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登場―天海・金吾
もじり戯れ

 白銀の長髪に痩身。抜けるように白い肌をしている天海という名の僧が、嬉々とした空気をまとって揺れていた。
 体を揺らしている、というのではなく、文字通り揺れている。彼がいるのは軒先で、もっと詳しく述べると軒先から吊るされているのだった。
「ふふ……ふふふふふふ」
 時折、笑みの声をこぼしながら、満足そうに天海は揺れていた。誰かにそうされたのではない。自ら襟首を軒先にひっかけて、ブラブラと揺れていた。
 彼がそうしてから、庭先を通ったり廊下を進んだりするものが、ひとりも無かったわけではない。しかし誰もが、天海は奇妙奇天烈な修行をすると知っていたので、これもその一種だろうと、気にはすれども面倒だからか、修行の妨げになってはいけないと考えての事か、声もかけずに通り過ぎていた。
「ああ……いいですねぇ。ほんとうに、すばらしいですよ」
 視線を向けられながらも、そのまま通り過ぎられるたびに、天海はうれしそうに小さくつぶやく。それを聞くものは、庭先にいる鳥や虫、草木のみだった。
 どのくらい天海がそうして揺れていた後だろうか。
「天海さまぁあ!」
 あどけなさの残る青年の声が、天海を呼んだ。
「おや」
 天海は体を揺らして、声のするほうへ向こうとし、そのままグルグルと回転した。
「おやおやおやおやおや」
 軒先と繋がっている襟首がねじれて止まり、ほぐれようとする力が作用して、天海は逆方向に回転する。
「おやおやおやおやおやおや」
 揺れながら回転する天海は、遊戯に興じているように楽しげだった。
「わああ、天海さま。なにしてるの」
 天海を呼びながら現れたのは、ふくよかな体つきをした、気弱そうな色白の青年だった。ふっくらとした大福餅のような頬は艶めいていて、少年から抜けきれていないことを示している。彼の名は小早川秀秋。役職名の金吾が通称となっている。
 金吾は天海と目線を合わせようと、回転する天海の速度に合わせて周囲を回った。
「ちょっと、天海様。止まってよぉ」
「そう言われましても、金吾さん。これは私が望んで回っているわけではありません。……いえ。金吾さんの呼び声がしたので、そちらに向こうとして身をよじったのが原因ですから、自ら望んだと言えなくも無いですね」
「ううっ。今度は逆回転? ちょっと、天海様ぁ」
「大丈夫ですよ、金吾さん。しばらくその場で止まって、眺めていてください。じきに私の動きは定まります。…………ほうら、ね。回転がゆっくりと収まってきたでしょう。もうじきですよ、もうじき」
 言われた通り、金吾は止まって天海の回転が終わるのを待った。
「ふふ。少しぶらついていますが、顔を見ながら話をするのに、不都合というほどでは無くなりましたね。――さあ、金吾さん。どうしたのですか」
 天海がニッコリすると、金吾は眉根を寄せて唇を尖らせた。
「天海様、僕といっしょにお茶をする約束をしていたのに、それを忘れて軒先でぶらさがって遊んでいるなんて、ひどいじゃないかぁ」
 ムスッとした金吾に、天海は「おやおや」と眉を上げた。
「そうでした、そうでした。金吾さんとお茶をいただく約束を、していたのでしたね」
「それを忘れて、こんなところで楽しそうに揺れているなんて、ひどいよ」
「すみませんねぇ、金吾さん。しかし、どうして私がここにいる事を、お知りになったのです?」
「そんなの、見かけた人が教えてくれたからに決まっているじゃないか」
「ああ、なるほど。たしかに私がこうしてから、幾人か通り過ぎて行きましたねぇ。私にひと言も向けようとはせず、関わりを持ちたくないとでも言うかのように足早に」
 ブルッと身を震わせて、天海が恍惚と頬に血の気を昇らせる。
「もうっ。そんなことより、どうして僕との約束を、すっぽかしたのさぁ!」
 腰に手を当てて怒る金吾に、天海は慈悲に満ちた笑みを向けた。
「申し訳ありません、金吾さん。貴方と茶を喫するよりも、ずっと貴方のためになることをしようと思い立ってしまい、いてもたってもいられずに、そちらを優先してしまいました。……伝言をひと言なりと、するべきでしたね」
「僕のためになること?」
 キョトンと反復した金吾に、天海はますます笑みを深めた。
「ええ、そうです。貴方の役に立ちたいと、私は常日頃から考えていますから。この行動も、そういう理由があるのですよ」
「そういう理由って、どういう理由なのか、説明してくれなきゃわからないよ」
「ええ、そうですね。そうですとも。以心伝心という言葉がありますが、それは同じ道を目指してこそ得られる妙。金吾さんと私は、極めようとしている道が違うのですから、そうならないのは自然のことですね。……ああ、貴方を救おうとしたはずが、金吾さんの心に不快を植えつけてしまうとは。なんということでしょう」
