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登場―蘭丸・小十郎
寂優

「あーあ。退屈だなぁ」
 森蘭丸は頭の後ろで腕を組み、ぶらぶらと道を歩いていた。
 彼はいま、伊達領の農村に寄宿している。織田家が滅んだ折、明智光秀を倒した片倉小十郎に刃を向けられたが、彼はそれを蘭丸に突き立てる変わりに、籾を渡した。行き場を無くした蘭丸は、それが行く当ての目印な気がして伊達領へと北上し、疲れ眠っていたところに農民の中心となっている少女、いつきと出会い、そのまま居つくこととなった。
 蘭丸の進む道の横に広がるのは、稲刈りを終えた田んぼだった。そこには霜が立っている。もうじき蘭丸の背丈を越すくらいの雪が降り積もり、すべてを白く閉ざしてしまうだろう。
 その準備のため、人々は忙しく立ち働いていた。弓矢の得意な蘭丸は、冬を越すための食料確保の狩りを手伝い、喜ばれた。いまはその肉を塩漬けにしたり干したりする段階で、そういう作業はつまらなく、手伝う気持ちになれなくて、外に遊びに出たのだった。
 しかし、遊び相手がいない。
 織田家に居た頃の同僚、柴田勝家が伊達政宗に連れられて、こちらで生活をしていると聞いた蘭丸は、ちょっと会いに行ってみようと足を向けたのだが、彼は政宗のところへ出向いており、留守だった。
 政宗のもとへ顔を出す気は起こらない。蘭丸は、伊達政宗がなんとはなしに苦手だった。
 主君、織田信長は魔王と呼ばれていたが、蘭丸にとっては居場所をくれた人だった。珍しい金平糖という舶来の、きらきらとした甘いお菓子も褒美にくれた。信長の妻、帰蝶はとても優しかったし、明智光秀は変な奴だったけれど、嫌いじゃなかった。欠かれ柴田と目下のものからバカにされていた柴田勝家も、暗い奴だが織田家の武将の中では年が近かったこともあり、いい遊び相手だった。
 その織田家を壊滅させた男だから、という単純な憎しみから、苦手なわけではない。どちらかというと面白そうな奴と思っているし、ちょっかいをかければ遊んでもくれそうだ。しかしなぜか、心の片隅がムズムズするので、強いて近付こうとは思えないのだ。
「どうしよっかなぁ」
 蘭丸が手伝いを免除されたのは、狩りで目覚しい働きをしたからだ。他の子どもたちは、蘭丸ほど弓が得手ではない。厳しい冬を乗り越えるための仕事を、きっちりとこなさなければならない。それがわかっているので、蘭丸は誰かを遊びに誘わなかった。
 なにより、そういう仕事をしているとき、家族というものを見せつけられるのが辛かった。
 蘭丸にとって、血の繋がりがなくとも、織田家は家族だった。信長が父で、帰蝶が母。光秀や勝家は兄。信長の妹、濃姫は姉。はっきりと、そう区分をしていたわけではないが、誰かに説明をする場合、そう表現するのが近いし伝えやすかった。
 あたりまえのように、そこにいるもの。当然のように、受け入れられる場所。
 蘭丸は、ずっと彼等との生活が続くものだと信じていた。信じる、というほど強いものではない。それが続くのが当然だと感じていた。感じる、というのも違う気がする。
 それが“普通”で、普通は変わらない。天下がどうとかなんだとか言われても、蘭丸はあまり深く考えてはいなかった。お手伝いとして戦に出て、勝利をすれば褒められる。失敗すれば命を失くすか叱られる。その程度の認識だった。
 天下国家など、少年の蘭丸からすれば意味のわからない、大人の考える難しいことだった。
 そのために、蘭丸を取り巻く“普通”の世界が消えてしまうなど、想像すらもしていなかった。
 感傷に浸りかけた蘭丸は、激しく首を振って寂しさを追い払った。
 居場所を奪った政宗を憎めないのは、自分もそうしてきたと自覚をしているからだ。戦で、多くの命を奪った。戦という名のお手伝いは、人の命を奪い、追いたてるものと認識している。そう認識しあった相手と戦う規則なのだから、恨みっこなし。そんな概念があるので、蘭丸は単純に政宗を憎んだり嫌ったりできなかった。
 悪い奴じゃない、と知ってしまったからかもしれない。
 それでも、苦手なものは苦手だ。勝家に会うために、苦手な相手と顔を会わせようと思うほど、どうしても勝家に会いたいわけじゃない。また別の機会に、勝家には会えばいい。
 となると、もてあましている暇をどうにかするには、どうすればいいか。
 空気の中に雪の気配を感じるほど、風が冷たい。こんな日は、妙に心が寂しくなって、誰かと共に居たくなる。
「そうだ」
 蘭丸の脳裏に、浮かんだ顔があった。
 伊達政宗の腹心で、自分に籾を与え生かした男。伊達の領内で二番目に偉いくせに、里に降りて泥まみれになりながら田畑を耕し、こっそりと蘭丸がどうしているのか見に来る相手。
「俺が監視をしに行ってやればいいんだ」
 蘭丸は、片倉小十郎の屋敷に行くことに決めた。
 行き先が決まれば、足取りは軽くなる。もともと身軽な蘭丸は、あっという間に目的の屋敷に着いた。勝手に塀を乗り越えて入り込むのは容易いが、それで相手が不在だったらつまらない。目的の相手もいないのに、どこにいるのかと探し回るのもバカらしいので、蘭丸は正面から堂々と来訪した。
