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登場―慶次・左近
ドッチモドッチモ

 賑やかな猟師町を、島左近は感心したように大きな目をして歩いていた。
 豊臣軍に属する彼は、痩身にも思えるほど引き締まった体躯を、体に添う形の明るい色味の衣で包んでいる。一応は侍らしく胸当てを身につけてはいるが、どう見ても歌舞伎者あるいは幇間のように、人には思われてしまう。それは彼がまだ若く、みずみずしい純真さの中に、ひょうきんな気配を滲ませているからだろう。とても命のやり取りを行う人間には見えなかった。
 海辺には大きな網が干されていた。これほどの網であれば、そうとうな金額になるだろう。海に輝く陽光が銀の粒に見えそうだと、左近は頬をゆるめた。
「三成様も、こういう光景を眺めて、のんびりすればいいのになぁ。刑部さんだって、ゆっくり過ごす時間は必要だと思うんだけど」
 ひとりごち、左近は頭の後ろで腕を組んだ。彼がここに来た理由は、端午の節句の祝膳に使うための、良い魚介類を手に入れるためだった。
 彼は、そういう事柄をする身分では無い。だが、祝膳の話が出た時に、左近は率先して手を上げて、その任務を自分に任せて欲しいと言ったのだ。ついでに諸国の様子も探ってきますと言えば、身軽で足の速い左近ならば一石二鳥も得られるだろうと、豊臣軍師の竹中半兵衛から許可が下りた。そこで左近は町の人々に聞き込みをして、この港町を教えてもらい、出向いたのだ。
「あんなに立派な網があるんだ。相当、良い魚を揚げて設けているんだろうなぁ」
 左近に魚の目利きは出来ない。なので、後から戦国美食会の会員であるという料理上手の鍋奉行、小早川秀秋と合流する手はずとなっている。真っ白い大福のような秀秋の顔を思い浮かべた左近は、空腹を覚えて少し先に見える大きな鳥居へと足を向けた。神社の前ならば、茶屋が並んでいるだろうとふんでのことだった。
「あれっ」
「おっ」
 左近が声を上げれば、顔を上げた男もおなじ表情になった。互いに目を丸くして、親しみを込めた笑みに変わる。
「慶次さんじゃないスか」
「こんなところで、どうしたんだ。左近」
「ちょっと、祭りの準備ッス」
「祭り?」
 にこにこと茶屋前の床机に腰掛けていた派手な男、前田慶次の横に座った左近は、店奥に「団子三串ね」と声をかけた。
「俺の所属している豊臣軍で、端午の祭りをするんス。そんで、食材探しと情勢調査を兼ねて、やってきたんス」
「情勢調査とか、俺に漏らして大丈夫かい?」
 左近より一回り大きな体躯をしている慶次が、苦笑交じりに首を傾ける。慶次の膝元で団子を頬張っていた彼の相棒、小猿の夢吉も同じ格好をした。しまったと頬をひきつらせつつ、左近はごまかすように目を細める。
「慶次さんなら、大丈夫っスよ。……ええっと、それより、なんで慶次さんがここに?」
 これ以上つっこまれることを嫌って、左近は華やかな男に質問をした。いかにも粋人という格好の前田慶次が、見た目通りの優男でないことは隆々とした体躯からでも見て取れる。馬を一撃でしとめられそうな、持ち重りのする大きな刀を軽々と扱っていることも、左近が慶次に一目置いている理由だった。
「ああ、俺かい? 俺は、ちょっとした頼まれごとを解決しにね」
「へぇ」
 おまちどおさま、と団子と茶が運ばれてくる。それを食べながら、左近は慶次の頼まれごととは何だろうと考えを巡らせた。
「俺で役に立つことなら、食材の目利き役が来るまで暇だし、付き合いますよ。慶次さん」
「えっ……ああ、いや、でもなぁ」
 一瞬、顔を明るくした慶次だが、すぐに眉根を曇らせる。左近は珍しく、はっきりとしない慶次を眺めながら団子を租借した。
 慶次が、ちらっと左近を見る。
「左近は、食材探しにここに来たんだったよな」
「そうっス」
「てことは、軍師金を預けられてるってことだ」
「……そうっスよ」
 ふうむと慶次が考え込むのを、左近は下から覗き見た。
「どうしたんスか」
「食材ってのは、魚介類かい?」
「そうっス」
「それを、うんと安く仕入れることが出来たら、軍師金は浮くよな」
