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名前変換版【標準ED】名前変換版【佐助ED】名前変換版【幸村ED】
雨の中の旋律4 激しい雨が身を打つ中、彼女はまっすぐに走っていた。
 一寸先も雨に遮られて見えない。ドドゥと川が声をあげている横を、ぬかるんだ道を、ただひたすら走り続けた。
 この場所に飛ばされた日のことが頭に浮かぶ。あの日も、激しい雨が降っていた。少し先すらも見えないくらいの雨に、風が吹いて歩みを阻んでくる。傘を短く持ち、飛ばされないように注意を払いながら進んでいると、足から伝わる地面の感触が突然変わった。驚き、顔を上げた瞬間突風に見舞われ、傘が奪われる。近くに怒号のような水音が聞こえ、先ほどまであった車や人のざわめきが消え失せていた。
 それから、どこをどう歩き回ったのかわからない。わからないが、どこにも自分の居た場所が無いことに気付き、歩きつかれて立ち尽くした。人の姿も見えなかった。誰も、ここには存在しないのではないか。そう思ったとき、声がかかった。

 雨の音と川の唸りを聞きながら、ひたすら走る。その音が、わずかな安堵をもたらしていることを彼女は気付いていた。――――この場所で生きていくと決めた自分の決意と、数ヶ月もいなかった自分が今、この雨で元の時代に帰れたときの不安。居場所を見つけた安堵と――居場所だったはずのものが消えているかもしれない不安。そのようなものを、川の唸りがかき消してくれる。それ以上に彼女を駆り立てている不安――――与えられた、見つけることが出来た居場所を無くしたくはないという思いが、足を進めさせる。
 笑顔と、差し伸べられた手のひらが浮かぶ。素足はぬかるんだ道を踏みしめやすいが、雨を含んだ着物が重さを増して邪魔をする。体の熱も奪われ、崩れ落ちそうになりながらも走り続けた。

 雨音と川の唸りの間に、かそけき音が混ざったのを、最初に気付いたのは佐助だった。何かが駆けてくる。やがてぼんやりとした人影が見え、幸村も向かってくる存在を認識する。それが彼女だと理解した瞬間、二人は駆けていた。
「っ! なんで、こんな雨の中を」
 足をとられて崩れ落ちそうになる彼女を抱きとめたのは二人同時であったが、先に声をかけたのは佐助だった。顔を上げ、頼りなげな――はっきりとした安堵の笑みを浮かべてから、彼女は意識を手放した。
 はじめて会った日も、ずぶぬれだった。高い熱を出し、不自然なほど紅く染まった顔。荒い呼吸――今もまた、あの時と同じように彼女は荒い息を吐き、冷たい体に不自然なほどの朱を差している。屋敷からここまでは、ずいぶんと遠い。その中を、何のために駆けてきたのか。彼女に落ちていた二つの視線が持ち上がり、互いに目を向け合う。双方が、彼女が相手を求めて走ってきたのではないかという怯えにも似たものを浮かべていた。
 幸村は悟る。佐助も、彼女を慕っているのだと。
 佐助は悟る。どのような結果であれ、彼女と共にあり続けられることを。
 ひどく軽い彼女の体が、心に重くのしかかる。
「行こう、佐助。彼女を、運ばねばならぬ」
「そうだね――早く、暖めてあげないと」
 目をそらし、互いに声を掛け合う二人の心は、猛る川面のように荒れていた。

