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◇第一話を読む◇
雨の中の旋律2 猿飛佐助は、ため息をつく回数が増えた主を苦笑交じりに見つめている。その視線に気がついた主――真田幸村は、顔を上げた。
「なんだ」
「珍しく、団子に手を伸ばさないなぁって思ってさ。具合でも悪いんなら、部屋でおとなしくしておいたら」
「いや、別に――――なぁ、佐助」
「あ、おはよう」
 幸村を通り過ぎた佐助の視線が誰かを見つけ、ひらひらと手を振りながら挨拶をする。それを受ける相手に視線を向け、幸村は体を緊張させた。そこに佇む女性の姿に、息を呑む。真綿のような笑顔で頭を下げる姿に、幸村の心臓は甘く締め付けられた。
 昨夜の出来事が脳裏に浮かぶ。
 居場所が無いと呟いた彼女に、自分がなれはしないだろうかと願い、その想いに戸惑う間に何も言うことが出来なかった――――。
 彼女は、幸村たちの目の前を横切り、立ち去っていく。その姿が見えなくなるまで追いかけた幸村の視線は、ため息と共に地面に落ちた。
(こりゃ、重症だねぇ)
 好奇と心配を混ぜた佐助のため息が、それに重なった。

 数日後、佐助の提案で彼女は幸村付の侍女になった。とは言っても、しょっちゅう傍に居るわけではない。たいていのことは今までどおり佐助がしてしまう。あまり贔屓にしては他の者にあらぬ疑いや嫉妬心を芽生えさせてしまうからだ。それでも幸村付にするという宣言は、彼女が幸村の話し相手になったりしていても仕事をサボっていると思われたりせず、彼女が気兼ねをすることも無いだろうという配慮からであった。
 彼女は、よく動く。
 もともとそういう気質なのかもしれないが、幸村が気にしているということで自らも気にかけてきた佐助の目には、何かに追われているように見えていた。
(あるいは、居場所を作ろうとしているか)
 あの夜の出来事は、佐助も見ていた。幸村がどうなるか、どう出るかが気になって後をつけた。その時の彼女の言葉を覚えている。
――違う時代から、来たんです。一緒に生きてきた人も、生きてきた場所も、ここには無いんです。
 にわかには信じられない言葉だった。けれど、彼女を見続けている間に浮かんだ違和感は、その一言で全て解決できるように思えたのも事実だ。感覚というか、物事の捉え方というか――別の国の人間なのではないかと思えるほど、日常生活の細部に渡って彼女は無知であった。

 着物を両手で抱え、彼女が廊下を渡る。
 鍛錬を済ませた幸村の着替えを用意し、運んでいた。今頃は井戸端で主君であり甲斐の統治者でもある武田信玄と共に体を拭いている頃だろう。その場に行くのは気が引けるので、彼女は幸村の部屋へそれを置いて去るようにしていた。
「あっ」
 幸村の部屋に行く手前で、彼女は小さく声をあげる。目の前に突然、緑色が現れたのだ。見上げると、なつこい笑みを浮かべた忍の顔があった。
「佐助――君」
 幸村のことは「様」をつけて呼ぶようにしている彼女は、忍からは呼び捨てで良いといわれ、それは気が引けるからと「君」をつけて呼んでいた。
「旦那、もうすぐ部屋に戻ってくるから、ちょっと話し相手になってくんない。美味しいお茶淹れてきてあげるからさ」
「え、でも――――」
「遠慮すんなって。お館様や俺様ばっかと話してるとさ、どうしても戦の話が中心になったりしちゃうから、たまには違うことも――天気のこととかさ、なんか些細なこと、どうでもよさそうな話をしてほしいんだよね」
 ふっと、彼女の顔が曇る。「戦」という言葉に彼女が反応することを、佐助は知りながら口にしていた。彼女は「戦」を嫌悪している。彼女がいた時代にも「戦」があるのだろうか。
「それじゃあ、少しだけ」
 少し首を傾けてはにかむ姿に、目を細める。何くれと気にかけて世話を焼く佐助には誰よりも気安くいるようで、少し砕けた態度をとるようになっていた。
 くすっと笑った彼女に、今度は佐助が首をかしげる。
「佐助君って、忍者っぽくないね」
「え、そうかな。俺様、すんごい優秀な忍なんだけど」
「えっと、私の時代で言われている忍者の姿って言うのはね――――」
 はっとして彼女が口をつぐみ、申し訳なさそうな顔をして上目遣いに見上げてくる。その姿に一瞬湧き上がった感情を、拳を握ることで抑え、佐助は笑った。
「そっちの時代の話、聞かせてよ。ここの話も、もっと色々したいし。とりあえず茶請とか用意してくるから、先に旦那の部屋にいっておいて」
「あ、うん――それじゃあ」
 ほっとした顔で去っていく後ろ姿を見送る。彼女は以前、自分の時代の話をすると今いる自分とこの場所を否定しているような気がすると言ったことがあった。先ほどの話を止めたのも“彼女の時代での忍”の話をすると“この時代の忍”を否定する気になったからではないかと、佐助は思った。それは、佐助のことも否定するということになるのではないかとまで、思ったのかもしれない。
(考えすぎだよ)
 彼女はどうも、慎重になりすぎるきらいが見える。
(別の国から来てしまったようだからね)
 仕方が無いのかもしれない、とも思う。寄る辺が無い場所での生活は、不安と心細さ――孤独から抜け出すことは容易ではないのだろう。彼女が時折、眠れずに庭に出て空を――――遠くを見ている姿を何度も目にしている。
(けどさ――――)
 もう少し慣れてきてくれはしないかと歯がゆくなるときも有る。――――先ほどのように、出かかった気安い言葉を申し訳なさそうに止められたときは、特に。
(まいったな)
 苦笑して、握り締めた拳を解き、手のひらを見つめる。
(抱きしめたいと、思ってしまうなんて)
 目を閉じて、先ほどの不安に揺れる瞳を思い出す。思い出しながら深呼吸をし、吹っ切るように強く息を吐き出してから、佐助は茶を淹れるために歩き出した。

