新年の挨拶品として、徳川家康の元に各地から様々なものが贈られてきた。「さすがに、これは食べ切れないな」 山と積まれた食材を前にして、徳川家康は困り顔に笑みを浮かべ、腹心の本多忠勝を見上げた。たくましい家康よりも、さらに大きな忠勝が静かに意見を述べれば、家康は「なるほど」と顔を輝かせた。「さすがは忠勝だ! 名案だな」 朗らかな家康の声に、忠勝が笑みを返す。「よし。早速、文を出そう」 言うが早いか、家康はそそくさと居室に向かった。うきうきとした彼の足取りを、忠勝は穏やかな気色で見送った。 家康の文に、はじめに返答をしたのは小早川秀秋だった。いそいそと鍋を背追い、調味料の入った樽と共に姿を現す。「家康さん、お招きありがとう」 ふくよかな頬を幸せそうに持ち上げた秀秋が、ぴょこんと頭を下げる。「やあ、金吾。久しぶりだ。金吾が来てくれて助かったよ。ワシの知りうる限りで、大人数をもてなせる親睦料理を作れる者は、金吾しかいないからな」 金吾とは、秀秋の通称だった。表裏の無い褒め言葉に、秀秋の頬が赤くなる。「えへへぇ。それほどでもあるけどぉ」 身をくねらせて照れた金吾を、こっちだと家康が示す。ついていった金吾は、山を成す食材に目を輝かせた。「うわぁああ! これ、ぜぇんぶ使っていいの?」「もちろんだ、金吾。よろしく頼むぞ」「うん。まかせといてよ。戦国美食会の鍋奉行、金吾様が、みんなのほっぺを落としてみせちゃうからねっ!」「期待しているぞ」 力強く請け負った金吾が、与えられた広場で大鍋を設える櫓のような竃の作製を指揮しはじめた。戦国最強と謳われている忠勝が、その巨躯と豪腕を存分に揮って手伝う。 それを感心しながら眺める家康の元に、次の客が現れた。「よう、家康!」「ああ、元親。それに、毛利殿も」 軽く手を上げて挨拶をしたのは、西海の鬼と呼ばれる長曾我部元親。筋骨たくましく、鬼と呼ばれるにふさわしい体躯を有する彼の横にいる小柄な男は、恐るべき知略を備えた毛利元就だった。「どうせ、毛利も呼ばれているだろうと思ってよ。ちょっくら顔を出して、連れてきてやったぜぇ」 元親と家康は知己である。ニカッと親しげに歯を見せる元親の横で、元就が冷淡に鼻を鳴らした。「国内で新年に行う事柄は、大方済んだ。諸国の状態をこの耳目で確かめることも必要と、出向いたまでよ。貴様に連れてこられたなどとは、思うておらぬわ」 平坦な元就の言葉を、元親は受け流した。家康が親しげに歩み寄る。「相変わらずだな、毛利殿。来てはくれないかと思ったが」「先ほども言うたように、諸国の主要な人間が集まるのならば、益のある話も聞けようと思うたからよ。酒が入れば、思わぬ話を零す輩も出てこようからな」 馴れ合うつもりはないと言外に匂わせる元就に、元親がニンマリとする。「またまた。そういうこと言って。本当は、皆と楽しくやりたかったんじゃねぇのか?」「貴様ごときの思考と、同じと思うでないわ」 ピシャリと元就が言っても、元親は気にする様子がない。憎まれ口を叩きながらも、元就は元親を認めているのだろうと、家康はうれしく感じた。「相変わらずだねぇ」「キッキィ」 そこに、気楽な声が入ってきた。「ああ、前田」 高々と豊かな髪を結い上げ、鳥の羽根飾りを指している派手な男、前田慶次が肩に小猿を乗せて現れた。「よぉ、慶次。相変わらず派手なナリしてんじゃねぇか」「はは。元親に言われたくはないよ」「俺のどこが、派手だってぇんだ?」「容姿からして、ずいぶん派手だと思うけど」 優男と言ってもいいような顔立ちをしているが、慶次の体躯は鬼の異名を持つ元親と並んでも引けを取らない。家康も精悍な体つきをしているので、三人に囲まれる形となった小柄で痩身な元就は、埋もれてしまった。「あ――そうだ、家康。謙信は来ないよ。