 もしも、もしも彼女が佐助を選べばなんとする――――と考えながら、幸村は重い足を彼女の眠る部屋へと向けていた。しばらくは会わずに、とも思うのだが足が勝手に向いてしまう。顔を見ずにはおれない心を抑えられず、心に暗雲を抱えたまま幸村は着替えを済ませ、すぐに自室を発った。
 彼女を抱きとめた瞬間に、交わした佐助の瞳を思い出す。やはり、という気持ちと、まさか、という気持ちが浮かんだ。もし、彼女が佐助を選ぶのであれば致し方のないことだと思う。自分は、彼女の居場所には成れなかった。それだけのことで、彼女が居なくなるわけではない。佐助の元にいるのであれば、ずっと姿を見続けられる。
 しかし、と幸村は首を振る。自分の気持ちを、佐助も同じように気付いてしまっただろう。もっと前に、気がついていたのかもしれない。仮にも主である幸村と同じ女性を――彼女を想っていることに、苦しんでいたのではないのだろうか。彼女が佐助を選んだときに、それを自分が耐えられるのか、と自問する。
 彼女が佐助を選ぶのであれば、他の者に奪われるくらいならば、喜んで祝福をしよう。しかし、そうなった折に佐助に胸のうちを悟られぬよう過ごせるだろうか。遠慮をされて、佐助が身を引くと言い出しはしないだろうか。――――もし、そう言うのであれば、この拳を思い切り叩き込んでやろう。
 そう思って顔を上げると、彼女の部屋の前で佐助と出くわした。

 休養を取れといわれ、忍装束から平服に着替えた佐助は忍らしからぬ足取りで、彼女の休む部屋へ向かっていた。
 彼女を抱きとめ、目を合わせた幸村の顔を思い出す。――――悟られた、と感じた。
 おそらく幸村は、佐助の想いに――彼女を慕う気持ちに気付いただろう。今頃は考えなくてもいいことに頭を悩ませ、知恵熱をだしているのかもしれない。
 腕に落ちた彼女のことがよぎる。声をかけた自分に、微笑みかけて意識を失った。あの笑顔は、何を意味するのだろうか。単に、声をかけたのが自分だったからなのか、それとも――――。
 幸村も、自分と同じようにどちらかを心配して来たのだろうと思っている。屋敷に戻ったときに、怪我人の話をした後で走り出したと聞いたから、外れては居ないだろう。では、どちらを…………。
 ざわり、と胸が震える。たとえ彼女が幸村を選んだとしても、自分は今までどおりで居ればいい。しかし、もし彼女が自分を選んでくれたとしたら、幸村は、どんな顔をするだろう。幸村のことだ。主従関係など気にするなと、佐助に言うだろう。だが、平静でいられるはずは無い。彼女を避けだしたりしないだろうか。よそよそしくなりはしないだろうか。――――それで、彼女が傷つかないだろうか。
 自分の考えの至った先に、佐助は苦笑する。主のことよりも、彼女のことのほうが気にかかるらしい。
 重症だなと呟いて顔を上げると、彼女の部屋の前に幸村の姿があった。

 どことなく気まずい空気が流れている。彼女の部屋の前で出くわした佐助と幸村は、ぎこちない笑みを浮かべあった。
「あぁ、えっと――旦那も、お見舞いに」
「うむ。佐助も、か」
 言葉が途切れる。彼女の部屋の前で、二人は前進も後退も出来ずに佇んでいた。こういうときにはいつも軽口で茶を濁す佐助だが、どうにも上手い言葉が見つからない。じりじりとした空間に耐え切れなくなりそうな頃合に、幸村がぽんっと言葉を放った。
「俺は、彼女に伝えるつもりだ」
「へっ」
「佐助も、伝えたいのだろう」
 目を丸くする佐助に向けられているものは、団子屋へ行こうと誘っているときと変わらぬ笑顔。目をしばたく佐助に、目に力を入れた幸村が挑む笑みを浮かべた。
「彼女がどちらを選んだとしても、遠慮はするなよ、佐助」
 幸村の言わんとしているところに思い至り、腹の底から湧き上がる柔らかく暖かいものに顔がほころんだ。
「旦那こそ、彼女が俺を選んだとしても、泣いちゃわないでよねっ」
「なっ、泣かぬっ」
 ニヤニヤと笑いながら、佐助が障子に手をかける。反対側の障子に幸村も手をかけ、頷きあってからスラリと開けた。

