「サメが出たら、あわてずに褌を長くしろよ。アイツらより、でけぇと思わせりゃあ襲われねぇからよ」 真っ白な褌を陽光に煌かせ、隆々とした体躯を誇るように、仁王立ちで説明をする長曾我部元親を、幽鬼のように青白く細い体躯の僧侶、天海の影に隠れるようにして、小早川秀秋――通称・金吾がジト目で見る。「そんな、サメが出るような沖まで、泳げないし、泳ぎたくもないよ」「何、軟弱なことを言ってやがんでぇ。海に来たんなら、波に揉まれて楽しまなきゃ、ソンってもんだろうが。なあ、毛利よぉ」 ほがらかな笑みを浮かべて元親が首をめぐらせた先では、毛利元就が涼しげな顔で岩陰に腰かけていた。「って。なんでぇ、なんでぇ。毛利も泳ぐつもりはねぇのかよ」 つまらないと唇を尖らせた元親に、元就が冷ややかな目を向ける。「我は貴様のような野蛮な遊びは好まぬゆえな」「野蛮だとぉ?」 ずんずんと元親が大股で元就の所へ行くのを、すわ喧嘩かと、金吾がハラハラとしながら見る。天海はおだやかな笑みをたたえて、大丈夫ですよと不安げな金吾をなだめた。「でも、天海様。あの二人、いつも争ってばかりいるじゃない」「フフ。喧嘩するほど仲がいい、という言葉もあるんですよ、金吾さん」 さらりと白銀の長髪をゆらした天海の、おだやかな笑みに、金吾は疑いの目をしつつも、なりゆきを見守ることに決めたらしい。何かあったら、すぐに逃げ出せるように腰を引き、痩身の天海の影に隠れるふくよかな金吾の姿を、元就がつまらなさそうに眺める。「夏の海に来て、泳がないで何をするってぇんでぇ。ガキどもだって、楽しそうに水遊びをしてんじゃねぇか」「我は十分に大人ゆえな。児戯に興じるつもりはない」「児戯って……大人だって、十分に楽しいだろうがよ」「貴様には楽しいかもしれぬが、我にとってはそうではない。あそこにいる金吾を見よ。あのように、身を隠しきれぬとわかりきった上で、それでもなお人の後ろに隠れておるのは、そういうことだと思わぬか。――ああ、海賊風情には察せられぬのだな」「なにおうっ」 元就は元親の影にすっぽりと隠れるほど小柄であるのに、すごむ彼に臆するどころか小馬鹿にするような冷笑を浮かべて、怒りを煽るような言葉を紡ぐ。素直な性質の元親は元就の言葉と笑みに、眉を吊り上げた。「同じ白い肌と白髪を有していながら、あの者と貴様とは、ずいぶんな差よな」 比べられ、元親は思わず天海を見た。痩身の天海は、陽炎のような佇まいで微笑んでいる。「そりゃあ、俺ぁ坊さんじゃねぇし、体躯からして違うだろうが。天海じゃあ、海の荒くれどもらをまとめらんねぇだろう。資質の違いだよ、資質の」 ふん、と元親が胸を反らせば、元就は切れ長の目を細くして、元親を見上げた。怜悧なかんばせを包むしなやかな髪が、海風に揺れる。「ならば、その資質の違いとやらを考慮し、資質にあった遊興を行うよう、配慮せよ」「うえっ?」「金吾に、野蛮なものどもをまとめる資質が、あると思うか」「ねぇな」 元親は即答した。金吾は、荒っぽいものひとりが相手だったとしても、怯えて逃げ出してしまうだろう。「では、天海はどうだ」「あいつぁ、束ねるってぇたぐいのモンじゃねぇだろう」 元親の答えに、元就は静かに顎を引く。「ならば貴様のように、夏は海で泳ぎ遊ぶのが楽しみだと、思わなくとも不思議ではなかろう」 説得力のある切り返しに、元親は腕を組んで眉をしかめた。「そう言われりゃあ、そうかもしんねぇなぁ。金吾には、海で泳ぐより波打ち際で遊んでいるほうが、お似合い……いや」 それよりも、と元親は顎に手をかける。元就は面倒くさそうに嘆息し、元親の左目を被う鮮やかな紫の眼帯を一瞥した。まるでその奥に、見えぬ叡智の光りがあるかのように。 やがて元親が顎から手を離し、しゃがんで元就の顔を覗くように見る。「で。アンタは何が目的で、俺の誘いに乗ったんだ」 どうやら、金吾の楽しみは見つけたが、元就の楽しみは考え付かなかったらしい。元就はめんどうくさそうに口を開いた。「貴様が金吾を抱き込み、妙なたくらみをせんとも限らぬゆえな」 元親は呆れた。