「そうっスね」
「それを、左近の好きに使える、なんてことはないよなぁ」
「えっ」
 左近の目が真ん丸になる。
「困ってんのは、銭がらみっスか」
 慶次が苦い顔で肯首した。
「じつは、大事な物をここの賭場で差し出しちまったって人がいてさ。それを取り返して欲しいって言われたんだけど」
 弱りきった顔で、慶次が周囲に目を向ける。
「港町って聞いていたから、賭場の木札も安いもんだろうと思っていたら、一朱だって言うんだよ」
「一朱!」
 左近は声を裏返した。一朱といえば二百五十文。団子がひと串五文なので、五十本が食べられる計算になる。
「それって、テラ銭はいくら払うんスか?」
「五分だ」
「五分かぁ。まあ、妥当っスけど、木札が一朱となると、安くは無いっスね」
 テラ銭とは、勝ったほうが貸元に支払う手数料のようなものだ。ひと札勝てば十二文。あるいは端数を繰り上げて、十三文を支払うことになる。
「中休みを挟んだ後は、一両札まで出るそうなんだよなぁ」
 頭を抱えた慶次に、左近は顔をしかめた。
「そんな高い賭場で、その人はなんでまた遊ぶ気になったんスか」
「気持ちが大きくなっていたらしい。良い商いが出来たのと、良い人との祝言を控えていたのが、浮かれた原因だって言ってたよ」
 その男は、すっかり調子に乗ってしまっていたのだと慶次に説明をされ、左近は他人事に思えなくなった。自分も任務で良い成果を上げられれば、ついつい良い心地で賭場に繰り出してみようと思うし、ツイてるはずだと熱くなり、度を越して賭けてしまった経験が幾度かあるからだ。
「慶次さん、食材の交渉、付き合ってくれるんスよね」
「えっ」
 左近は立ち上がり、どんと胸を頼もしく叩いた。
「相場を調べて、先に連絡を入れるって手はずなんス。相場が決まって、その見積もりで半兵衛様に連絡をしてから、慶次さんと俺とで交渉をして安く出来た分、人助けに使えばいいんスよ」
「左近」
 縋るような期待の目を輝かせる慶次に、頼られているのだと感じ、左近は胸をそらせた。
「喜ぶのは、まだ早いっスよ。うまく値段を下げてからでないと!」
「そうだな。よし、左近。それじゃあ早速、綱元の所に話をしに行こう。この前田慶次がドーンと値引きを呑ませてみせるぜ」
「キッキキィ!」
「おっ。夢吉さんも、手伝ってくれるんスね。そんじゃ、早速行きましょうか」
「おう。おばちゃーん、代金ここに置いとくよぉ」
 店奥に声を掛けつつ茶代を置いて、二人と一匹は意気揚々と交渉に出かけた。

 左近と慶次は綱元だけでなく、漁師やその妻などにも声をかけて回った。役者のような色男が二人、人懐こい笑顔を浮かべて軽口を叩きつつ、困ったように眉を下げて頼みこむ姿と、愛らしい小猿がそれを真似る姿を見て、女たちが彼らの頼みに興味を持った。女房や娘に迫られるのが半分、慶次らの武士でありながら肩肘の張ったところの無い、風通しの良い人柄に惹かれたのが半分。それに合わせて、名の通った相手に大量に仕入れられたとなれば、この港に箔がつくという理由もあって、思うよりも多く値引きをしてもらえることとなった。
「すっげぇ、助かるっス。あ、ただしコレ、他言無用にしてもらえないっスか」
 値引きをして、差額をちょろまかしたと知られれば困ると左近が言えば、綱元は分厚い唇を思いきり横に開いて、白い歯を見せた。
「値引きをしてもらいてぇって理由を、正直に話してくれた兄さん方の心意気を買ったんだ。そうするだけの価値のある取引でもあるしな。遠慮も感謝もいらねぇぜ。それに、値引きをしたってことが広まりゃあ、あちこちから安くしろと言われて、こっちも困る。どこにも漏らさねぇように、仲間内に釘を刺しておくさ。賭場は八の付く日の宵六つからだから、二日後になるぜ。旅の人が二人、遊びたがってるって伝えておくよ」
 その言葉に感謝をし、左近と慶次はホクホク顔で安宿を取り、勝負の日を待った。

 開帳の日。
 左近と慶次は連れ立って賭場に顔を出した。と言っても、開帳してすぐに足を入れたわけではない。座が温まる頃を見計らってから、繰り出した。そのほうが雰囲気もわかりやすく、すぐに勝負に入らず見の態度で流れを見られるからだ。
