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雨の中の旋律3 雨が降っていた。ごうごうとうるさい風が、雨を従え屋敷を打ちつける。濡れ縁はすっかり水にやられてしまい、通るには傘と草履が必要と思えるほどであった。
皆ひっそりと、それらが納まるのを本来の居住区ではなく主体となる建物に集まって、待っている。男たちのほとんどは、戦に出ている。残っているのは女と、屋敷で力仕事を行うのに最低限の人数だけであった。
 じっと嵐が去るのを待っていても、腹は減るし眠くもなる。台所の傍にある部屋で、嵐の始まりから終わりが来るのを待っていた。
「いったい、いつになったら止むのかねぇ」
「こんな長雨、気分が塞いじまうよ」
「こりゃあ、お館様も帰ってくるのに難儀するだろうなぁ」
 女どもの言葉に、男が加わる。それに、部屋の隅に凝っていた女が――幸村が拾ってきた女が、顔を上げて耳を傾けた。
「早く帰ってきてくれないと、不安で仕方がないよ」
「よき世の中を作るために、文字通り命を懸けていらっしゃるんだ。こんくれぇの嵐でンなこと言って甘えちゃあいけねぇ」
「ここに残っている男どもが頼りないからだろう」
「なにおう」
「まあまあ。お館様と比べられちゃあ、誰でも頼りなく見えるだろうさ」
「違ぇねえ」
 どっと笑いが起きる。そこから、甲斐の国主である武田信玄の武勇語りがはじまり、嵐に不安を抱えていた顔に笑みが宿る。
「本当に気さくな方で、この間なんか――――」
「そうそう、あたいん時もさ――――」
 輪の中より少し離れたところで、彼女は皆の笑顔につられたように薄く笑む。
「気さくといえば、幸村様だって俺らと同じようなことをなされるよ」
「そうそう。忍頭の佐助様も、手ずからお茶を淹れなさったりねぇ」
 彼女の笑みが深くなり、時折頷きながら聞いていると、輪の中の一人が声をかけてきた。
「ねえ、幸村様に拾われたときにさ、どんな話をしたんだい」
「佐助様も、ずいぶんと気にかけてくださっているようじゃないか。どんなことがあったのか、話しておくれな」
「え――あの……」
 戸惑う彼女に、さあさあと女たちが集まり、手を引いて輪の中に引き入れる。全員の視線を浴びた彼女は、気恥ずかしさからか顔を朱に染めて俯いた。
「私が、すごく遠いところから神隠しにあって、ここについて、だから……気にかけてくださっていて――幸村様がとても気にかけてくださるから、だから佐助君が何くれと世話を焼いてくれていて――――」
「もう、そんなことはわかっているよ。自分が拾ったもんだから、他より余計に幸村様が気にされているんだろうなくらいのことは、察しているさ」
「私らが聞きたいのは、そういうことじゃなくて――――」
 ねえ、と女たちが目配せをし、うふふと笑う。男たちは半ばあきれた顔で野次馬の目をして彼女を見ていた。
「どちらと、いい仲なのかってことだよ」
「――――えっ」
 何を言われたのかがわからない。皆の表情と時間がそれの意味を彼女に伝え、目を丸くして大きく首を左右に振りながら質問に答える。
「そんな――そういうことは無くて、本当に純粋に気にかけてくださっているだけで」
「あら、そうなの。あたしゃてっきり、佐助様とねんごろなんだと思っていたわ」
「俺ぁ幸村様といい仲だから、佐助様が気にかけてるんだと思っていたんだがなぁ」
「ね、本当の本当に、どちらとも恋仲ってわけじゃないの」
 大きく首を縦に振る姿に、疑いの眼差しを向けていた者たちが詰まらなさそうな顔になった。
「やっと、あの鈍い幸村様にも春が来たのかと思っていたんだけどねぇ」
「苦労症の佐助様にも、やっと世話を焼いてもらえる相手が出来たんじゃないかって、思ってたんだけど……」
「佐助様なら、やっぱり世話を焼いてしまうんじゃないか」
「違ぇねぇや」
 軽い笑い声が響く。その中をくぐって、彼女に迫った女が言った。
「――――じゃあさ、どっちに惚れてるのさ」
「ほ、惚れるって……」
「あんないい男が二人も傍にいるんだから、惚れないわけは無いでしょう」
「えっ、え――――」
「私には周吉がいるけどさぁ、あの二人に気にかけられちゃあ、ちょっと、ねぇ」
 言いながらシナを作った女が目配せをした女も、同じようにシナを作り意味深な視線を彼女に送る。
「やれやれ、これだから女ってぇのは」
「あらやだ。男だって似たようなモンでしょうよ。キレイな女が傍に居たら、ふらっとしちまうくせに」
「俺ぁ、母ちゃん一筋よォ」
「よく言うねぇ」
