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登場―家康・元親・元就
義理も過ぎれば不義理なり

 長曾我部元親が機巧の設計図を引いていると、困り顔の徳川家康がやってきた。
「おう。どうした、家康。こないだ頼まれたモンの設計図は、まだできちゃいねぇぜ」
「ああ。うん……、今日は、その話ではないんだ。少々、相談に乗ってもらえないか」
 元親は、遠慮がちな家康に首をかしげた。
「なんでぇ、水くせぇ。相談なら、いつだって乗るぜ。俺で役に立つかどうかは、わからねぇがな」
 元親が磊落な笑みを見せると、家康は眉を下げたまま安堵の笑みを浮かべた。
「別んとこ行くか」
 元親がそう提案をしたのは、この部屋がそれほど広くはないからだ。西海の鬼と呼ばれる元親は、人よりも頭ひとつぶん、ゆうに抜きん出た長身の偉丈夫。訪れた家康も、元親ほどではないが、立派な体躯をした青年。となれば、常人ならば十分な広さでも、窮屈になってしまう。
「いや。……ここのほうが、ありがたい」
 家康がそう言ったのは、ここならば他人の耳目を気にすることなく、会話ができるからだった。元親の製図室は、よほどのことがないかぎり、訪れる者はない。それを知っているからこそ、家康は邪魔になるであろうことを考慮しつつ、それでも訪ねてきたのだった。
「そうか。まあ、俺もそろそろ休憩をしてぇと思っていたところだし。息抜きついでに話を聞くか」
 家康の気持ちを察し、余計な気遣いをさせぬため、元親はわざと気楽な声をかけた。さりげない好意に、家康の口元がほころぶ。
「で。なんだよ。相談ってぇのは」
「ああ、うん」
 元親に勧められ、腰を下ろした家康は、どこから切り出せばいいのか迷った。
「なんでも、浮かんだところから言ってくれりゃあいい。わかんねぇところがあったら、質問するからよ」
「すまない。助かる」
 元親がうなずくと、家康はとつとつと語りはじめた。
「勝次郎というものが難儀をしているときに、ある男に助けられたらしいんだが、いまはその男に困らされているらしい」
「へえ? どういうわけで」
「金を融通してほしいと、言われ続けているんだ」
「たかられているってぇわけか」
「……はじめのころは、助けられた恩義もあるからと、少し渡したらしい」
「相手はそれに味をしめたんだな」
 家康は眉を下げてほほえんだ。
「賭博に嵌まっているとか、そういうわけではないらしいんだ」
「仕事がねぇから、金をくれって言ってんのか」
 家康はそこで少し間を空けて、そういうことでもないらしい、とつぶやいた。
「仕事がうまくいかなくて、どうにもならねぇから助けてくれってことか」
「そう、なんだが。……なんと言えばいいのか」
「なんでぇ。どういった事情なんでぇ」
 元親が前にのめると、家康はこめかみを掻いた。
「ワシにもよくわからんのだが、仕事をはじめても失敗のし続けで、そのたびに資金を求めに来るらしい」
「はぁー?」
 元親はあきれた声を出して、のけぞった。
「その仕事も、あれこれと渡り歩いているらしくてな。どれも長続きをしないそうだ。そして決まって、次こそは成功をして返すからと、言っているらしい」
「どんぐれぇの頻度で、やってくるんだ」
「半年と、保ったことはないとのことだ」
 元親は眉間にシワをよせた。
「そんなしょっちゅう、仕事をはじめる元手をくれっていわれちゃあ、その勝次郎ってぇ奴も手持ち不如意になるだろう。それとも、なにか。そいつぁ金持ちなのか」
 家康は首を振った。
「貧乏ではないが、それほど裕福でもない。困ったことに、相手は出せるギリギリの金額を無心しにくるそうだ」
「そんで、助けてもらった恩義もあるんで、断われねぇってことか」
 ふうむ、と元親が腕を組む。家康は重い息をこぼした。
「しかし、このままでは双方ともに、ためにならないだろう」
「そりゃそうだ。出せるギリギリの金額つったって、そうしょっちゅう無心にこられちゃあ、勝次郎の労力のたまものが、流れて消えてってるようなモンだからな」
「そうなんだ。いざというとき、困ることになるだろうし。……なにより、勝次郎の周囲の人間が、心配をしていてな」
「このままズルズルと、恩義に縛られて生きていくなんざぁ、周囲からすりゃあ納得できやしねぇだろう。どれほどの恩義があったって、そんな状況じゃあ、もう返し終わっているようなモンだしな」