未来を作る若者だけで集まればいいって、年寄りみたいなことを言ってたけど、本当はかすがちゃんとノンビリ過ごしたいんじゃないかなぁ」「そうか、軍神殿は来られないのか。残念だが、急な誘いだったし、仕方が無いな」 そこに、大きな声が響き渡る。「おお! これは、前田殿に長曾我部殿もいらしてござったか。――家康殿、お招き、ありがたく存ずる」「真田」 家康が声を弾ませた。真田幸村の主であり師でもある武田信玄は、家康が心の底から敬愛する男。その薫陶を受けた幸村から、甲斐の虎と呼ばれる信玄の息吹を感じることは、家康にとって身の引き締まる時となる。「大将だけじゃ不安だから、俺様もご相伴に預からせてもらうけど、かまわないだろ」 親しげに片目を閉じて見せたのは、幸村の忍である猿飛佐助。彼の力量は得体が知れず、誰もが忍ではなく一軍の将として、彼に一目置いていた。「あ、そっちも出て来ないんだ?」 慶次が言って、幸村が首を傾げた。「どういうことにござる」「謙信が、若者だけで集まればいいって言ってたってこと」「おお、そうでござったか。お館様も、ご自身がおられれば無用の気遣いをさせかねぬと仰ってござった」「ちょいと、大将」 つんつんと佐助が幸村の肩をつつく。「なんだ、佐助」「一人だけ、挨拶できてない人がいるよ」「うむ?」 幸村が、慶次と家康、元親を見て首を傾げる。幸村の目線を追った佐助が「真ん中」と耳打ちすると、幸村は彼らの影に隠れてしまっている人物を見つけた。「なんと、毛利殿もおられたのでござるか。御久しゅうございまする」 ペコリと頭を下げた幸村に、元就は鼻を鳴らして目を背けた。「おいおい、拗ねんなよ、毛利ぃ」「貴様の基準で物事を推し量るでないわ」 切り裂くような声音で、元就が三人の間から抜け出る。幸村が申し分けなさそうに眉を下げれば、元親が「気にすんなって」と肩を叩いた。「シケた面してんじゃねぇよ。せっかくの新年の宴会だ。楽しくいこうじゃねぇか」「あ、それ賛成! どうせなら、料理が出来上がるまで、ひと勝負どうっスか」 陽気な声に目を向ければ、島左近がサイコロを指の間で遊ばせていた。「ああ、左近」 遊び仲間の慶次が呼べば、うれしげに左近が近付く。その背後で、厳しい声がした。「何を言っている、左近! 手遊びはやめろと、何度言ったらわかる」「うへぇっ」 すくめた左近の肩越しに見えたのは、切先のような目をした石田三成と、浮いた輿に乗った大谷吉継だった。「三成!」 家康が駆け寄って出迎える。「よく来てくれた。刑部も」 心底うれしそうに家康が破顔すれば、刑部こと吉継がヒヒッと笑った。「左近が行きたいとせがむゆえ、仕方無くよ」「そうか……何にせよ、二人が来てくれたこと、心の底からうれしく思う」 フンと三成が家康の喜色を跳ねのけた。「私は左近が五月蝿くわめき、刑部が誘うから仕方なく来たまでだ。決して貴様の誘いを喜んで受けたわけではないぞ、家康」「ああ。それでも、うれしいよ」 いまいましそうに顔を背けた三成が、嫌々来たのではないことを家康は知っている。この不器用な男が素直に、招かれたと喜んで見せるはずがない。人となかなか馴染まぬ三成が、こういう集まりに出てきてくれただけでもうれしいと、笑みを深めた家康の耳に、不遜な声が届いた。「There is a grand show of names」 聞き馴れぬ南蛮語の響きに、全員が顔を向ける。そこには、何かに挑むような笑みを湛えた伊達政宗と、その失われた右目と称される片倉小十郎。少し後ろに、ひっそりと柴田勝家がたたずんでいた。「まったく――奥州は雪深いんだ。こんな時期に呼びつけるとは、ずいぶんだな、家康」「あっ……そうか。すまないな。そこまで配慮が回らなかった」 素直に詫びる家康に、政宗が「Ha!」と短く声を出す。「Just forget about it. 