 からかいの声が飛び、今度はそれぞれの女房恋人自慢になる。話の矛先が自分から離れたことに胸をなでおろす彼女の手が止まり、胸元で何かを握り締めるように動いた。
「しかし、この雨じゃあ上がってからもダメな道が多いだろうなぁ」
「しばらくは荷車を押すのも一苦労だね」
「戦から帰ってくるのも大変だろうさ」
 様子を見てこようかと誰かが言い出し、それじゃあ俺もと一人、また一人と立ち上がる。五人ほどが蓑と傘を纏い、一寸先の視界も濁るほどの雨に打たれながら見えなくなった。それを見送った女が、帰ってくるころには体が冷えてしまっているだろうからと、台所に火を入れて汁物を作り出す。せっかくなら多めに作ってしまおうと他の者が言い出して、女は全員料理に取り掛かった。男どもはせっせと掃除を始め、信玄らが戻ればすぐにでも休めるようにと室内を整えていく。皆、なんだかんだと話をするだけでは落ち着かなかったらしい。動き始めると、会話だけのときよりも、ずっと濃い笑みを顔に浮かべていた。
 せっせせっせと皆が動き、室内も料理もすっかり準備が整い、怪我人が出た場合の備えまで完了し、様子を見に行った者たちの帰りを待った。
「ずいぶんと、遅いとは思わないかい」
「この雨で道を失った、なんてぇ事になってんじゃねぇか」
「お館様のご一行とでっくわしてんのかも、しれねえぞ」
「帰るって知らせが着てから十日ほど経つから、そうかもしれないな」
「だれぞ、怪我でもしてなきゃあいいんだけど」
「この雨で怪我人がいりゃあ、体が冷えて死んじまうんじゃねえか」
「小輔んときも、大変だったねぇ」
「ああ、ありゃあ大変だったなぁ」
 皆の顔が険しく、暗く、鬱々としてくる。会話の内容も戦で怪我をして帰ってきた者たちの話になり、彼女は両手を胸の前で握り締めた。それに気付いた女が、子どもをあやす声音で微笑む。
「大丈夫だよ。幸村様も佐助様も、お強いんだから」
「そうそう。あの方らが怪我をするなんて、めったなことじゃあ有り得ないよ」
「――――ありがとう」
 慰めの言葉に薄く笑んで見せても、浮き上がった不安は簡単に沈んではくれず、胸に小さな不安がしこりとなって残る。
「ほら、こんな縁起でもない話ばっかりしてないでさ、もっと楽しい話をしようじゃあないか」
 誰かが言い出し、不安な会話の変わりに昔の話を彼女に伝えようということになった。昔といっても、うんと古い話ではない。幸村が来てからのこと、佐助が来てからのことを、思い出しながら彼女に教えようということになった。
「ちいさいときの幸村様は、それはもう手がつけられなくてねぇ」
「来たばっかりの佐助様は警戒心が強くって、今の佐助様からは想像もつかないと思うけど」
 皆が口々に共有している思い出を語りだし、幼き日の幸村と佐助のことを彼女に伝える。驚いたり笑ったりする彼女の反応に、だんだんと大げさな身振り手振りもつけながらの語りに変わり、まるで芝居小屋にいるかのような様相になってきた。やんややんやと声がかかり、それは違うと話に混ざるものが出てきて、幼き幸村役と佐助役が二人にも三人にもなる。じゃれあいのような喧嘩が始まり、相撲観戦のようになった。にぎやかな声に、雨音も室内に入らない。すっかり盛り上がってしまった空間に、時間を止めてしまうような声が響いた。
「信玄様らぁが帰ってこられるが、雨に打たれて病人が出たらしい。怪我人もいるから、準備をしてくれぇ」
 物見から帰ってきた者の声に、騒いでいた者たちの表情がすぐに締まる。こういう言葉をうけても、うろたえぬ態勢が出来ていなかったのは、この時代に飛ばされてしまった彼女だけで――――。
「あ、ちょっと…………危ないよっ」
 青い顔をして唇を引き結び、雨の中を飛び出す背中は、あっと言う間に見えなくなった。

 ぬかるんだ道で馬が疲弊しないよう、真田幸村は徒歩で馬を引いて帰路を進んでいた。他の者も、同じように進んでいる。馬の背にあるのは荷物か病人、または怪我人だけであった。
 激しい雨が皆の体を打ち、体温を奪っていく。けぶる景色に、幸村は雨の日に出会った女性のことを思い出していた。
 雨の重さに耐えかねて、落ちた体を抱えたときの冷たさと軽さ――頼りなさ。血色の戻ってきた頬に浮かんだ泣き顔のような微笑。遠くを見つめる瞳が、自分を映したときに覚えた甘い震え。
(会いたい)
 強く、そう思った。
 これほどに帰郷の念を持って出陣したことなど、一度も無かった。強く深く渇望したことなど、一度も無かった。――会いたいと、笑顔を見たいと思った。生きて帰るのだと、一刻も早く勝利し帰るのだと無意識下の自分が話しかけてきた。
(伝えたい)