 部屋には、彼女だけが居た。分厚い着物をかけられて、額には濡れた手ぬぐい。脇に桶が置いてある。少し遠慮をしながらも踏み込んだ二人の足音に、彼女は顔を動かして体を起こした。
「横になったままで、かまわぬ」
「大丈夫です――――ごめんなさい」
「何を謝る。心配をして、来てくれたのだろう」
「まったく、無茶するよねぇ」
「うん、ごめんね」
 ちらりと幸村が佐助を見る。どこか拗ねているように見えるのは、気のせいではないだろう。自分と彼女の語調が親しいことに、ずっとそういう顔の心を持っていたのだろうと思い、佐助は自分が幸村に持っていた嫉妬心を、彼も持っていたのだと可笑しくなった。
「しかし、何ゆえそのような無茶を――――」
 幸村の質問に、彼女の体が硬くなる。彼女は俯き、ぽつりと言った。
「無くすのが、怖くて…………」
 沈黙が訪れる。幸村も佐助も、静かに座して彼女の言葉を待った。
「――――雨の日に、突然この時代に来てしまって、どうしようもなくて…………怖くて。でも、居てもいいと思える場所が、出来て――――居たいと思える場所を、無くしたくなくて」
「それは、帰りたいと思うよりも居たいと思うほうが強いってことでいいのかい」
 佐助の質問に、彼女が俯いたまま頷く。
「雨の中、走っていて――――もし、このまま元の時代に戻ったらどうしようって――――ここで、生きていたいと思うから」
「共に生きていきたいと思う御仁が、おるのだな」
 幸村の問いに、彼女は顔を背ける。
「――――幸村様と佐助君がくれた居場所が、とても優しくて」
「――――どちらか、では無いんだ」
 佐助の言葉に、目を丸くした彼女が振り返る。いつになく真剣なまなざしの佐助と幸村が、そこに居た。
「あ、あの…………」
「俺たちの作る居場所がと言うのであれば、それでもかまわぬ。しかし、出来れば――――その、俺の……と、言ってはもらえぬだろうか」
「幸村……様――――」
「あ、ちょっとちょっと旦那。先に言っちゃうんだソレ」
「先も後も無いだろう。帰ったら伝えようと、決めておったのだ」
「えぇ。じゃあ、俺様も――――」
 咳払いをして、佐助が少し膝を進める。
「ずっとアンタを見てた――――俺の傍で、笑っていて欲しい」
「佐助……くん」
 まっすぐ見つめてくる佐助につられて見つめ返す彼女の表情に、幸村がむっとして近寄る。
「佐助、少し近寄りすぎではござらぬか」
「べっつにぃ。こんなのいつもどおりでしょ」
「なっ――――いつも、このように近いと申すか」
「俺様との会話口調が距離感を物語っているでしょ」
「ぬぅう――――」
 ぷっ、と噴出す気配に二人が目を丸くする。肩を震わせて笑う彼女に、二人は同時に手を差し伸べた。
「どちらを選んでも、かまわぬ」
「気まずくなっちゃったりしないって、今のでわかってくれたよね」
 彼女が、二人の顔を交互に見る。
「どちらも選べぬのであれば、双方の手を取ってくれ」
「どっちになっても、恨みっこなしってね」
 はにかむ幸村と、器用に片目を閉じてみせる佐助に微笑み返し、彼女はゆっくりと手を伸ばした。

【佐助の手を取る】【幸村の手を取る】

「ぬっ」
「そっかぁ」
 彼女の手は、両方の指の先を少しだけつまんでいた。
「ごめんなさい」
「いいって。勝負はこれからってことだからさ。絶対に、俺様に惚れさせてみせるよ」
「佐助っ、近づきすぎだ」
 そっと彼女の指先を掴んで顔を寄せた佐助に、ぎゅうと彼女の手を握った幸村が抗議する。
「旦那こそ、なんでそんなに手を握り締めてんのさ」
「はっ、あ、いや――これは、つい……」
 そう言いながらも、幸村は手を放さない。二人の間に挟まれて、コロコロと彼女が笑う。それに照れたように笑んで、二人は顔を見合わせた。――――――恋になるのは、まだ少し先の話。


2010/08/18



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