 左近と慶次が現れたのに気付き、軽く目配せの挨拶をしてくる者が何人かいた。ほとんどが漁師だからか、座は磯の香りが漂っていた。左近は慶次と並んで流れを見ていた。威勢の言い声が飛び交い、木札が動く。
 左近と慶次は中休みまでは見に徹した。手持ちは十両。慶次の取り返したい品は銀細工の簪だという。上物らしいので、それを出して欲しいと言うのならば、賭け額が上がる後半だろうと踏んでのことだった。
 中休みになり、皆が座を立ち二階に上がった。そこで夜食が振る舞われる。それらは、どれだけ食べても無料だった。と言っても、出されるのは塩むすびと味噌汁だけだが。
「おっ。旨い」
 味噌汁をすすった左近が思わず言えば、満面に笑みを乗せた大柄な男が近寄った。
「そうか」
「ああ。この出汁は最高だね」
 横から慶次も口を挟むと、男は分厚い胸をそらした。
「俺が釣った魚から出汁を取ってんだ。旨いに決まってんだろう。おう、どんどん食えよ」
 上機嫌な男に進められるまま、左近も慶次も二杯目を頼んだ。夢吉は慶次から渡された握り飯の一部をほおばっている。
「あ。ちょいと聞きたいことがあるんだけどさ」
 慶次は男の耳に、銀の簪をカタにした男の話を打ち明けた。男はふむふむと話を聞いて、膝を叩いた。
「そん時のこたぁ、覚えてるぜ。そんな理由があったとはなぁ。しかし、それを担保に木札を貸したからって、同額返してハイどうも、じゃすまねぇだろう」
「そこで、なんとか話をうまく繋げられないかなと思ってさ」
 慶次が片手で軽く拝むようにすると、左近も漁師に頼んますとささやく。すると夢吉まで手を合わせたので、男はしばらく唸ってから、思いつきを話した。
「俺から、簪の話を聞いたってことにすりゃあ、いいんじゃねぇか。そんで、どっちかの女に土産をやりてぇからっつう話の流れでどうだい」
「おっ。そんなら、俺が話を聞きつけて、左近が良い人の土産にしたいと言い出したって形にしようか」
「いいっスよ」
 二つ返事で了承した左近は、慶次と共に男に礼を言い、開帳の声を聞いて階下に向かった。
 左近は目ざとく、壺振りがある癖を持っていることに、前半の様子で気付いていた。それを確かめるため、三勝負ほど見学しようと慶次の袖を引く。
 最初の勝負は見つけた癖の通り。次はどうかと思っていると、中盆が「ドッチモ、ドッチモ」と言いつつ、チラリと左近らへ目を向けた。それを無視していると、中盆の声が「半方ナイカ、ナイカ。ナイカ半方」に変わった。
 丁半は、賭け札の額がつりあわなければならない。今は半に賭けている札が足りないので、つりあわせるために札を半に賭けてくれと言っているのだ。だが、誰も追加で出そうとはしない。
「兄さん方、わるいが半に乗っちゃあくれやせんかね」
 半に四朱、不足している。慶次にちらりと目顔で確認されて、左近は小さく首を振った。左近の見つけた癖の通りであれば、ここは丁が出るということだ。けれども断れそうに無く、慶次は一朱の札を四枚出した。
「コマがそろいました。勝負!」
 壺が開かれる。
「グサンの丁」
 出目は、五と三だった。張りつめていた空気がゆるむ。慶次にちらりと目を向けられて、左近は軽く顎を引いた。自分の見つけた癖が当たっている。
 そこから二人は、癖を見抜いていると知られぬよう、わざと負けを挟みながら順当に資金を増やしていった。
「兄さんたち、ツイてるねぇ」
「あんだけ旨い味噌汁を飲んだんだ。ツキが付いてもおかしくねぇっスよ」
 左近がさらりと褒めれば、猟師らは負けている者も得意げな顔になった。
 いつの間にか元手を倍に増やした左近は、ちらりと慶次に合図を送る。そろそろ簪の話を出してもいいだろうと思ったのだ。慶次はちらりと中盆に目を向け、口を開いた。
「そういやぁ、さっき握り飯を頂戴したときに聞いたんだけどさ。持ち合わせが無い時に、質を取って札を貸すときもあるんだって?」
 その言葉に、貸元が反応した。
「兄さんは勝っていなさるんだ。そんな必要は無ぇでしょう」
