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登場―利休・金吾
侘びし寂し

 山深くにある荒れた庵の中に、火の気配がくゆっている。よく目をこらして見れば、人の通る道のようなものが、草の中に見受けられるが、それは薄い草に覆われて、長く使われていないことが知れた。
 そんな庵に、人の気配がある。
 ほこりっぽく、かびくさい庵の中にいるのは、黄金色の髪をした男だった。胸元を広く開けた着物を着ている彼は、楚々とした笑みを浮かべて、囲炉裏にかけていた鉄瓶から湯を掬い、そっと碗に入れると茶筅を動かした。
 手馴れた所作で茶を点てた男は、静かに唇を碗に当て、優雅な仕草で飲み干すと、恍惚と目を細めた。
「ああ」
 かすかな息を漏らした男の着物は、荒れた庵に似つかわしく無い上等のものだった。ふうわりとした袖に、たっぷりと生地の使われた着物は淡い青磁色をしており、竹の葉にも似た文様が描かれている。裾や袖先は網籠のような形状をして、足は細い筒袴に通っていた。
 彼の名は千利休。故あって身を寄せていた豊臣から、命を狙われることになり、逃亡をしている最中だった。
「こうして、おだやかに過ごしていられたら」
 そっとこぼした彼の脳裏で、質は同じであるのに、色味の全く違った声がした。
 ――己はこんなカビくさいところで、死ぬまで過ごすなんてのは、御免だぜ。
「サビ助。……しかし、ここならひっそりと、誰に追われることもなく過ごせるじゃないか」
 ――こっちが遠慮して、生きていかなきゃならねぇ理由なんざ、無いだろう? ワビ助。己等は自己防衛をしただけじゃねぇか。それのなにが悪い。切腹なんざ、クソくらえだ。
 利休は眉をひそめ、目元を暗くした。
 利休の内側には、ワビ助とサビ助という、二つの人格が備わっていた。彼等はよく、こうして意見を述べ合っている。それが逃亡の寂しさを紛らわせていた。
「あの時、サビ助が表に出なければ、こんなことにはならなかったのかもしれない」
 物憂げな言いように、体内のサビ助がしかめ面となる。
 ――あのままおとなしく、腹切らされてりゃあ良かったってのかよ。
「そういう意味じゃない。話をすれば、わかってくれたはずだ」
 ――話をする余地なんて、どこにあった。キレたヤツに、聞く耳なんてあったかよ。
 利休の唇が悔しげにゆがんだ。いま、体を支配しているワビ助の意識のままに、体は動く。
 ――まあ、なんにせよ休息は必要だ。しばらく、ここで過ごすことに異論はねぇ。
 乱暴な口調だが、気遣ってくれているのだと、ワビ助は愁眉を開いた。
「誰もが穏やかに暮らせるようになれば、こんなふうに逃げ隠れなどしなくても、よくなるはずだ」
 ワビ助の脳裏に、同じようにそれを望む若者の姿が浮かぶ。快活な笑みを浮かべるその青年もまた、豊臣と袂を別っていた。
「これから、僕達は……」
 悩ましい息を吐いたワビ助に、サビ助が鋭く注意する。
 ――誰か来る。
 はっと顔を上げたワビ助も、近付いてくる足音に気が付いた。
 ――おい、代われワビ助。
「いいや、サビ助。相手から敵意は感じられない。とても弱っている様子だ。道に迷ってしまったのかもしれない」
 ワビ助には、人の心に強く共感するという性質があった。それは望むと望まざるとに限らず、自然と流れ込んでしまい、強いものには同調すらもしてしまうという、危ういものだった。それの衝撃に耐え切れなくなると、サビ助が表に現れ、体を動かす。ふたりはそうやって、生きてきた。――むろん、そうでない場合に入れ替わることもあったが。
 無防備に腰を上げたワビ助に、サビ助は苦々しく舌打ちをした。いざとなれば、すぐにでも表からワビ助を引き摺り下ろし、自分が身を守らなければと、外へ意識を向ける。
 ふたりが顔を外に向けると、草をかきわけながら、息も絶え絶えにやってくる、少年の域を出ない青年が見えた。
「ああ、人がいたぁあ」
 情けない声を上げた青年が、瞳を潤ませる。庇護欲をかきたてる憐れな姿に、ワビ助は庵を飛び出し手を差し伸べた。
「大丈夫ですか。ずいぶんとお疲れのようです。さあ、庵の中で休んでください」
「ああ、ありがとう親切な人ぉ」
 ふくよかで白い頬をゆがませ、赤い羽織の背に鍋をくくりつけた青年が、ふらふらと導かれるままに囲炉裏ばたに座りこむ。その情けない様子と、武器を持たない姿に、サビ助はひとまず危険はなさそうだと意識をくつろげた。
 ワビ助が手早く茶を点て振る舞うと、青年はよほど喉が渇いていたのか、勢いよく茶を飲み干し、見ているものまで幸福になりそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう。生き返ったよ。僕は小早川秀秋。みんなには金吾って呼ばれているんだ」
 屈託の無い童子のような笑みに、ワビ助もつられる。
「僕は、千利休です」
 ――おいおい。安易に名乗って大丈夫かよ。
