にぎやかな声が聞こえてくる。 片倉小十郎がそちらに視線を投げると、派手な身なりの大柄な青年が、里の子どもたちと雪だるまを作っていた。青年が作ったのであろう、子どもの手では、とうていできそうもない大きな雪だるまに、子どもたちは歓声を上げている。 ほほえましい光景に口元をほころばせ、しかしなぜ、彼がここにいるのかと、小十郎は眉をひそめた。 小十郎が近づいていくと、さく、さくと雪を踏みしめる音に気づいた青年と子どもたちが、こちらを見た。「あっ。片倉様」「ひさしぶりだなぁ。竜の右目」 わらわらと子どもたちが、小十郎の元に集まってくる。青年はゆったりとした足取りで、小十郎に近づいた。彼の肩に乗っている小猿が、片腕を上げてあいさつをしてきた。それに柔和な笑みを向けて、小十郎は口を開く。「なぜ、こんなところにいる。前田慶次」 慶次はニッと歯をむき出して、頭のうしろで腕を組んだ。「ちょっと、あちこちを歩きまわってんのさ」 小十郎はけげんな顔をした。それに慶次は、ますます笑みを深める。「雪解けでぬかるんではいるけど、旅ができないわけじゃない」「ああ」 小十郎はうなずいた。彼は雪解けのはじまった各所を、見て回っているのだろう。豊かな加賀を治める前田家の風来坊は、人々の営みを見て回り、その輪の中に身を置くことを楽しんでいる。「どこから、ここに来た」 ここ奥州の領主である伊達政宗の、失われた右目と称される軍師であり、副将でもある立場から、小十郎は問いを発した。「どこって。あっちだよ」 慶次はひょいと顎で後方を示した。からかっているわけでも、ごまかしているわけでもないことは、わかっている。だが――。「答えたくは、ねぇってことか」 小十郎が剣呑な目をすると、慶次はあわてて顔の前で両手を振った。「そういう意味じゃねぇよ。ただ、ふらふらとあちこちを見て回っているだけさ。そろそろ、田畑の準備がはじまるころだろう。だから、南方から順ぐりに全国行脚をしてみようって、思っただけだよ」「田畑の準備の順を追って、北上をしてきたと言いてぇのか」「そうそう。だから、べつになんか悪さをしようってぇ了見で、はっきりと言わなかったわけじゃないんだ。どこからって言えるような旅をしてきたわけじゃ、ないだけなんだよ」「キッキィ」 そのとおり、と言いたげに、慶次の肩の小猿、夢吉が声を上げる。それに眉間のシワを消して、小十郎はうなずいた。慶次がホッと肩を下ろす。「到着したら、子どもたちが雪だるまを作っていたからさ。一緒になって、遊んでいたんだよ」「なら、着いたばかりか」 小十郎は慶次の足元に目を落とした。雪解けでぬかるんだ道を、たっぷりと歩いた証拠の汚れがこびりついている。「そうそう。だからこれから、ちょいと世話になれる家がないか、遊んだあとに子どもたちに、たずねようって思っていたんだけどさ」 慶次がちらりと、期待を込めて小十郎を見た。やれやれと小十郎は嘆息する。「なら、俺の屋敷に来ればいい。俺もこれから、戻るところだ。熱い湯の一杯でも、馳走してやる」「おっ。そいつはうれしい申し出だねぇ。なあ、夢吉」「キキィ」 慶次と夢吉が、童子のようにクシャクシャにした顔を見合わせる。小十郎はまとわりついている子どもの頭に手を置いて、声をかけた。「さあ。オメェらもそろそろ、家に帰ったほうがいい。日が落ちれば、うんと冷えるからな。夕餉の仕度の手伝いでも、してやんな」 それに子どもたちは、残念そうにしたり素直に返事をしたりしながら、家路についた。遠ざかるちいさな背中に、小十郎は柔和な笑みを送る。「行くぞ」 きびすを返した小十郎に、慶次が「おう」と楽しげに応じる。 ふたりは雪の残る道を、並んで歩いた。「こっちはまだ、雪がたっぷり残ってるんだな」「南方はなかったのか」「もともと、雪が降らないって場所もあるし、降ってもそんなに積もらないってぇ所も、あるからなぁ」「聞いてはいるが、にわかには信じられねぇな。そんな冬を、見てみてぇもんだぜ」「こっちからすると、驚きだろうな。向こうからしても、ビックリだろうけど」「だろうな。知らねぇ景色を見ても、動じねぇ奴なんざ、いないだろう」 頬に強い視線を感じた小十郎は、首をかしげて慶次を見た。意外そうな顔が、そこにある。「なんだ」「いやぁ。なんか、驚いている姿を、想像できないからさ」「俺をなんだと思ってやがる」「竜の右目。奥州の軍師。鬼の小十郎。……野菜作り名人」 慶次がいたずらっぽく、小十郎の通り名を挙げた。最後の部分で、小十郎はあきれる。「ずいぶんと、隔たりのあるふたつ名だな」「でも、事実だろう? まあ、最後の部分は、知る人ぞ知るって感じだけどな」 慶次は楽しそうに身を躍らせて、小十郎の前に出た。「けど俺は、それがアンタの本質だって思ってる」「本質?」 くだらない、という色合いを込めた小十郎に、慶次は破顔した。