 貸元が濁った目をギロリと慶次に向けたのは、彼らがこのあたりの領主の手の者ではないかと疑ったからだった。賭場は法度と言われているわけでは無いし、質草を取ってはいけないという規則も無い。だが、そういう顔をするということは、侍相手に何かを撒き上げたことがあるからだろう。慶次は敵意が無いと示すように、へらりと頼りない顔をした。
「そんな怖い顔をしないでくれよ。コイツがさ、こんな顔して朴念仁で。なんでも銀の簪が質に入ってるって聞いて、良い人の土産に出来たらな、なんて言い出してさ。もしまだ、その簪がどこにも行っていないんなら、ゆずっちゃくれないかい」
 真正面から切り出した慶次を、貸元がいぶかるように眺めまわす。左近に視線が移り、しばらく考えた貸元は部下に声をかけた。
「持ってきな」
「へい」
 しばらくして部下が持って来たものは、桐の箱に入れられた見事な銀細工の簪だった。手渡すときに、部下がなにやら貸元に耳打ちする。
「こいつぁ、ひと月ほど前に商人が置いてったもんだが、取りには帰って来ねぇだろう。コイツを流してやってもいい」
 ただし、と貸元は言葉を切った。
「ただ買われるんじゃあ、面白くねぇ。兄さん方は、ずいぶんとツイてるようだ。どうだ。いっちょ、壺振りで手に入れちゃあ、どうだい」
 ニヤリとする貸元に、そいつぁ面白いと同調する客が出た。こういう流れになりそうなことは、予測できていた。左近はちらりと目を向けてきた慶次に、大丈夫だと目顔で示す。
「せっかく賭場に来てるんだ。そういう趣向がなくっちゃあ、面白くないってもんよ」
 受けると慶次が示せば、参加者だった男たちが尻を下げ、傍観者となった。
「一回じゃあ可哀想だ。三番勝負と行こう。こっちが出すのは銀の簪。そちらさんが木札じゃあ面白くねぇ。何か、面白ぇモンを出しちゃくれねぇかい」
 貸元が人の悪い顔になった。木札以外で何を出せと言うのかと、左近は慶次を見た。慶次は心配するなと言いたげに笑みを深め、顎をしゃくって賭場に入る前に預けた刀を示した。
「あれを出すよ」
「慶次さんっ?!」
「大丈夫だって!」
 軽く片目を閉じた慶次に、左近は自分の責任が増したと知った。ドクドクと心音が大きくなる。大丈夫だ、間違わないと言い聞かせながら壺振りを見れば、席を立って背後にいた別の男と交代をした。
「えっ」
「安心しな。イカサマなんて、しやしねぇ」
 壺振りが変わったことに左近が声を上げたのを、イカサマを危惧したものだと判断したらしい。
「いつもこの時間に、アイツは帰すんだ。明日の漁があるからな」
 左近が座の人々を見回せば、誰もが「その通りだ」という顔をしている。なんて間の悪いと思いつつ、こうなってしまっては仕方が無い。慶次を見れば、自分の愛刀を賭けているというのに平然としている。本当の勝負師は堂々としているもんだと、左近は気を引き締めた。
「ハイ、壺」
「ハイ、壺をかぶります」
 中盆の声に続き、壺振りが声をかけてサイコロを壺に入れ、床に伏せた。
「ドッチモ、ドッチモ」
「先に選んでいいぜ」
 貸元が顎をしゃくる。
「そんじゃ。遠慮なく」
 慶次に目を向けられて、左近は首を振った。ようく目をこらしていたが、半か丁かがわからない。
「それじゃあ、半で」
 慶次が迷い無く言いきり、貸元は丁となった。
「コマがそろいました。勝負」
「ヨイチの半」
 ふうっと左近は息を吐く。とりあえず一勝。次に勝てば、あの簪は手に入る。負けたとしても、もうひと勝負できる。
 ぐっと目に力を入れて、左近は二振り目をにらんだ。けれどどちらかわからない。今度も慶次は半に賭け、出目はニロクの丁で負けだった。
 次が最後の勝負となる。観客となった人々のささやき声が、左近の耳をくすぐる。どちらが勝つかに賭けているようだ。慶次の顔は平然としており、勝つことを予測しているように見える。貸元もおなじだった。左近は自分の肝が、まだまだ座りきっていないと汗の滲む拳を握った。
「ハイ、壺」
 三戦目の声がかかる。壺が落ち着き、中盆が「ドッチモ、ドッチモ」と声をかける。慶次の結ばれている唇を左近は見つめた。丁と半、どちらを口にするのだろうか。
「キキッ」