「ワシも同意見だ。だから、勝次郎にそう言ってみたんだが」
 深々と家康が嘆息し、元親は首をかしげた。
「絆を謳うワシが、それをおろそかにするような発言をするなんて、おかしいと返されてしまった」
「けどよぉ。その勝次郎と恩人ってのの関係は、絆とは、ちぃっとばかし違っている気がするんだが」
 元親がアゴをさすりながら、中空に目を向け考える。
「ワシもそう感じはしたんだが、うまい説明が思い浮かばなくてな。そこで、元親に知恵を借りられないかと思ったんだ。こういうものを解決した経験は、ワシよりも元親のほうが、ずっと多いだろう?」
「なるほどなぁ」
 ふう、と同時に息を吐き、ふたりは黙った。元親は「ふうむ」と天上に目を向けて、思考をめぐらせる。それを家康は、じっと見つめた。ややあって――。
「話を聞くかぎりじゃあ、勝次郎ってぇ奴は、理屈をこねられる頭を持っていそうだな」
「理屈というか……。そうだなぁ。自分でも、いけないとは思いつつ、恩義を捨てるわけにはいかないと、道義にからめとられて、絆のことを持ち出したんじゃないかな」
 元親はポンッと膝を打った。
「そんなら、説得にうってつけの奴がいるな」
「え」
「その、勝次郎って奴を、明日にでも連れてきてくれ。俺ぁ、アイツに説得を頼んでくるからよ」
 さっそく話をつけに行こうとする元親に、家康が目を白黒させる。
「元親。その、アイツというのは、いったい誰のことなんだ」
「明日になりゃあ、わかるって。できれば金を借りにくる男も、と言いてぇところだが、そこは勝次郎が腹ぁ決めて、自力でやりとりしなきゃ、なんねぇところだからな。――家康。勝次郎だけ、連れてこいよ。時刻は、そうだなぁ。八つ時にしておこうか。場所は俺の私室。それで頼むぜ」
 言い終わらぬうちに出かけてしまった元親の、たのもしく広い背中を、家康はよくわからないまま見送った。

 翌日の八つ時。
 勝次郎をともない元親の私室を訪れた家康は、怜悧な毛利元就を見て、なるほどアイツとは彼のことかと得心をした。
 智将として名を馳せている元就ならば、勝次郎をうまく説得してくれるだろう。家康は人選に納得をしたと、元親に目顔で示した。受けた元親は、そうだろうと言いたげに、うなずく。いっぽう勝次郎は、荒々しい海の男たちを束ねている元親だけでなく、策士としての評判が良くも悪くも高い元就までいることに、萎縮してしまった。
「まあ、そう緊張しねぇで、くつろいでくれ」
 元親からそう言われても、くつろげるはずもない。勝次郎からすれば、家康だけでなく、元親も元就も、うんと身分の高い人間なのだ。その家康の意見に反論をしたことを、とんでもない行為であったと気にしていたところ、呼び出しをくらい、いかにも強そうな元親と、鋭利な刃物のように凛とした元就の前に出されて、これからどのような咎めを受けるのかと、気が気ではなかった。
 元就はおもしろくもなさそうに、勝次郎を一瞥した。切れ長の目には、なんの感情も浮かんでいない。それがさらに、勝次郎を萎縮させた。
「おいおい、毛利よぉ。もうちいっと、やわらかい顔はできねぇのか。勝次郎の奴、すっかりビビッちまってるじゃねぇか」
 なあ、と元親が勝次郎に笑みを向ける。勝次郎は「はい」とちいさく、頬をひきつらせた。
「まあ、無理もないさ。元就殿は、威厳というか、なんというか、人の上に立つ雰囲気というものを、まとっておられるからな」
「なんでぇ、家康。それじゃあ俺が、そうじゃねぇって言っているみてぇじゃねぇか」
「そういう意味じゃないさ、元親。元親と元就殿の持つ資質が、違うと言いたいだけなんだ」
「ま。俺にゃあ、毛利みてぇにツーンと澄ました顔なんざ、できねぇからな」
 なごやかな家康と元親の雰囲気と、別の空間にいるように静かなたたずまいの元就を、勝次郎は冷や汗をかいて見比べる。
「これから、何を言われるのかと、恐々としておるのか」
 元就が口を開き、勝次郎は背筋を伸ばした。元親はくつろいだ様子で、家康はやや緊張気味に、話に耳を傾ける。
「我はその男から、貴様の阿呆ぶりを聞かされ、その愚鈍さを改善させよと頼まれた」
 元就は元親に向けてアゴをしゃくった。
「俺ぁ、家康に頼まれたんだよ。勝次郎が心配だってな」
「ワシは、勝次郎を心配した者たちに、相談を受けたんだ。それは、知っているな」
 勝次郎がうなずくと、元就が鼻を鳴らした。
「人の世話を焼きたがる者らに、囲まれておるようだな」
