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天狐啼春

 ひやりとした早朝の空気に目を細め、猿飛佐助は床を蹴った。
 吸い寄せられるように進む佐助の行く先は、武田道場。そこで彼の主、真田幸村が百人組み手をしている。
 もうそろそろ終わる頃合だろうという予測どおりに、幸村は道場から姿を現した。

「おお、佐助」
 佐助の姿に気付いた幸村が、屈託の無い笑みを浮かべる。
 お日様みたいだ。
 佐助は太陽に憧れる鳥のように、眩しげに目を細めて手を伸ばした。
「旦那」
 春先の、雪をくぐった空気を寄せつけぬ、あたたかな肌に触れる。
「冷たい手をしておるな」
 頬に触れた佐助の手に、幸村は案じ顔をした。
「外で任務をしておったのか」
 それに応えず、佐助は幸村の腰を抱き寄せ、身を添わせた。
「旦那は、あったかいねぇ」
 たっぷりと運動をした体は、汗が湯気となって立ち昇るほどに、あたたかい。首筋に顔を寄せると、汗でふくらんだ幸村の香りが、佐助の鼻孔をくすぐった。体中にそれを取り込もうと、佐助は深く息を吸い込む。
「佐助……」
 困った声で呼ばれ、佐助の心が疼いた。幸村の尻の下を両腕で包むように掴み、持ち上げる。
「おわっ」
 均衡を崩した幸村を肩に乗せ、佐助はそのまま飛び上がった。
「さ、佐助ぇ」
 幸村の、ひと房だけ長い茶色の髪が揺れる。それを見ながら、佐助は道場の屋根に下りた。
「どうしたのだ、急に」
「俺様、すんごく冷たくなってるから、旦那にあっためてもらいたくって」
 きょとんと幸村が首を傾げる。
「鈍いなぁ」
 わからないことは承知の上で、遠まわしに言ったくせに、佐助は呆れた笑顔を見せた。
「旦那の熱で、俺様を芯から温めてもらいたいって言ってんの」
 外気の冷たさに赤くなった、少年の丸みを残した頬を両手で包み、顔を寄せる。
「んなっ……ぅ、んんっ」
 身を引こうとする幸村の首に腕を絡ませ、佐助は彼の唇をふさいだ。閉じられてしまう前に舌を伸ばし、口内の熱を求める。
「ふっ、んくぅ……うっ、うう」
 どうしていいのかわからないらしく、幸村は両腕をさまよわせた。
(観念して、俺様の背中に腕を回せばいいのに。どうせ、俺様からは逃げられやしないんだから)
「んぅ、うっ……ふ、ぅう……う、ううんっ」
 幸村の戦装束は、腰のあたりが無防備にさらけだされている。佐助は片手を幸村の指に絡めたまま、もう片手で彼の腰をまさぐった。凍えた指先が痺れるほど熱い肌に、うっとりと目を細める。
「ふ、ぅうっ、う」
 幸村の目が潤む。深い口付けで淫靡に溶けた瞳に、佐助の胸は高揚した。
 冷たい自分が、熱い彼を溶かしている。
 熱のかたまりを冷たくするばかりの指が、大切な相手を昂ぶらせている
「んっ、ぅう、ふ……ぅ」
 幸村の手が佐助の着物を掴んだ。木々の萌える季節ならば身を隠すに最適な、さまざまな草の色を重ね染めしている佐助の忍装束は、世界が白く閉ざされた季節には目立ってしまう。それでも佐助は、白い装束を着ようとは思わなかった。
 日の光りを浴びて生きる草の色。それは太陽のように明るく輝く幸村の、対である証のように感じられていたから。
「ふっ、んぅ、う……」
 幸村の指が伸び、佐助の茜色の髪に触れた。これを、幼い頃の幸村はキレイだと言った。秋の色付きのようだと。自分の髪色など少しも気に止めたことのない佐助だったが、それを聞いて以来、自分の髪色が自慢になった。そして幸村の茶色の髪は、どっしりとした大樹の幹のようだと思うと、自分と彼は、樹木とその葉のように別ちがたい存在のように感じられて、うれしかった。
「ふは、ぁ、佐助ぇ」
 とろりとした声に、ほほえむ。幸村の肌が、鍛錬の熱とは違うもので上気している。それを自分が熾したのだと思うと、どうしようもなく興奮した。
「旦那」
 首筋に口を寄せ、軽く歯を立てる。
「あっ……待て、佐助」
「だめ。待てない」

〜中略〜

 幸村はぎこちない足取りで武田道場に向かっていた。
 修練をするためではなく、そこにいるはずの人物に相談をするために。
 いつもいるわけではないのだが、その場所のほかに、彼がいるところを幸村は知らなかった。
 足がどうにもガニ股気味になるし、腰から下の感覚が鈍くて重い。その原因をつくった男の言動について、相談ができるものはいないかと頭をめぐらし、浮かんだものは狐の面をかぶった、天狐仮面と名乗る、佐助によく似た男だった。
 重い道場の扉を開けて入れば、丈夫な壁に囲まれた空間は静まりかえっていた。時間が沈殿しているような場所を、幸村は進む。その動きに撹拌された空気は、すぐになにごともなかったかのように、落ち着いた。
「天狐仮面殿」
 幸村の声が、むなしく響く。
「天狐仮面殿」
 どこからも返事はない。気配の欠片も見つからないが、相手は天狐を名乗る佐助の知己だ。気配を消すなど造作もないだろう。
「天狐仮面殿」
 三度呼んでも反応はなく、留守なのだろうかと幸村は道場内をうろついた。日ごろの鍛錬のたまものか、動きは鈍いが動けぬわけではない。力の抜ける足に気力を込めて、あちらこちらと歩きながら呼ばわり、それでも返事がないままなので、幸村は壁によりかかって座った。
 しばらく待ってみよう。彼以外の相談相手はいないのだから。
「佐助」
 体の自由が利かなくなるほど、激しく自分を求めた男の名をこぼす。
「なぜ、あのようなことを」
 手足を投げ出し、壁に体重を預けた幸村は、昨夜の佐助を思い出す。なにか、様子が違っていた。翌日に影響をおよぼすほど、佐助がこの身をさいなむとは尋常ではない。幸村がどれほど乱れても、佐助は己と幸村の立場を考慮して、無理な交合はしなかった。それが昨夜は、幸村の意識が飛んでしまうほど激しく、動きに影響がでるほど乱暴に、抱いてきた。
 いくら雪に道を閉ざされ、しばらくは戦の気配が遠くにあるとはいっても、雪崩などの災害があれば、幸村の手が必要となったりもする。それがわからぬ佐助ではないだろうに、どうして昨夜はあのように――。

〜続く〜




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