 蘭丸が「小十郎、いる?」と門番に声をかけると、相手は面食らった。それがちょっと面白くて、蘭丸は胸をそらして「元、織田家の武将の森蘭丸が来たって、小十郎に伝えてよ」と、偉そうに命じた。ふたりいた門番は顔を見合わせ、蘭丸を見た。
「早くしてよね」
「少々、お待ちあれ」
 片方が屋敷に行く。蘭丸は残った男の戸惑う視線を楽しんだ。ちょっとからかってやろうか、と思い、どんなふうにしようかと考えていると、案内役が現れた。
「こちらです」
 蘭丸は慇懃な態度で案内され、ちょっと得意な気持ちになった。
「片倉様」
「ああ」
 案内の男が声をかけると、まぎれもない小十郎の声がした。蘭丸はその声に、ちょっとだけ鼓動を早くする。
 小十郎がさり気なく、野良仕事のついでに蘭丸の動向を遠目から見る折に、認識しているぞと示すため、視線を向ける程度のことはしてきたが、きっちりと顔を合わせるのは、あの籾を受け取った日以来だ。
 障子が開き、通される。小十郎は文机に向かって、なにやら書き物をしていた。その横には、たくさんの書物や文のようなものがある。
 忙しいんだな、と察して気落ちした蘭丸の前に、茶と饅頭が出された。案内して来たものも、茶と茶菓を運んだものもいなくなると、蘭丸は小十郎とふたりきりになった。
 向こうから声をかけてはくれないかと、蘭丸は待ってみた。しかし、小十郎は文机から顔を上げようとしないどころか、ひと言も発しない。
 蘭丸は時間を潰すために饅頭をゆっくりと食べ、茶を飲んだ。ふたつあった饅頭を食べ終えても、小十郎の仕事は終わらない。自分から声をかければいいだけだと、わかっているのに言葉が出ない。挨拶すらも似つかわしくない気がして、蘭丸は小十郎に自分の声を聞かせていなかった。
 自分の息遣いが、ひどく大きく聞こえる。小十郎が筆を動かす音、紙のこすれる音が、横たわる沈黙をさらに静かなものにした。
 蘭丸は小十郎の背中を見た。彼の背中は、蘭丸を拒絶していない。部屋に迎え入れた時点で、それはわかっているのだが、面倒な相手が来たと迷惑がっている様子も、適当にあしらって追い返そうという気持ちも無かった。
 どうして彼は、無言で仕事を続けているのだろう。もしも蘭丸が短刀でも忍ばせて来ていたら、どうするつもりなのか。蘭丸の素早さは、彼も十分に知っているはずなのに。
 蘭丸は、ふいに泣きたくなるほどの人恋しさを覚えた。吸い込まれるように膝を動かし、小十郎の背中に近付く。近付くにつれ、小十郎の背中はどんどん広く大きくなった。
 彼の気配は、開かれていた。小十郎の領域に、蘭丸の存在が自然と受け入れられている。蘭丸はおそるおそる、小十郎の背中に手のひらを当てた。
 部屋に置かれている火鉢のおかげで、だいぶ温まってはいたが、それでもぬくもりきれていなかった指先が、痺れるほどに温かくなった。蘭丸はそのまま体を近付けて、小十郎の背中に身を寄せた。小十郎は何も言わない。蘭丸も、何も言わない。
 無視ではなかった。小十郎は、たしかに蘭丸の存在を認め、受け入れている。
 当たり前のように、自分の領域に蘭丸をとりこんでいた。
 ほうっと息を吐いて、蘭丸は目を閉じる。小十郎のぬくもりが、蘭丸に流れてくる。蘭丸の体温も、小十郎に伝わっているだろう。
 こんなふうに、寄り添いながら寄り添われる感覚は、いつ以来だろうか。
 蘭丸が伊達領の農家に寄宿したと知った小十郎は、それとなく様子を見に来るようになった。はじめ蘭丸は、監視をされているのだと考えた。しかしすぐに、そうではないと理解した。
 彼は純粋に、蘭丸を心配していたのだ。
 あからさまな態度ではないが、小十郎のまなざしや振る舞いが、蘭丸にそう伝えていた。
 ああ、そうか。
 蘭丸は小十郎に会いに来た理由を悟った。
 彼は遠くから見つめることで、居場所を与えてくれていたのだ。触れ合わなくとも、甘やかせてくれていたのだ。それを、気付かないうちに理解していたから、寂しさを感じた瞬間、小十郎を思い出したのか。
「へへっ」
 なんだかうれしくなって、蘭丸は鼻を鳴らした。
「もうしばらく待っていろ。明るいうちに、片づけなきゃならねぇからな」
 蘭丸の笑みに、小十郎が答えた。
「わかった」
 このまま、仕事が終わらなくてもいいけどな。
 心の中でつぶやいて、蘭丸は小十郎の背に体重を預けた。どっしりとした広い背中が、蘭丸を包むように受け止めている。

「おい。終わったぞ」
 小十郎が振り向けば、ゆっくりと蘭丸の体が滑った。慌てて手を後ろに回して、小十郎は蘭丸の体を受け止める。蘭丸は、すっかり寝入ってしまっていた。
「ったく。仕方ねぇな」
 口元をほころばせた小十郎は、膝の上に蘭丸を寝かせた。蘭丸の口元がもぞもぞと動き、笑みの形になって止まる。無防備な子どもの寝姿に小十郎は笑みを深め、軽く伸びをすると、自分もゴロリと横になった。
 たまには、こういう時間もいいだろう。
 そんな声が聞こえるような仕草で、小十郎は蘭丸を腕に包んだ。

2015/11/29



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