 そうも、思った。これほどに焦がれるものがあるのかと、自分自身に驚いていた。寂しげに遠くを見つめる瞳に望んだ想い――――これからを共に生きていく場所に、人に、自分がなれはしないだろうかと願った気持ちを伝えたかった。必死に何かを支えようとしている瞳を、愛おしいと思った。腕の中に収めたいと、身の内に留めたいと感じた。
 今頃は雨の音におびえているのだろうか。彼女も、あの日を思い出しているのだろうか――――自分のことを、どう思っているのだろう。
 どのような武人に対しても、今ほど不安と恐怖を抱えたことは無かったように思う。彼女がもし、この想いを知って去ってしまったら…………そう思うのに、伝えずにはおれないことを幸村は知っていた。
 ちらりと、少し後ろを歩く佐助の姿を見る。彼と会話をしている彼女の姿を思い出す。――――彼にしか向けない笑顔で、心底安心しているような笑顔で会話をしている姿に心臓が絞られた。
(佐助を、好いておるのだろうか)
 もし、そうなら…………。
(佐助も、彼女を好いておるのだろうか)
 もし、佐助に自分の気持ちが悟られていたとしたら…………。
 軽く頭を振り、前を向く。伝えると決めたのだ。帰ったら、彼女に――――。
 決意を固めた幸村の目に、必死に走ってくる人影が映った。

 ぬかるむ道にも、あまり足を沈めることなく猿飛佐助は馬を引きながら進んでいた。同じような雨天の日、ぐったりとした彼女を抱きかかえ、濡鼠になって帰ってきた主を思い出す。すぐに寝所を用意し、看病をするようにと伝えた彼の姿に、わずかな違和感を覚えたことを記憶している。その後の、彼女の容態を気にする様子にも。
 主である幸村が気にかけているのだからと、自分も彼女を気にかけるようになった。何か問われれば答えられるようにと、目で追うようになった。それが、いつから自分の意思で見つめていたいと望むようになっていたのか。
 さまざまに想いを巡らせて見るが、ここだというものは見当たらない。ただ、本当に――気がつけば目で追っていた。
 そんなことは無いと、これは主が気にかけているからだと考えた。彼女に話しかけ、世話を焼くのも――幸村付の侍女にして屋敷に置くことを提言したのも、すべては幸村のためだと思おうとした。気の迷いを打ち棄てたと確信して彼女に声をかけ、笑顔を向けられた瞬間に果敢無く砕けた意思と、胸に湧く甘い疼きを自覚した。
(惚れた腫れたの奪い合いを、旦那とするのか)
 想像もしていなかった。恋は、するものではなく落ちるものと――――理由も無く、気がつけば罹っている病だと聞いたことがある。まさに現状がそれだと、佐助は瞬時に理解した。その瞬間に、主に対しての嫉妬が生まれる。気安く声をかける自分に、彼女が徐々に警戒を解いていくのも、心を開きはじめているのも、他の誰にも向けていない笑顔をくれていることも知っている。誰よりも彼女は自分に気軽に話しかけてくれているのだと、認識している。そう自負しているからこそ、幸村に対しての嫉妬はよりいっそう強くなっていった。
(気安い話はいくらでもしてくれる。笑顔だって、心底安心しているものを、信頼してくれているものをくれている――――けど)
 それでも、心根の深い部分は明かしてはくれない。弱い部分をさらけ出してはくれていないのだと、気付く。彼女が笑えば笑うほど、気付かされる。幸村の前でだけ見せる、寂しげな瞳――――あれは、自分が居るときは決して見せないものだ。あの夜に、幸村に見せた顔。一度見せた相手だから、隠すことをしていないのかもしれない。ただ、それだけなのかもしれない。まっすぐに、その部分に対しての問いを幸村が投げかけるから、彼にだけ見せているのかもしれない。それを問うことをすれば、自分にも見せてくれるだろうか。
(はは――――俺様としたことが……)
 情けないと、思う。問いを拒絶されることが、現状を失うことが怖いと感じている。あの笑顔が無くなってしまうならいっそ、このままでいいと――――それだけでは満足が出来なくなっている自分を制しながら、彼女に声をかけている。
 共に生きていく人と場所があれば、ここにあれば、帰りたいと望まなくなるのだろうか。寂しげな顔をして月を眺めたりはしなくなるのだろうか。
(俺は、なれるのか)
 振り向く幸村の視線を受けながら――――憧憬の念を抱きながら前を見つめる佐助の目に、必死に走ってくる人影が映った。
◇第四話を読む◇

2010/08/10



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