 自室で座している幸村は、どうにも尻が落ち着かない様子で居た。いつもならば着替えだけが置いてあるはずなのに、彼女が座して待っていたのだ。几帳の裏で着替えをしていても、着替えを終えても彼女はその場に座したままで、立つそぶりが無い。流石に着替えをするときは几帳に背を向けてはいたが――――。
 彼女のほうも、どうにも落ち着かない様子であるらしく、視線があちらこちらに動いている。だが、幸村はそれに気付く余裕が無いらしい。
(何故、居るのだ)
 そう思ってみても、口に出せない。ぶしつけにそのようなことを言えば、申し訳なく思った彼女は去ってしまうだろう。何か用事があるのに、口に出すきっかけが無いのかもしれない。
 話しかけてみようとしても、何も思いつかない自分の不甲斐無さに、幸村は軽く頭を振った。
(なんと情けない)
 こうしてゆっくりと共に在る時間があればと、何事かを語る時間が欲しいと月夜のあの日より度々思っていたが、いざ手にしてみると何も為せない。思わず零れたため息に、彼女が口を開いた。
「すみません」
「――――何を、謝っている」
「佐助君が、一緒にお茶でもって言ってくれたんです。ここの話を、してくれるって――お茶、淹れてくるからって。ご迷惑なら…………」
「め、迷惑ではござらぬっ」
 膝を浮かせた彼女に、幸村は慌てて言う。あまりに彼の声が大きく、目を丸くしている彼女に、幸村は拳を握り締めながら捲くし立てた。
「俺が黙っていたのは、何を話せばよいのかわからなかっただけで、迷惑などとは欠片も思ってはおらぬ。むしろ話をしてみたいと思うておったゆえ、こうして時間ができるのはありがたいのだ。佐助の配慮で、そなたが俺付になったとは言っても、なかなかゆるりと話をすることもできず、気になっておった――――その、なんと申せばよいのかわからぬが…………」
 尻すぼみになった幸村の言葉に、くすぐったそうな笑みを浮かべた彼女は体をまっすぐに幸村へ向け、座りなおした。
「私も。ずいぶんと時間が経ってしまいましたが、きちんと助けていただいたお礼を言っていなかったように思いますので、この場を借りて、お礼申し上げます」
 手を着いて頭を下げる彼女に、幸村が尻を浮かせる。
「いや――そのようなことはどうでもいい。それに、俺にも佐助と会話をしているような口調でかまわぬ。もっとその――砕けた感じでいい。――――――――――まだ、眠れぬ日があるのか」
 幸村の目に痛みを見つけて、彼女はわずかに目を伏せた。
「郷愁は、拭いきれません。でも、皆さんすごく良くしてくれて――赤子同然の私に丁寧に手ほどきをしてくださって…………あの時、幸村様に救っていただかなかったら、こうして生きてはいなかっただろうなって、思います」
 寂しげな笑顔に、幸村は奥歯をかみ締める。
「拭えとは、言えぬ。故郷を思うのは、当然のこと。しかし、その――――」
「ここでは」
 言葉が見つからない幸村に、彼女は声を張った。今度は、幸村が目を丸くする。
「ここでは、故郷を失うことは、珍しくないんですよね」
 柔和な声音にもどった言葉に、幸村が頷く。
「信玄様に戦渦より救い出してもらったって、ここに置いてもらっているんだって言っている子が――私よりもずっと幼い子が、懸命に生きていて、すごいなぁって思うんです。負けていられないなぁって」
「俺も、そのような者たちを見るたび、早くこの世に平定をもたらしたいと思うのだ。そのために――――」
「そのために、戦をするんですよね」
 落ちた声に、息を呑む。気付いた彼女は慌てて笑みを作った。
「ごめんなさい」
「かまわぬ。――――聞かせてくれ」
 まっすぐな幸村の瞳に、少し困った笑みを浮かべて彼女は俯いた。
「失いたく、ないなぁって――」
 ぽつりと呟かれた言葉に、幸村はわずかに身を乗り出した。