「アンタ、そんなくだらねぇことで、誘いに乗ったのかよ。まあ、領土のことを考えりゃあ、くだらねぇってこともねぇか。つうか、俺がそんな卑怯者だと思われてたっつうのは、心外だな」「卑怯? 策に卑怯も卑劣もない」「だから、アンタはダチができねぇんだよ」 ふっと元親が鼻息を漏らしながら肩をすくめれば、元就がかすかに眉根を寄せた。「ま、そんなことを、この俺がするわきゃねぇから、安心しろよ」「万が一ということもある」「そういうことを抜きに、楽しもうぜっつって誘ったんだから、しねぇよ。約束は違えねぇ」「どうだか」「アンタ、ほんっと疑り深いな。……それは、アレか、アンタが」「わああっ、天海様ぁあ」 元親が声を落として言いかけるのに、金吾の悲鳴がかぶさった。何事だと振り向けば、砂浜に横たわった天海を前にして、金吾がおろついている。「おう、どうした」 駆け寄った元親が天海を抱きあげれば、クラゲのようにたよりない。肩に担いで元就のいる日陰に運べば、金吾もオロオロとついてきた。「暑気あたりであろう。さえぎるものもなく、突っ立っていたらそうなるのは必然のこと」「いや、冷静に分析してねぇで、介抱するのを手伝ってくれよ」「うううっ、どぉしよう。天海様ぁ」 あせる元親と、涙ぐむ金吾に呆れつつ、元就はすいと右手を伸ばして岩場の奥の林を示した。「湧き水は冷たい。それで冷やしてやればよい」「お……おお、そうか! おい、金吾。その鍋を貸しやがれ。湧き水をたっぷり、汲んでくるからよ」「う、うん。ああ、でもその間、僕はどうすればいいの?」 何も指示が浮かばぬ元親に変わって、元就が答える。「貴様は無事を祈っておればよい」「わかった」「そいじゃ、俺ぁちょっくら行ってくるからよぉ。後は頼むぜ、毛利!」 言い終わらぬうちに元親が鍋を背負って駆け出し、元就は懸命に祈る金吾と青白い顔で横たわる天海を眺め、やれやれと嘆息した。 空の端が茜に染まる頃。 すっかり元気を取り戻した天海が、てれくさそうに皆に礼を述べる。「いやぁ、お恥ずかしい」「気分が悪くなりそうだって思ったら、さっさと日陰に入るとかしろよなぁ」「まったく。自己管理も出来ぬとは」 元親の案じる言葉と元就の呆れに、天海はただニコニコとするばかり。彼らの背後では、元親が海に潜って集めた海の幸を、金吾が調理していた。「ふんふんふ〜ん。元気をつけるには、しっかり御飯を食べなきゃだよねぇ。暑気あたりになったんだから、水分と塩分、ほかにも色々栄養をたっぷりとらなくちゃ!」 そう言って金吾が作っているのは、魚介の味噌鍋だった。その横では、温められた岩の上で魚や貝、海老などが焼かれている。「いや、でも無事でよかったぜ」「貴方のおかげですよ、長曾我部さん。ありがとうございます」「もとはといえば、こやつが自分の基準のみで物事を取り計ろうとしたからよ。礼を言う必要なぞ、どこにもない。むしろ、なじってもよいのではないか」「そう言うなよ、毛利ぃ」 眉を下げて困ったように頭を搔く元親と、つんと澄ましている元就をほほえましく見やり、天海は金吾の傍へ寄った。「金吾さんも、私のためにずっと祈ってくださっていたのですよね。ありがとうございます」「ううん。天海様が無事で、本当に良かったよ」 心底の安堵をにじませる金吾の、福々しい笑みに天海は笑みを深めた。「ところで、天海様」「はい。なんでしょう」 あのね、と声をひそめた金吾の口元に、天海が耳を寄せる。「天海様の言う通り、元親さんと毛利様って、じつは仲良しなのかもしれないね」 小声の金吾に、天海は小さな頷きを返した。「ったく。ほんと、アンタはかわいげっつうか、愛想がないよなぁ」「そのようなもの、我には不要ぞ。我が無駄にヘラヘラと阿呆面をするなど、ありえぬわ」「誰が阿呆面だ」「誰も貴様だとは言うてはおらぬが。なるほど、自覚があったか」「この野郎」 二人の口論に、金吾と天海はクスリと顔を見合わせる。「ふたりとも、御飯ができたよぉ」 海と空の境界が消え、天と水面に無数の金砂銀砂がまたたいていた。2015/08/07