冗談だ」「そうか」 ほっと胸を撫で下ろす家康の横に、うれしげな幸村が並ぶ。「政宗殿、御久しゅうござる」「久しぶりだな、真田幸村。――宴の準備は、あの鍋奉行がセッセとしているみてぇだし、運動でもして時間を潰さねぇか?」 政宗の挑発に、幸村が目を輝かせると――。「はい、だめー!」「政宗様、ご自重めされよ」 幸村が返事をする前に、双方の従者が止めに入った。「まったく。大将と竜の旦那がやりあっちゃったら、運動程度じゃすまなくなるでしょ。せっかく作ってるあの竃も、きれいに吹き飛んじまうって。俺様が、なんで旦那じゃなく大将って呼んでるか、わかってる? 一応、今日はお館様の代理ってことになってるからだぜ」「政宗様。無用な挑発はなさらぬようにと、先刻申し上げたはず。真田を挑発すれば、少々では済まなくなるとご自身でもわかっておられましょう」「ぬ、う……すまぬ。佐助」「Ah――Ha、わぁったよ、小十郎」 しゅんとした幸村と、やれやれと肩をすくめて諦める政宗に、互いの従者が「まったく」と言う代わりに鼻息を漏らした。「はは。相変わらず、仲がいいな」 軽く笑った家康は、秀秋の指示の元、竃を組みあげていく忠勝に目を向けた。「なあ、皆。どうせなら、竃を作るところから協力しあわないか? 出来上がったものをただ食べるより、ずっと美味しいと思うんだが」 その案に最初に反応をしたのは、以外にも勝家だった。「迷い家の如く、人を供応する場を設えさせていただこう」 ふらりと逆刃薙を手に、勝家が歩み出す。「迷い家とは何のことだ」 家康に問われた政宗が、かるく肩をすくめた。「俺様、そういう妖家の話を聞いたことがあるんだけど……」 まさかねと気配で示した佐助が頭の後ろで腕を組めば、小十郎が「そういえば」と顎に手を当てる。「ここに来る途中に出会った老婆の話に、柴田が熱心に耳を傾けておりましたな、政宗様」「ああ、そういやぁ。なんでも、山で迷った人間をもてなす幸福の家だとか言う話だったな」「あ、それ。俺様の言っている迷い家って、それのこと」「なるほど」 政宗と小十郎は、勝家が何故はりきっているのかわかったらしい。「まあ、何にせよ、良い兆候だな」「はい」「何なに〜。二人だけでわかってないで、俺様たちにも教えてくんない?」 政宗と小十郎のやりとりに、佐助が口を挟む。小十郎が説明をしようとしたところで、声がかかった。「おお〜い! さっさと準備して、美味しい鍋を作っちゃわないと、日が暮れちまうよ」 慶次の呼びかけに、家康が「そうだな」と頷く。「力仕事に自信のある奴ぁ、いねぇのか」 元親の呼びかけに、幸村が応えた。「某、お館様と共に治水工事にあたったことがござる!」「あっ、大将。まったくもう」 駆けだした幸村を佐助が追った。「大人数分の食材、切り分けなきゃいけないんで、手先が器用で食材の目利きが出来る人、来て欲しいっス」 左近の声に、小十郎が足を踏み出した。「野菜のことならまかせろ」「俺も、手伝いにいくとするか」 野菜作りに強い理念を持つ小十郎に、政宗が続いた。「あっ、貴方は! 伝説の食材師、片倉小十郎さん」 秀秋の弾む声に、小十郎が何か答えている。渋々といった態で現れた元就や三成までもが、共に食する鍋のために消極的ではあるが参加していた。なんだかんだと協力をしている彼らの姿に、家康は言葉に出来ない温もりに包まれ、喉を詰まらせた。 無骨に歪んではいるが、たしかな輪が出来ている。「おおい、家康! お前も早く来いよ」 大きく手を振り、元親が招く。その声につられ、他の者たちも家康に誘う目を向けた。「ああ、今行く!」 天にも届きそうな声を返した家康は、弾ける喜びそのままに地を蹴って、輪の中に身を投じた。 願わくば、このまま――安寧の時が永久に続きますように。2015/01/11