 鋭い声に、誰もが目を丸くした。左近もビックリして慶次の膝元に目を落とす。しっかりと胸を張った夢吉が、壺を指差している姿を見て、左近は呆然とした。夢吉は何かを見つけたのだろうか。
「なるほど。夢吉は丁だって思ってるんだな」
「キィイ」
 しっかりと夢吉がうなずく。
「ほう。その小猿は、博打をするのか」
 貸元が面白そうな声を上げた。
「こいつは夢吉。俺の相棒だから、賭場にも一緒に出入りをしているんだ」
「なるほど。で? その相棒に乗るのかい。反るのかい」
「乗るに決まっているだろう。なあ、夢吉」
「キッ!」
 当然だと言いたげに、夢吉が腰に手をおく。ずいぶんな度胸だと、左近は夢吉に感心をした。
「そんなら、俺は半だな」
 貸元がチラリと壺振りに目を向け、壺降りがわずかに頷いたのを、左近は見た。イカサマをする気だと声を上げようとしたが、それよりも先に中盆が勝負の声を出す。はたして壺が開かれ、出目が叫ばれた。
「サンゾロの丁!」
「よっしゃあ、夢吉!」
「キキィ」
 慶次と夢吉の弾む声を聞きながら、左近は貸元に目を向けた。貸元が意味ありげな笑みを左近に向けてから、悔しそうな顔をして簪を慶次に渡せと部下に命じる。受け取った慶次は懐に簪を入れて、座を立った。
「いやまったく。面白い勝負をさせてもらったよ。ずいぶんと肝を使っちまったから、今夜はここで引き上げさせて貰うよ」
 とんっと肩を叩かれて、左近も席を立った。
「邪魔したね」
「気が向いたら、また来ればいいさ」
 勝負に戻った漁師らに声を掛けられ軽く手を振り、二人は夜空の下に出た。
「慶次さん」
「ん?」
「俺、イカサマ仕掛けられると思ったんス。だって」
「貸元が壺振りに合図を送ったからだろう?」
「気付いてたんスか」
 それなのに何も言わなかったのかと、左近は慶次を見た。
「貸元は、最初から俺たちに簪を渡すつもりでいたんだよ」
「え」
「だから、イカサマをしたのさ」
 眉間にしわを寄せた左近と、自分の功績では無いと知り不機嫌になった夢吉に、慶次はさわやかな笑みを向けた。
「最初ッから、俺たちの目的は見通されていたってことだ」
「慶次さんは、それに気付いていながら、あの勝負を受けたんスね」
「良い座興になっただろう?」
 いたずらっぽい顔をする相手に膨れっ面を向けつつも、左近は少しも腹が立っていない自分に気付いていた。なんて気風の良い粋な人がいるんだろうという心地よさが、潮風と共に流れてくる。
「あ、そうだ。左近」
 はいこれ、と慶次から紙包みを渡される。
「左近のおかげで、賭場に入ることが出来て助かった。値引き分の差額を正直に申告して返しておかないと、ばれたらおっかないだろう?」
 慶次の笑みの奥に半兵衛の底知れぬ笑みを思い出し、左近は身震いした。静かな水面のような笑みを湛えながら説教をされるというのは、なかなかに恐ろしい。自分の書き送った見積もりと実際の支払額が違っていることなど、どれほどごまかしてもすぐに気付いてしまいそうな、目配りも頭の回転も超人的な上司を思い、左近はゴクリと唾を飲んだ。
「勝った分で、明日はぱぁっとおいしい物でも食べようか。なあ、夢吉」
「キイィ」
 機嫌を直したらしい夢吉と、上機嫌な慶次の姿に、左近はなぜか敬愛する石田三成の姿を思い浮かべた。慶次を豊臣軍に誘えば、友人であった徳川家康の裏切りに傷ついた三成の心が慰められるかもしれない。彼なら、三成の生涯の友人になれるのではないか。
「慶次さん。豊臣に入りません? 俺、口利きするっスよ」
 幾度目かの勧誘は冗談と取られたのか、慶次は軽く笑って空を見上げた。
「明日も、いい天気になりそうだなぁ」
 見上げた左近は、道別たれた友を思いながら空を見上げる三成の横顔を思い出す。
「そうなって欲しいっス」
 三成の心も晴れ渡ればいいと願った左近に、慶次が強く肯定した。
「なるよ。眩しいくらいの晴天だ」
 互いの笑みと吐露した言葉の意味を、二人が知ることになるのはまだ少し先の話。

2015/04/17



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