〜冒頭あらすじ〜 山を守る神の眷属である天狐の子ども、猿飛佐助は天虎の信玄が後継者として育てている若虎の弁丸に、ヤマメの取り方を教えてあげる約束をしていたのに、所用で待ち合わせに遅れてしまう。 人間に見つかり捕らわれた弁丸を助けるべく、里に下りた佐助は、弁丸が連れて行かれた小屋の外で助ける隙をうかがっている。 そこに、通りがかりに弁丸を浚った男たちを見かけた小十郎も、誘拐だと気付き追いかけ、男たちを捕まえる隙を狙っていた。 弁丸を救う際に小十郎は大怪我をしてしまい、佐助は彼の看護をすることに決めて…………〜本分・抜粋〜 小十郎の傷が塞がっても、まだ完治はしていないからと言って、佐助は小十郎の下へ通い続けていた。 まるで通い妻だ、なんてことを言われて、佐助は満面を朱に染めてしゃもじを振り上げる。 「つまんないこと、言わないでよね!」 はははと笑った相手は、小十郎の屋敷で立ち働く侍女や下男下女たちだった。いつの間にか佐助は、見舞いの品を調理して小十郎の膳に乗せるほどに屋敷にすっかり溶け込んでいた。 「これで、武芸に秀でていればお小姓にでも取り立てられるかもしれないな」 「ばかな事を、言わないでよね!」 ぷんっと佐助が顔をそむける。その耳は真っ赤に染まったままだった。小姓になれば、佐助はずっと小十郎と共に居られる。けれどそれは、叶わぬことだった。 佐助は神の眷属で、小十郎は人間。 共に居れば、互いが乗っている時間の川の舟の進みが違うことを否応なく突き付けられる。 小十郎は先に老い、佐助はその死を見届けることになる。 いや、見届けることも出来ないかもしれない。老いない佐助を、誰もが気味悪がるだろう。年相応に思われるよう変化の術を用いることも出来るが、常にそうしているのは疲れるものだ。それに、小十郎が先に老いて露となるのを看取らなければいけないことは――同じ時間を持てぬということには、変わりが無い。 茶碗にご飯をよそいながら、はっと気づく。 (俺様、なんでそんなことを考えてるんだろ) そして、何故そのことに傷ついているんだろう。 (――傷ついてる?) 俺様が――? どうして。 (きっと、優しくされているからだ) 屋敷中が、佐助をあたたかく受け入れてくれている。山の中で、佐助を真に受け入れ大切に思ってくれているのは、弁丸と信玄だけだと佐助は感じていた。だから、きっととどまりたいと思っているんだ――。 「入るよ」 「おう」 襖を開けると、小十郎が穏やかな笑みを湛えて座っていた。ああ、と佐助の胸が震える。この人の傍に居たい。この人の役に立ちたいと、体の奥底から湧き上がったものが喉の奥にせりあがってくる。 それをこらえて、佐助は自慢げな顔をした。 「今日は、良い魚を捕まえられたからさ。塩焼きにしてみたよ」 「うまそうだ」 食事は、二人分を持っていた。小十郎の薬湯を作るため、佐助が台所を借りて、ついでに見舞いとして持ってきたもので食事を作り運んだら、一人じゃ味気ないからと小十郎が言い、それからはこうして二人で食事をするようになっていた。 「うん。旨ぇな」 「へへ。当たり前だろ。…………――さっきさ、俺様が武芸に秀でていれば、お小姓に取り立てられるかもしれないって、言われたんだけど」 ぶふっ、と汁椀を口に付けた小十郎が噴き出す。咽る背中を慌ててさすると、大丈夫だと手のひらを見せられた。 「なんか、そんな変なことを言った? 俺様」 小十郎は、自分が傍にいることを本当は嫌がっているんじゃないか。自分が子どもの姿をしているから、見舞いの品を届けに来るから、邪魔だと言えないだけじゃないのか。 (だって、このお人はとっても優しいから) そう、弁丸のようにあたたかで、信玄のように大きくて、優しいから。 一瞬でそこまでを頭によぎらせた佐助の頬に、小十郎の手が触れる。ぞく、と甘い疼きが胸に起こり、佐助の瞳が艶に濡れる。薄く開いた唇から、悩ましげな息がこぼれた。 その息に誘われるように、小十郎の顔が近づき唇を重ねられる。やわらかく甘やかすように甘えるように唇が幾度も重ねあわされて、佐助の瞼はだんだんと下りた。 意識のすべてで小十郎を感じたい。 そのために、視界は邪魔だった。腕を伸ばし、小十郎の首にまわす。自らも顔を寄せ、角度を変えて幾度も唇を重ねあい、薄く開いた佐助の唇に、そっと小十郎の舌が差しこまれる。びくっと佐助が震え、小十郎が陶酔から覚めたように目を見開き、佐助の身を押しのけるように引きはがした。 「っ――すまねぇな」 どうして謝られるのかが、佐助にはわからなかった。ただ、深く小十郎が後悔をしている事だけが伝わり、泣きたくなった。 「俺様じゃ、不服?」 ぎゅっと胸の袷を握りしめ、泣き笑いの佐助の声に逸らした目を向けた小十郎が息をのむ。 