「いやぁ。活気があって、いいねいいねぇ」「キッキィ!」 手びさしをして大声を上げている男は、目立つ様相をしていた。 筋骨たくましい、ひと一倍大きな体躯をしている。その上に乗っかっている首は、口を閉じていれば精悍な美丈夫で済むが、浮かべている表情は好奇心旺盛な子どもそのものである。髪を高く結い上げ、そこに鷹の羽根飾りを挿している。色味の明るい、飾りのついている着物姿の男の名は、前田慶次。彼の肩に乗って、同じ格好をしている小猿は夢吉という名だった。 何処からどう見ても派手好きのカブキ者だが、彼はれっきとした武将。加賀は前田家の産で、交友関係にある人物は、日ノ本に名の知れた武将が多い。 その慶次がいる場所は、新しい町造りが始まった江戸の城下だった。徳川家康が天下人となり、江戸を日ノ本の中心と決めたので、続々と仕事を求めて人が集まってくる。人が集まれば食べる物が必要となり、寝泊りする場所が求められる。生活が始まるとさまざまな物が入用となって、さらに人は増えていく。「町ができてく姿ってぇのは、壮観だねぇ」「キィイ!」 慶次は、生活が躍動しているような、陽気な場所を好んだ。 初めは、戦で焼け出されて在所を失った者や、戦働きで生計を立てていた者、新たな生活を求めている者達が集まった。人の集まるところには商売が生まれると商人が現れ、売り物を作るための職人がやってくる。すると世話をする人間が増えて、人が人を呼ぶ形で町が生まれる。 慶次と夢吉の目の前にあるのは、町の産声だった。「前田殿」 慶次の背中に、そっと声がかかる。慶次がワクワクとした顔を後方に向ければ、困惑気味な青年が立っていた。茶色のクセのある髪は、後ろのひと房だけが長く、根元で結わえられている。大きな瞳にキリリとした眉。幼さを残すふっくらとした頬に、のびやかな四肢をしている。体躯は、慶次ほどみっしりと膨らんだ筋骨ではないが、たくましいことが見てとれた。 彼の名は、真田幸村。甲斐の若虎、日ノ本一の兵、という異名を持つ猛将である。が、今の彼にその気配は少しも感じられない。実直そうな好青年としか見えなかった。慶次のように派手な格好ではなく、小袖に袴を身につけている。年の頃は慶次と同じかすこし下くらいに見えた。 慶次は重厚そうな体躯に似合わず、軽業師のような身軽さで幸村の前に立った。「何、難しい顔してんのさ」「……我らが任は、新しく区画割りをされた土地が、どのような町に育っておるのかを検分し、問題あらば調停あるいは報告をするというものにござる。そのように目立つ格好で浮かれておっては、具合が悪うござらぬか」「ん? なんで」「前田殿は、ただでさえ目立つ御仁。その様相は、いささか調査には不向きとお見受けする」「幸村が、いつもの戦装束じゃない理由って、それか」 こくりと幸村は肯首した。彼の腹心は、忍である。探索や調査に行くのに、ひと目で武将とわかる格好をして行っては、警戒をしてくれと言っているようなものだと、忠告された。なので得意の槍すら持たず、簡素な小袖に袴を着けてきた。それなのに慶次は、平素と代わらぬカブキ者ぶり。生真面目な幸村は、それに困惑をしていた。「あはは。だぁいじょうぶだって! むしろこの格好のほうが、あちこちに首を突っ込みやすいし、でしゃばりやすいモンなんだよ」「キィ」「そういう……ものでござろうか」 幸村はチラリと夢吉を見た。夢吉は腰に手を当て胸をそらしている。「おっと、幸村。俺とおなじようにしようなんて、考えちゃいないよな? アンタにゃ、俺の真似は似合わない……というか、無理だと思うよ。石頭かってくらい、真面目だからさ。傾こうとしたって、ぎこちなくなっちまう。幸村は、そのまんまでいいんだよ」 幸村が困惑顔で、ぬううっとうなった。「某には、役不足ということでござろうか」「そうじゃないって。人にはそれぞれ、性分に合ったものがあるってね。陽気な俺と、真面目なアンタ。