「おっかない通り名じゃなくってさ、そっちのほうがずっと、似合いだと思うんだよな」「阿呆か」 小十郎がため息まじりにつぶやけば、慶次が唇を尖らせた。小十郎よりも厚みのある身幅の男が、そんな顔をしても気持ちのわるいだけのはずが、なぜか慶次は、そういう子どもじみた仕草が嫌味にも嫌悪にもつながらない。いわゆる、憎めない相手、というやつだ。彼の表情に、小十郎は庇護者的な笑みを浮かべた。「本質もなにも、それら全部をひっくるめて、俺だろう」 慶次が首をかしげる。高く結い上げられた彼の長い髪が、のんきに揺れた。「どれもこれも、俺が喧伝した呼び名じゃねぇ。誰かが勝手に言い出して、それが広まっちまったモンだろう」 小十郎は、ちいさな子どもに言うように、説明をする。「つまりそれは、傍から見た俺ってことだ。本質だのなんだってぇのは、言動に表れる。どんだけ隠そうと思っても、にじみ出ちまうもんなんだ」 ふんふん、と慶次は興味深そうに小十郎の目をまっすぐに捉えた。肩の夢吉もおなじような顔をしている。それに、小十郎の唇がほころんだ。「ほら、それだ」「え」 小十郎が慶次と夢吉を示すと、ひとりと一匹はキョトンとした。「本気で話を聞こうとしているかどうか、態度に出るだろう。熱心なフリや、その逆の無関心なフリなんてものは、やろうと思やぁできるだろうが、フリってぇのはバレちまう」 言いながら、小十郎は幼い頃の主を思い出した。無関心をよそおい、反発をしながらも小十郎に興味津々だった姿に、頬が持ち上がる。慶次は首をかしげつつ、笑った。「なんか、いいことでも思い出したのかい」「どうして、そう思う」「やさしい顔を、しているからさ」 フン、と楽しげに小十郎は鼻を鳴らした。「言わなくとも、そうして顔や雰囲気に出る。それが、本質ってもんだろう」「なるほどなぁ」「キィイ」 慶次と夢吉が腕を組んで、納得をする。「つまり、あれかい? そういうものが通り名になっているから、どれもこれもが本質だって、言いたいのかい」「そういうことだ」「ふうん……」「納得がいかねぇようだな」「見えない部分だって、あるだろう」「まあ、そうだ」「だったら、それは本質じゃないんじゃないのかい」 小十郎は慶次を見た。風来坊、遊び人などと呼ばれている彼が、そうして民の営みを知り、それを守るために尽力していることを、彼と接してはじめて知った。そういう部分を、彼は言いたいのだろう。けれど――。「通り名の奥にあるものを、知ろうとする奴だけが、知っていりゃあいい」「ん?」「いちいち、本当はどうだ、本質はどうだなんて、かかずらってもいられねぇだろう。誰も他人の心の裡を、見ることはかなわねぇんだ。だったら自分の耳目が接したもので、相手を計るしかねぇ。その印象を呼称にしたものを、多くの奴が納得をした結果が、通り名になるんじゃねぇか。だとしたら、俺の本質……いや。本質の一部は、そうなんだろうよ」「本質の一部。……本質の一部かぁ」「誰も、行動の背後にあるものを、まるごと知っちゃあいられねぇ」 けれど目の前の男は、それを知ろうとしているのだと、小十郎は思った。特定の個人にかぎらず、あまねく人々のその部分を、彼は理解したがっている。なんと幼く純粋で、まっすぐなのだろうかと、小十郎は目を細めた。しかし、そのようなことは不可能だ。「同じ言動でも、相手にとっちゃあ印象がまるで変わる。通り名なんざ、印象の一部でしかねぇ。だが、それに納得した奴からすりゃあ、本質なんじゃねぇのか」 うーんとうなりながら、慶次は腕を組んだ。「本質だろうが、そうじゃなかろうが、俺は俺だ。俺以外の何者でもねぇ。勝手に判断して、勝手に呼んでいりゃあいい」「それが誤解だって思ったときは、どうするんだよ」「前田。オメェは風来坊だの遊び人だの言われて、そうじゃねぇんだと弁解したくなったことは、あるのか」「えっ。……ええと」 慶次の目が、なにかを思い描くように斜め上に動いた。「そういうことだ。わかる奴には、わかる。わかってほしい奴には、そうじゃねぇと示す言動をする。それだけのことだろう」 慶次は鼻の頭にシワをよせ、難しそうに首をひねった。「そっちが言い出したことだ。あとはテメェで始末をつけな」 話をしている間に、屋敷に着いた。慶次と自分のために、湯を用意させながら、小十郎は悩んでいる慶次をそっと盗み見る。(青臭ぇ) しかしそれが、どこか好ましい。「おい、前田」 小十郎は久しぶりに、融通の利かぬ若造と言われていた頃の自分と、当時の主の姿を思い出す。「政宗様は退屈なさっておられる。各所を回ってきたんなら、政宗様にお話してさしあげろ」「目通りの取次ぎを、してくれるのかい」「どうせ、そのつもりで着たんだろう。俺には、各所の田畑の様子なんかを、聞かせてもらうぜ」「もちろん。そのつもりだったさ」「キキィッ、キィ」 年端もいかぬ童子のような笑みを浮かべる慶次に、小十郎はあたたか味のある苦笑を浮かべる。 にぎやかな夜になりそうだと、小十郎は目を細めた。 2016/02/06