 懺悔をするような口調でありながら、天海はどこかうれしそうだ。金吾は下唇を突き出して、天海を降ろそうと腕を伸ばした。
「とにかく、天海様。降りてから話を続けよう。ユラユラされていると、なんだか変な感じがするよ」
「ああ、いけません金吾さん。願が叶うまで、私をこうして軒先に吊るし、風の吹くままに揺らしておいてください」
「どうして? どんな願掛けをしているの」
 金吾は天海の足をしっかりと掴んで見上げた。
「それはですね、金吾さん。晴天祈願ですよ」
「晴天祈願?」
「はい」
 金吾は空に目を向けた。抜けるような青空が広がっている。
「お祈りしなくても、とってもいい天気だよ。天海様」
「いまの話ではありませんよ、金吾さん。明日のことです」
「明日?」
「ええ。明日は、とても大切なことがおありでしょう」
 言われて、金吾はすぐに思い当たった。
「鍋会のこと?」
「そう、それです。金吾さんは鍋の美食の道を究めんとなさっています。同じ鍋に箸をつけ、腹を満たすことは気心を通じさせる道につながります。仏の教えにも叶う行為を、金吾さんはなされようとしている。それを可能とする鍋の味を、金吾さんは出せるのですから、私はそれを自分のできる範囲で、精一杯の応援をしなければと考えたのですよ」
 金吾は首をかしげた。
「僕の鍋のことを、ほめてくれるのはうれしいし、明日の無事を考えてくれているのも、ありがたいけど……。でも、それと天海様が軒先にぶら下がっているのと、どういう関係があるのか、僕にはさっぱりわからないよ」
「では、答えの足がかりを与えてあげましょう。……明日の鍋会は、ぜひとも晴天であらねばなりません。なぜなら、金吾さん自慢の鍋を、美しき山々の季節の彩を楽しみながら行うというものなのですから」
「うん。そりゃあ、天気がいいほうがうれしいよ。雨が降ったときのための準備も、しているけどさ」
「晴れを願うときに、どのようなまじないを行いますか」
「晴れてほしいときにするのは……ううーん。てるてる坊主を吊るすことかなぁ」
「てるてる坊主の色は?」
「そりゃあ、真っ白の布だよ。それをこう、人の形に見立てて、軒先に……吊る……す」
 言いながら、金吾は天海をまじまじと見た。
 軒先に吊るされている。
 真っ白い人の形。
 そして、僧――いわゆる、坊主。
 金吾の顔が、みるみる驚きに広がっていく。
「おわかりになられたようですね」
「うん。天海様は、明日を晴れにするために、自分がてるてる坊主になって、軒先にぶらさがっているんだね」
「正解ですよ、金吾さん。貴方との約束を放り出してしまい、申し訳ありません。ですが、思い立ってしまうと、すぐに行いたくなってしまいましてねぇ。許していただけますか」
 天海は金吾からの許しを確信して、小さな子どもを見るように目を細めた。金吾は「うーん」と唸り、天海の足を掴んで持ち上げ、軒先に引っかかっている襟首を外した。
「おや、金吾さん。私を許すつもりは無いのですか」
「そうじゃないよ、天海様。僕は、天海様のその気持ちだけで、とってもうれしいんだ。それに、天海様が苦行をしている姿を見るのは、ちょっとイヤなんだよね」
 金吾の手で降ろされた天海は、首をかしげついでに、自分よりも背の低い金吾の顔を覗きこんだ。
「苦行、ですか?」
「うん。だって、明日の晴れを祈願するんだから、天海様はこれから明日まで、ずっと軒先で揺れていることになるでしょう。そんなの、風邪をひいちゃうし、お腹も空いちゃうし、よくないよ」
「金吾さん。これくらいのことで根を上げていては、立派な僧にはなれないんですよ」
「こんなことをしなくても、天海様は立派だよ。だって、いつも僕を助けてくれるし。天海様がここに来てくれてから、お城のみんなも的確な指示がくるって、ビシッとするようになったって言っているもの」
「おやおや、そうでしたか」
 うん、と金吾は深く首肯した。
「だからね、天海様。僕とお茶をしよう。のんびりと時間を過ごして、季節を感じたりするのも、大切なんでしょう?」
 無垢な瞳に見上げられ、どこか血なまぐささを純白の容姿から漂わせている天海は、いつも浮かべている得体の知れない微笑みを、柔和なものに変えた。
「そうですね。刻の移り変わりを感じ、無常を知るのも大切なこと。……お待たせしました、金吾さん。一緒に、お茶の時間といたしましょう」
「うん! 今日は、ヨモギの団子だよ」
「おやおや。金吾さんは、お茶ではなく、やはりそちらが目当てでしたか」
 楽しげな笑みを交わしながら進む背後に、過去を押し流すがごとく、旋風が舞った。

2015/10/21



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