それでちょうど吊り合いが取れるって、家康は思ったんじゃないか? アンタんとこの忍だって、俺と行くのはいい勉強になるとか言ってたろ」「佐助は、前田殿には某に無いものが備わっておるゆえ、しかとその目の気づくものを伝授願ってくるよう言われた」「ほらそれ。そういう、かたっくるしい言い回し。俺が使うと胡散臭いというか、なんだか妙な具合になっちまうけど、幸村が言えばしっくりくる。逆に、幸村が俺みたいな態度を取れば、違和感が出ちまうんだよ。それと同じで、気づくものもそれぞれの特徴に合わせて、違ってきちまうし、得意なことだって変わってくる。そういうもんを、体験してこいって言ってるんだよ。あの忍の兄さんは」「たしかに。某が前田殿のように振る舞うは、困難かと存ずる」「俺だって、幸村みたいな言動は難しいから、おあいこだ。だから、俺はこれでいいし、幸村はそれでいい。それでうまく探索ができると思われたんだろ」 幸村から困惑が消えた。イタズラ小僧のような笑顔を見せて、慶次が軽く手を振る。視線は幸村を通り越していた。幸村が振り向けば、年若い娘たちが満面の笑みで手を振っていた。「なっ!」 幸村の顔が赤くなる。「あの先に茶屋ができているみたいだな。ずっと大工や担ぎ売りの男ばかりを見てきたことだし、ちょっくら花の姿を愛でながら、休憩といこうじゃないか」 ぽんっと軽く、慶次が幸村の肩に手を乗せれば、幸村は耳まで赤くして慶次を睨んだ。「はっ、破廉恥でござるぞ。某らは任務の途中。おなごにうつつを抜かしては、おられぬ」「硬いねぇ、硬い硬い」 はっはっはと楽しげに、慶次が幸村の背を叩く。「恋も喧嘩も町の息吹には必要不可欠。その先触れを、ちょいと感じるだけだって」「こっ、こここ、恋などと、そのような軟弱なものに関わる余裕は、某にはござらぬ」「そう、それ! それだよ、幸村」 急に真面目な顔となり、慶次が幸村の鼻先に人差し指を向けた。「それ? それとは一体」「余裕がないと、恋にうつつを抜かせない。逆を言えば、余裕があるから、好いた惚れたができるのさ。食うもの寝る場所が足りてないってのに、恋に夢中になるってのは、なかなか難しいもんなんだよ。……まあ、例外もあるけどさ。つまり、恋の芽吹くところに、泰平の息吹ありってね」 堂々と言ってのけた慶次に、幸村は小首をかしげた。「そういう、もの……なのでござろうか」「そうそう。そういうもの、そういうもの。だから、俺達は調査のために、茶屋に顔をださなきゃならない。それに、ああいう場所ってぇのは、いろんな連中が休息に来るからさ。酒の席が一番なんだけど、情報収集にはもってこいだ。いろんなウワサを聞くことができる。威張り散らしたい奴なんかは、無理難題を茶屋の娘に吹っかけたりもするから、なにかあったら相談してくれって言っておくのも重要だろう?」「おお、なるほど」 慶次の本心の半分は、そろそろ小腹が空いてきたので、団子でも食べながら休憩したい、だったが、幸村は言葉をまるごと素直に受け取った。「前田殿は、諸国を巡られていただけのことはあり、そのような物事に詳しゅうござるな」「はは。まあねぇ。ってなわけで、行こうか、幸村」 幸村が「うむ」と言う前に、腹の虫が勇んで「ぐぅう」と返事した。「ぬっ」「あはは。なんだ、幸村も腹が減っていたんじゃないか。丁度いいや。たらふく団子を味わって、ゆったりと視察の続きに戻るとしようか。俺もさっきから、腹が鳴りそうなんだよな」 慶次が腹をさすると、夢吉もおなじようにしながら「キィ」と小さく同意した。「腹が減っては良き働きもできかねまするな。その……おなごの姿がどうのというのは、少々遠慮願いとうござるが、団子の件と情報収集のためというは、是非に行いたいところ。早々に参りましょうぞ」 慶次が幸村の肩に片腕を乗せて、それじゃあ行こうかと声をかける。「ま、幸村もいずれは恋に落ちるさ。そのときは、相談に乗るから言ってくれよな」「そのようなことには、なり申さぬ」 真っ赤になった幸村の真面目くさった硬い声と、朗らかな慶次の笑い声が響く。それは揚々とした町造りの音に交じって、天へとくゆった。2015/08/31