 勝次郎が叱られた子どものように、首を縮める。
「おいおい、毛利。もうちぃっと、やさしく言ってやれよ」
「我がそのようにせねばならぬ理由が、どこにある。……貴様、恩義のために金を融通しておるそうだな」
「融通というか、お礼というか」
「たかられておると、わからぬほど阿呆なのか」
「たかられてるんじゃ、ねぇです。きちんと返す。借りるだけだって、言われているんで」
「返すあてなど、ないそうではないか」
「それは……。でも、なまけているわけじゃ、ねぇんです。仕事をしようって、意欲があって、それでもうまくいかねぇってんで、それで」
「それで? あれが上手くいかなかったゆえ、別のものに手を出して……、と、どれも長続きをしておらぬと聞いたぞ。そのたびに、資金をくれと金を無心しにくるそうだな」
「へえ」
 勝次郎は懐から手ぬぐいを取り出し、額をぬぐった。まるで罪状をあばかれているような威圧感に、冷や汗が止まらない。
「毛利」
 それを見た元親が、元就に態度をやわらげるよう促すが、元就はそれを無視した。
「たかが数ヶ月で、上手くいくなどありえぬわ。そのくらい、貴様もわかっておろう。性根の据わっておらぬ者に、いくら資金を渡しても、それは賭博に使うのとおなじことぞ」
「けど、あの人は、根は真面目な人なんです。……じっくり腰を据えてやれば、きちんとした働きができる人なんですよ」
 元就の目が侮蔑に細められる。勝次郎は氷で胸を貫かれたような心地になった。
「数ヶ月で仕事を変えるなど、少しも腰を据えておらぬではないか」
 勝次郎が口をつぐむ。膝の上で拳を握り、自分の裡側の葛藤と対峙する彼の姿を、家康は心配そうに、元親はくつろいだ様子で、ながめている。
「昔は、そうじゃなかったんです」
「昔は……か」
 吟味するように繰り返した元就は、ますます瞳を冷ややかにした。
「貴様は、今とこれからを、ないがしろにするつもりか」
「え」
 勝次郎が顔を上げる。丸く見開かれた勝次郎の目を、元就は鋭い視線で捉えた。
「絆ゆえ、無心に応えておると、言ったそうだな」
 勝次郎は口を開いたが、なんの音も出さなかった。
「貴様のそれは、絆ではなく、縁ぞ」
「……え、にし」
「絆と縁の違いも、わからぬらしいな。絆とは、縁のあとに生まれるものぞ。貴様とその男との間にあるは、ただの縁。それも貴様のせいで、悪縁となってしまった、絆とは程遠いものぞ」
 とっさに言い返そうと動いた勝次郎の喉からは、うめきすらも出て来なかった。
「貴様のせいで、その男は腰を据えられなくなったのであろう」
 元就は興味の失せた顔で、茶に手を伸ばした。
「俺のせいで? どういう意味ですか」
「わからぬか。腰を据えなくとも、食うに困らぬようになったからよ。なにかをはじめ、それがうまくいかなくとも、次に移れる資金は気軽に手に入るとなれば、身の入れようも違ってこような」
 勝次郎はくやしげに唇をゆがませた。
「勝次郎」
 見守っていた家康が、気遣わしげに声を掛ける。
「お前を心配し、ワシに相談をしてきた者たちも、似たようなことを言っていた。元就殿の言ったこと、薄々はわかっていたんじゃないのか」
 勝次郎が、震えるほど強く拳を握る。
「俺は、ただ恩にむくいたかっただけで……」
「その心がけは、間違っちゃいねぇと思うぜ」
 元親が膝を進めて、勝次郎の肩に手を置いた。
「けどよぉ、加減ってもんがあるぜ。相手も相手だが、アンタもアンタだぜ、勝次郎。そりゃあ、断りきれねぇ気持ちもあるだろうさ。恩義を感じて、報いようとするのは、いいことだしよぉ。けどな、それでお互い、苦しくなっちゃあ、おしめぇだろう。毛利の言うように、恩義で生まれた縁が、悪縁になっちまってる。これ以上、悪くならねぇうちに、すっぱりと手を切るか、きっちり説明をして双方納得して悪縁から縁に戻すか。そいつぁ、アンタら次第だぜ」
 勝次郎がうなずき、家康は痛々しげに顔をゆがめた。
「なあ、元親。やっぱり、相手の男も連れてきたほうが、よかったんじゃないか。一緒に話を聞かせれば、うまく落ち着けるかもしれない」
「家康。そいつぁ、世話のやきすぎだ。この問題は、勝次郎がふんばって、自分で解決しなきゃあ、ならねぇ。恩義を感じているんなら、甘い顔ばっかしてねぇで、キツイ顔でしっかりと、恩義を返す必要もあるんだよ。このままじゃ、相手の男を勝次郎が養ってくようなもんだ。そこまでしなきゃ、ならねぇ義理があるのかい? 相手がこのまま、傍から見りゃあ怠け者のたかり屋に成り下がっていっても、いいってのか。そこんとこ、よおっく考えて腹ぁ決めな」