「物の怪だもんね」 「そうじゃねぇ」 「じゃあ、何――俺様が子どもの姿だから? 人間だったら二十歳くらいにはなってるよ。その姿に、変化することだってできる。そうしたら…………続き、出来るの?」 小十郎が唇を引き結び、胸に深く息を吸いこんで首を振った。 「そういうことじゃあ、無ぇ――すまなかった」 「っ! なんで謝るのさ――小十郎が何をしようとしていたのか、俺様ちゃんとわかってる。膨らんでるんだろ? ねえ、俺様とすればいいじゃん…………ね、ほら」 震えそうになるのを堪えて両手を広げ、小十郎に伸ばせば首を振られた。 「佐助…………俺は、テメェをそういうふうに扱いたくはねぇんだよ。佐助の大事な主のことで気に病んでんなら、もう十分に礼を尽くされてる。佐助がそこまでする必要は――」 「俺様は、アンタに惚れてるから言ってるんだよッ!」 奥歯を噛みしめ吐き出した言葉に、小十郎はもとより佐助自身も驚き、こぼれるほどに目を見開いた。 「――さ、すけ?」 かろうじて音を発した小十郎の声に我に返った佐助は、顔をくしゃくしゃにして庭に飛び出した。 「あっ――おい!」 慌てて追いかけようと小十郎が立ち上るが、傷が引きつり痛みに呻く。その間に、佐助は風のように疾駆して、山の中へと姿を消していた。 あれから、佐助は小十郎の傍へ入っていない。相変わらず届け物は運んでいるが、下男下女、または侍女に預けてすぐに山に帰っていた。 「ずっと顔を見せていないから、片倉様が気にかけておられるのよ。わずかでも、お顔を見せてあげて」 侍女の言葉に、胸をぎゅっと絞られるような痛みを感じながら、表情を崩さずに佐助は返す。 「兄さんたちがさ、忙しいから手伝えって――すぐに帰ってこいってうるさいんだよ」 今のうちに作りためておかなければならない薬や、保存できるようにしなければいけない山菜や木の実などがあるので、半ば本当の事であった。 「兄弟が、居るのね。それじゃあ、家の手伝いを、しっかりしなさいね」 「うん。じゃあね!」 土産に餅を貰った佐助は、山に帰りながら息を吐く。あんなことを言った後で、どんな顔をして小十郎に会いに行けばいいのか――きっと、拒絶をされるの決まっている。 佐助は、人の事を知るために里に出ている間に、恋仲の者たちがどうやって思いを重ねあうのかを、見知っていた。むろん物の怪の間でも肌身を重ねあう者もある。小十郎は、佐助に唇を重ねてきた。佐助は、それに身を委ねようとした。けれど、拒絶された。謝罪された。それはきっと、佐助の姿が少年であり、物の怪であるからだ。 (俺様が、人だったら――) 生きてきた年数分、人と同じように成長をしていたら、物の怪では無かったら、小十郎と思いを重ねあわせることが、出来ていたのだろうか。 ふっと、誰の姿も無い山中で想いの沈んだ息を漏らす。人と物の怪が気持ちを通じあわせることは、まれにある。過去に、玉藻という名の妖狐が人と思いを重ねたことも、あった。 「小十郎」 名をつぶやいてみれば、痛みとあたたかみが同時に胸を包んだ。 「小十郎」 ぽろりと、思いの涙がこぼれでる。どうすれば、傍に居られるのだろう。どうすれば、同じ時間を生きていられるのだろう。どうすれば、また笑みかけてもらえるのだろう。 はらはらと涙をこぼしながら、佐助はその場にしゃがみ込んだ。 あまりにも深く自分の内側に沈み込んでしまっていたので、近づいてくる気配に、まったく気付かなかった。ぽん、と背中を叩かれ撫でられ、はっとして顔を上げると気づかわしげな顔をした弁丸が居た。 「弁丸様」 慌てて涙を拭い、笑みを作る。 「お餅を貰ったから、一緒に食べよう」 「佐助」 帰ってきた弁丸の声は、何かの決意を秘めていて硬かった。 「何――どうしたのさ」 「俺は、佐助の笑う顔が、好きだ。だが、ちかごろはそれが曇っておる。俺は、そんな佐助の偽物の笑う顔は、嫌いだ」 きっぱりと、きりりと眉をそびやかして弁丸が言葉を続ける。 「人里に下れ、佐助。俺は、大丈夫だ。立派な、佐助が心配をせずともよいほどの、山守となる」 ああ、と佐助は心中で感歎の声を上げた。いつのまにか、こんな顔が出来るほどに、彼は育っていたのか。いつの間にか、こんな顔をさせるほどに、自分は想いを外見に漏らしていたのか。 「若様――」 「大丈夫だ、佐助。聞けば、人の間に入り過ごす物の怪は、古来より少なくないらしい。佐助ほど優秀な物の怪ならば、そのくらいたやすいだろう。それに、今は人の世は戦が絶えぬ。佐助の薬はよく効くゆえ、あの人間の役に必ず立つぞ」 力強く言い切った弁丸に、ありがとうと小さくつぶやく佐助は視線を泳がせた。 「気持ちはありがたいんだけど、出来ないよ」 「何故だ佐助」 「人と物の怪じゃあ、時間が違いすぎるもの」 〜続〜