 サビ助が心配するのも無理はない。彼等はいま、お尋ね者なのだ。青年が苗字を名乗ったことから、彼の身分が武家あるいは公家のものであると知れた。万が一、豊臣に縁のあるものであれば、通報されかねない。
「ふうん? 利休さんかぁ。お茶、とっても美味しかったよ。上手なんだねぇ」
 のほほんとした金吾の様子に「大丈夫なようですよ」と、そっとワビ助がサビ助に言う。サビ助は面白くなさそうに、鼻を鳴らした。
「お褒めいただき、ありがとうございます。ええと、金吾殿はどうして、こんな山奥にいらしたのですか」
「キノコ狩りだよ」
「キノコ狩り?」
「昨日、雨が降ったでしょう? その次の日っていうのは、たくさんキノコが顔を出しているものなんだ」
 得意げに金吾が胸をそらして、収穫したキノコの山を見せる。
「これはまた、すごい量ですね」
「そう。思ったより大量でね。ついつい、夢中になりすぎて、奥に入りすぎちゃったんだ」
 シュンとした金吾をなぐさめようと、ワビ助が声を出すより早く、金吾は明るい顔を上げた。
「でも、おいしいお茶をふるまってもらえたから、元気いっぱいになれたよ。ありがとう」
 正味の礼に、ワビ助の心があたたかくなった。表層と胸裏が直結し、なおかつおだやかな人物というのは珍しい。金吾のほがらかな心根に触れ、ワビ助の気持ちがほころぶ。サビ助は内側でそれを感じ、やれやれとこぼしつつも、まんざらでもない笑みを浮かべた。
「そのように言っていただけると、点てた甲斐もあるというものです」
 にこにこと笑みを交わしていると、金吾の腹の虫が盛大に鳴いた。
「あっ」
 両手で腹を押さえた金吾が、ちらりと利休を見る。
「囲炉裏と、水をわけてもらっても、いいかなぁ」
 胸中で顔を見合わせたワビ助とサビ助は、頷きあった。
「ええ、かまいませんよ」
「ああ、ありがとう。お茶をもらったお礼に、今度は僕が鍋をふるまってあげるね」
「え」
「僕、こう見えて戦国美食会の会員なんだよ。鍋料理なら、誰にも負けない自信があるんだ」
 言うやいなや、金吾は鍋の仕度をはじめた。その手際は、さきほどまでの彼からは想像もつかぬほど機敏で、迷いのないものだった。彼は収穫してきたキノコの半分と、携帯していたイカの干物、味噌、干し飯などを使い、あっという間に味噌雑炊を作ってしまった。
「これは」
 目を見張るワビ助に、金吾が得意げな顔をする。
「さあ、遠慮せずに食べてよ」
 ――毒キノコが混じっているかも、しんねぇからな。気をつけろよ、ワビ助。
 ――そんなふうには見えないし、悪意なんて全く感じられないよ、サビ助。
 心中で会話をするため、利休という一個の肉体が動きを止めたのに、金吾は首を傾げた。
「なあに? ほんとに、遠慮なんてしなくていいし、僕の料理は最高だよ。……あ、熱いのが苦手なのかな」
 言いながら、金吾は自分の大きな碗に味噌雑炊をよそって食べはじめた。
「まぐまぐ……うんまぁああいっ!」
 自画自賛しながら食べる金吾を見て、毒キノコなど入っていないと確信したワビ助は、そっと碗に鍋のものをよそって口をつけた。
「これは……」
「おいしいでしょ」
「ええ、とても」
 満足げな金吾が、遠慮しないでねと言いながら、すごい勢いで食べ進む。逃亡生活の中で、ろくな食事を摂ってこなかった利休の肉体は、美味な料理に飢えを覚えて、夢中で箸を動かした。
「はぁ。ごちそうさまぁ!」
「ごちそうさまでした。……ほんとうに、とてもおいしかった」
 しみじみとワビ助が言えば、胸中のサビ助も同意する。心も体も、金吾の素直でおだやかな心根と味噌雑炊に、ほっこりとやさしくふくらんでいた。
「はぁ。まんぷくまんぷく……って、ああ! もう日が沈んじゃう。そろそろ帰らないと」
 金吾が慌てて片づけをはじめる。
「帰り道は、わかるのですか」
 案じるワビ助に、金吾はしっかり返事をした。
「喉が渇いて、ちょっと疲れちゃってただけだから、道は大丈夫だよ。ありがとう! お茶、ごちそうさま」
「こちらこそ。おいしい料理を、ありがとうございます」
 にこっとした金吾が、大きく手を振りながら駆けだした。
「また、一緒に食べようね!」
 手を小さく振り返しながら、ワビ助とサビ助は金吾の姿が木々の奥に見えなくなるまで見送った。
 あたりが森閑とした空気に包まれる。
 ――また、一緒に……だとよ。
 サビ助が言う。
 ワビ助は胸の上に手を置いた。
「また、一緒にと言われてしまいましたね」
 応じると、サビ助が楽しげに皮肉な声を出した。
 ――約束を守るために、生きぬかなきゃ、ならねぇな。
「ええ……そうですね。約束を、してしまいましたからね」
 二人はそっと笑みをかみしめ、空に目を向けた。
 茜に染まる空の端に、一番星が輝いている。

2015/09/10



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