 最後の言葉は勝次郎に向けて、元親は話題の決着とした。勝次郎は床に手を着き、額をこすりつけるほど深く頭を下げて、無言のまま立ち上がる。
「こじれっちまったら、相談にくりゃあいい」
 元親が声をかける。勝次郎はうなだれたまま、無言で頭を下げて去っていった。家康が案じ顔で、勝次郎の背中を見送る。
「やれやれ。助かったぜ、毛利。俺や家康じゃあ、ちっとばかし説明しにくかったからよぉ」
 つまらなさそうに、元就は茶菓に手を伸ばした。
「貴様のために、わざわざ来たわけではないわ。民がどのような問題を抱えているのか、我が耳目で確かめるのも、一興と思うたまでよ」
「ああ、そうかい。けどまぁ、助かったことにゃあ、変わりねぇ。素直に礼を受け取っておけよ」
 フン、と元就が鼻を鳴らす。
「大丈夫だろうか」
 家康のつぶやきに、元親が「さあなぁ」と返す。
「けどまあ、勝次郎も、このままじゃいけねぇってこたぁ、わかっていたようだし。腹ぁ決めて、話してみるんじゃねぇか」
「うまくいくといいんだが」
「こればっかりは、相手がいることだからな。悪縁になっちまったもんが縁に戻るか、そこで切れるかは当人同士の問題だ」
「……」
 家康が自嘲を口元に浮かべる。それに元親が首をかしげた。
「どうした」
「絆とは、難しいものだな」
「貴様はそれを掲げ、天下を治めると決めたのだろう」
 元就の静かな声音に、家康は首肯する。
「ならば、貴様がまず、縁と絆の違いを実感し、説明できるようになるがよい」
「元就殿の言うとおりだ……。わずらわせてしまって、申し訳ない。元就殿」
「なぁに。気にしなくてもいいぜ、家康。毛利はなんだかんだで、頼られるのが嫌いじゃねぇからよ。今回のことだって、嫌そうな顔をしていながら、そうゴネずに乗ってくれたしよぉ。なあ、毛利」
「そうなのか?」
「断われば、しつこく言い募ってくるであろう。面倒ゆえ、早々に片づけておくほうが得策と考えたまでよ」
「ったく。素直じゃねぇなぁ」
「貴様はどこまでも、めでたい男だな」
「そんな、ほめてくれるなよ」
「ほめてなどおらぬわ」
 じゃれあうような口喧嘩に、家康は目じりをやわらかくする。
「縁と絆の違い、か」
 それはきっと、育む過程で変わっていくのだろう。
 家康の脳裏に、さまざまな顔が浮かんでは消えていく。
 縁を絆にしたもの。絆を断ち切られ、あるいは、断ち切ったもの。絆を守ろうとしたもの。絆にすがろうとしたもの。なかには、家康が断ち切った絆もあった。
 自分と元親の間に横たわるものは、繋がった縁に信頼を重ねて、絆としたものだ。元親と元就の間にも、それとは違う形で絆となった縁があるように、家康の目には映る。
「元就殿」
 家康はニコニコと元就ににじり寄った。
「元親との間柄のように、某とも、縁を絆へと育てていただけないだろうか」
 元就と元親が寸の間、硬直する。
「そいつぁ、いいや」
 豪放に笑いながら、元親が家康と元就の背を叩いた。
「我はこのような粗野な男と、絆など有してはおらぬ」
 心底いやそうに、元就が顔をゆがめた。
「元親。ワシは縁を絆へと深められる世を、作っていきたい」
「相手のあることだ。そうそう、簡単にはいかねぇぜ」
「わかっているさ。……いや。元就殿のおかげで、それがいかに困難なことか、あらためて考えることができたように思う。ありがとう、元就殿。そして、元親」
 折り目正しく頭を下げる家康に、元就は憮然とし、元親は楽しげに歯を見せた。
「そんならまず、この三人で、絆を深めていこうじゃねぇか」
「我は貴様らとの絆など、有しておらぬ」
「ならば絆を作ろうじゃないか。元就殿」
「縁はあるんだから、あとは俺ら次第だろう?」
 家康は瞳を無垢に輝かせ、元親はいたずらっぽく、元就を見た。うんざりとした息を吐いた元就が、顔をそむける。
「使い道のあるうちは、貴様らの戯言に付き合うてやらぬでもない」
「ありがとう、元就殿」
「ったく、素直じゃねぇなあ」
 なごやかな笑いが起こる。
 世の中を、このような空気で満たそうと、家康は堅く誓った。

2016/02/07



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