 茶と茶請を手に、佐助は幸村の部屋の前で立ち止まっていた。二人の話し声が、聞こえてくる。
「私よりもずっと幼い子が、懸命に生きていて、すごいなぁって思うんです。負けていられないなぁって」
(だからって、無理に笑顔をつくっているのは、どうかと思うけどね)
 そう彼女に言いたい気持ちを押さえ込む。彼女は、嘆いていい場所を見つけられていない――――まだ、心からこの場所に自分の身を置いていないからだと、佐助は気付いていた。だからこそ、押さえ込むことしか出来ず、眠れぬ夜を迎えているのだと知っていた。
 室内の会話は、続いている。
「失いたく、ないなぁって――」
 かすかに聞こえた言葉の先を、幸村が促そうとする気配を感じ取り、佐助は慌てて障子を開けた。
「はいはい、おまたせぇ」
 軽い口調と笑顔で現れた佐助に、二人の視線が向く。思ったよりも近い位置で会話をしていた二人の姿に、チリと佐助の胸に痛みが走った。
(俺には、ごまかすのに――どうして旦那には素直に言おうとするんだよ)
 浮かんだ言葉を打ち消すように、二人の間に茶と茶菓子を乗せた盆を置いた。
「二人して、何の話をしていたのさ」
 はぐらかされると分かっていながら、そんなことを口にしつつ幸村と彼女に茶を差し出し、自分のお茶も湯飲みに淹れる。
(失いたくないものって――)
 自ら聞く機会を消してしまった質問を、佐助は胸中で彼女に投げた。

 佐助が現れて会話が途切れ、ふと目の端に映った彼女が安堵の笑みを浮かべたことに、幸村の胸は絞られた。
(何故、佐助にはそのような顔をする――――)
 自分と居るときとは違う彼女の笑顔に、幸村は目を伏せた。
「幸村様――」
 問う声に、顔をあげてなんでもないと告げると、心配そうな顔のまま微笑んだ彼女が佐助に顔を向けた。
「今日は餡団子だよ、旦那」
 言いながら佐助が茶を淹れて寄越す。それを受け取り、佐助に差し出された茶を受け取る彼女を見つめる。先ほどまで纏っていた僅かな緊張を脱ぎ捨てたように思える彼女の笑みは、自分に向けられたことが無かった。否、彼女の姿を見ている限り、佐助に向ける以外では見たことが無かった。
「ここの団子、おいしいんだぜ。遠慮せずに、食べてみなって」
「それじゃあ……いただきます」
 ちらりと幸村の様子を見てから手を伸ばしたのは、遠慮があったからだろうか。口に入れて美味しいと佐助に言う彼女の屈託の無さに、幸村はそっと唇を噛む。
(何故、そのように会話が出来るのだ)
 自然に、当たり前のように――――。
(何を、失いたくないと――――)
 言えなかった言葉を彼女の横顔に視線で問いかけてみるも、答えが聞けるはずもなく、たわいのない会話ばかりで時間は過ぎていく。

 失いたくないものがあるということは、手に入れた“何か”があるということ。形があろうとなかろうと、失える“何か”が存在しているということ。
 あの日、共に生きてきた者も場所もここには無いと言った彼女が手にした“失いたくないもの”に、二人は想いを巡らせる。
 彼女が、自分にとって“失いたくないもの”であるという自覚を持ちながら――――。
◇第三話を読む◇


2010/08/03



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