にあるのは「ぼたもち」 だった。勝家の目の前に、大量のぼたもちが突き出される。「配ってこい」 思わず盆を受け取った勝家が、疑問を浮かべて小十郎を見た。「小豆研ぎに挨拶をしてきたんだろう。なら、こっちの連中にも挨拶をしてこい。これから世話になるってな」「――承知した。一反木綿のように人々の間を行き、挨拶をしてこよう」 始めの頃は戸惑っていた小十郎だが、勝家の物言いにも慣れてきた。「しっかり挨拶して来いよ」 うなずいた勝家が、人々の間に入っていく。それを見送った小十郎が、政宗のかたわらによった。「これで、大丈夫でしょうか」「大丈夫だろ。相手がどんな奴かがわかんねぇことには、どうにもしようがねぇ。まずは顔を見せて、言葉を交わすきっかけをつくる。噛みつかねぇってわかりゃあ、次もまた声をかけてみようと思う。得体の知れねぇもんは倦厭されるが、とっかかりがありゃあ、なんとかなるだろ。――まあ、得体が知れて、倦厭されるってこともあるけどな」「政宗様。それは」「経験談とでも、言っておこうか? 小十郎」 いたずらっぽく笑った政宗に、小十郎が穏やかに微笑み返す。「ぼたもちを選んだのは、甘い物は人の気をゆるめる、ということですか」「Halloweenは、菓子を振る舞うらしいぜ。苦手な奴には、酒を用意してある。酒か、甘いもんか。どっちにしろ、満足すりゃあ気もゆるむ」「気持ちがゆるめば、受け入れる隙間もできる、と」 歯を見せて笑った政宗が、鍋のふちを叩いた。「小十郎、手を休めている暇はねぇぜ。近くの村の奴らも、来ているんだからな」「承知。気合を入れて、作りましょう。――おう、オメェら! まだまだ足りてねぇんだからな。気を抜かずに作るぞ」 小十郎に答えるウオォという雄たけびが、人々の間でぎこちない笑みを浮かべていた勝家の耳に届いた。「あれは……」「ほらほら、柴田の兄さん。早く戻ってぼたもち持ってきなよ。まだまだ、足りてねぇんだからよ」 軽く背中を叩かれて、勝家は戸惑いながらうなずいた。「竜は、小豆を研ぎ、人の心を喰らうのか」 温かな笑みに包まれた祭の渦に、勝家はおずおずと身を浸し、ほがらかな声に耳を傾けた。2014/10/23